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  生まれきた命
                        三島操子                   
                                                                                   平成19年2月8日付け 島根日日新聞掲載

 昨年の秋、娘夫婦に子どもが生まれた。結婚して六年目の吉事だ。
 帝王切開で一ヶ月早く生まれた子は、二千九百グラム。しわくちゃの手をばたつかせて、大きな声で泣く男の子だ。
 近頃は出産に夫が立ち会うそうだ。生まれ出た子の臍の緒を切るのが、父親としての初めての仕事になる。
「産声には感動した」
 彼は、何のてらいもなく父親になった歓びを話してくれる。
「大きい足をしていますね! この子は大きくなりますよ」そう言いながら助産師さんは、新米の母親の横に寝かせてくれた。
「この子はね、私たちが親になってくれるのをずっと待ていてくれたんだ。長い間待たせてしまったけど、やっと抱っこしてあげることができた」
 乳を含ませながら、娘は子どもに話しかけている。神様からのご褒美のように、小柄な娘の体からは、たっぷりの母乳が出る。子どもが喉を鳴らし、全身の力で飲むさまは可愛く、見飽きることがない。
子どものいなかった一年前までは気安く付き合えていた娘が、母親になったとたんに「私たち家族はね……」「私たちの家はね……」と言い方が変わっている。
 母と娘の縦の関係から、横並びの独立した関係にある事を、それとなく匂わしているようだ。何故か、娘が母になってくれた嬉しさと一緒に、寂しさも感じてしまう。ほんの少しの複雑な気持ちなのに、置き場所が見つからない時がある。が、一日を待たずに表情豊かになる子どもの成長は、周りを和やかにし、心弾む時間を作ってくれる。
 正月の七日に百日目の『食い初め』をしたいからと招待が来た。
 東京から帰省中の私の妹も加え、両家合わせて八人。賑やかだ。主役の子は、いつもと違うのが分かるらしい。不思議そうな表情で部屋の中を見まわしている。片えくぼの笑顔を振りまけば、大人が揃って反応するのが可笑しく、笑いが、またわき起こる。
父親に抱かれた子どもの前に、膳が置かれた。お膳には義母さん手作りの、赤飯、尾頭付きの魚等が並んでいる。
 やっと曾孫の顔を見ることができた私の母が、代表して食べさせることになった。
「箸を握らせてみて」「赤飯からでしょ」「魚だ」
 好き勝手な指示が飛ぶ。
「なにがいいのやら……」母は迷っている様子だ。
 妹が、茶化して「迷い箸はいけません」と横から口を挟む。
「おばあさん、何でも良いです! 格好ほどですから」
 見かねて義父さんから助け船が出た。
「そうそう……」
 一同がうなずいていると、母が子どもの口元に持っていったのは『酢の物』ではないか。
「エッ――」
 子どもは父親の腕の中で、しぶい表情を見せてお父さんを見上げている。
 弾けた笑い声に水槽の熱帯魚が驚いて、あわてて水草の中に隠れた。
 娘達が用意した折り詰めが配られる。義母さん手作りの皿盛りも並ぶ。「ゴマ豆腐は主人と二人がかりで一時間ほどゴマを摺って作りました」と説明がある。仲の良さを見せつけられた。両親の性格の良さをそのまま引き継いだ、心根の優しい人と夫婦になれた娘の幸せを改めて思った。
「お姉ちゃんは、良いね……」
 隣に座る妹が耳元で囁く。
「この子の福を、少し貰うからね」
 よいしょと、妹が先に抱き上げカメラの中に収まる。抱きたくて座っておれない主人が横から取り上げる。
「さあーおばあさんにも抱っこしてもらって」
 言いながら義父さんは、母の懐に渡された。
 母は、六千五百グラムに成長した曾孫を「重い……重い」と言いながらも、嬉しそうだ。
 子どもは、自分のおとうさんが分かるようだ。父親に抱かれると、手を動かし声を張り上げ話しかけてくる。
「この子は、お父さんが大好きだよ」
 娘は、夫と子どもの会話を幸せそうに見つめている。
 生まれきた命は、私の母が五十年以上も前に味わった歓びを思い出させ、私が三十二年前に経験した感動を蘇らせてくれた。この子は小さな体に、その時の夢と希望を確かな形で受け継いで腕の中にいる。娘達夫婦の子どもとして生まれることを、ずっと待っていてくれた命は、どんな使命を背負って生まれて来てくれたのだろうか!
 若い二人が、授かった命の担う使命の、良い手助けが出来る誠意ある親であり、一番信頼できる親であることを、私たちは願っている。そのことを忘れないでもらいたい。
 西陽が長くなってきた。楽しい一日はすぐ暮れる。
 二人の家を後にした車の中から眺める町は、道行く人も多く、まだ正月気分を残したような華やかさがある。
 赤信号で止まった車の鼻先を、高校生らしいカップルが手を繋いで通り過ぎてゆく。遠慮のない大橋川の風で、女の子の頬が薄紅に染まっている。私たちが乗り越えて来た道のりを、この子たちが今から歩いて行くのだと思うと、愛おしく思える。
「お姉ちゃん、十五年先……想像してたでしょ」
 後ろの席から妹が、娘夫婦の子供の名前を言って冷やかしてくる。祝いの余韻はまだ続いている。小さな車は笑いで揺れた。
「両親が自分にしてくれたことは、この子にしてやろうと思っています」
 初々しい父親の言葉を、また一つ思い出した。
「良い正月をさせていただいて感謝してるよ」
 妹のしっとりした言葉が背中に張り付いた。
 柿色を混ぜたような雲を背に、西陽を受けた縹色の山並みが大きく見えてきた。

◇作品を読んで

 作者の作品は、文学教室に参加されてから三年の間に、二十篇を超えた。読ませてもらって気がつくことは、文章が最初に比べて洗練されてきていることだ。「(気持ちの)置き場所が見つからない時がある。」「小さな車は笑いで揺れた。」「弾けた笑い声に水槽の熱帯魚が驚いて……」などのフレーズは、何気ない書き方でありながら、気持ちや情景を的確に描写している。
 エピソードを交えた初孫の成長を書いたこの作品は、読み手の共感を呼ぶに違いない。終わりのあたりにおかれた、二人の高校生カップルの挿話は、作者の観察眼と、どう生かすかを考えた作者の力量がうかがわれる。
 原文には、最後の一行に「本当に良い一日だった。」という一文があったが、余分だろう。風景描写で終わったほうが余韻が残る。