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  掌上の父
                        篠原紗代                   
                                                                                     平成19年1月11日付け 島根日日新聞掲載

「かーさん、かーさん」
 脳梗塞で父が入院をしたとき、同室の老人が叫んでいた。
「奥さんはおうち、そのうち来られますよ」
 看護師さんが慰めても耳に入らないようで、喚き続けていた。
 八十歳くらいの、身の引き締まった、眼光鋭い、頑固そうな人物だ。それなりに人生を歩んできたであろうに、幼児のように妻を呼び続ける姿は憐れだ。
 父は、その人と同室なのを嫌がった。
「みっともない」
「でも、奥さんは慕われて幸せよ」
「恥ずかしい。わしゃ、あんなふうにはならないからな」
 そんな老人のようになるとは、私も思えなかった。
 昔から家庭で絶対君主の父は、目の前に落ちているゴミも拾わない。離れた場所にいる家族を呼んで拾わせる。名前を言って、すぐに返事がないと怒りだす。
 年老いてくると、私の兄や弟の言うことは聞くようになった。だが、母や私の言葉には耳を貸さない。相変わらず、自分の意のままにしようとする。父が食べて空になった食器を、母や私がまだ食事中でも、下げろと言う。
 いつも強気の父だった。
 脳梗塞になってから、父は入退院を繰り返した。
 何度目かの入院をしたとき、怒った声で私に訊いた。
「お母さんはどうした」
「家にいるよ」
「何してる」
「のーんびりと休んでるわ」
「来たいっ言ってなかったか」
「ぜんぜん」
「そうか」
 寂しそうにつぶやく。
(可哀想のことを言ったかな)
 強い強い父だから、ちょっと意地悪をしてみたのだ。
 その後、少しずつ梗塞が進み、失語症になり、歩けず、手も動かなくなった。
 あるとき、食事の世話をしていた娘が気づいた。
「おばあさんがいなくなると、おじいさんは食べなくなるよ」
 実験をしてみた。母が父の視界に入ったり出たりすると、確かにスイッチが切り替わったように態度が変る。食べ物の入ったスプーンを唇に当てても、母が視界から消えた途端、口を開けなくなるのだ。母が目の前にいないと、不安で食欲が失せるのか。
 私も何度か、食事の世話をしていたのに、それまでは気がつかなかった。いつも、父の視界の範囲内に母がいたのだろう。
 やがて、嚥下障害が起き、食べた物が気管に入りやすくなった。繰り返すと肺炎になるので、皮膚から胃へ穴を開けた。点滴のようなチューブを通して、食物を流し入れている。穴はボタンの開閉式だ。ボタンがゆるくなって、二年で二度取り替えた。その度に、穴が大きくなる。これ以上大きなサイズのボタンはないと言われている。
 世話をする母は、介護を楽しんでいるようにさえ見える。
「今が一番楽よ」
 そうかも知れない。うるさいことを言わない。徘徊してどこかへ行ってしまうこともない。食事も、栄養剤だから、作る必要がない。食べさせる手間も要らない。でも生きている。母を頼って生きている。植物人間かというとそうではない。
 知っている人が来ると、おっ≠ニいう表情で、目を見開く。私の夫は、父のお気に入りの婿殿である。夫を見ると一段と目が輝く。今にもしゃべり出しそうになる。手を握れば、握り返そうとするのか、力が入るらしく、ぶるぶる震える。
 最近、父が肺炎で入院したときのことである。
 見舞いに行くと、父は目を開けていた。自分のいる場所が自宅でないことはわかっているのだろう。不安そうだった。私に気がつくと、いつもの、知っている人間を見る目つきになった。
 ふざけて母の娘時代の愛称を言ってみた。
「お父さん、ミイちゃんが来ましたよ」
 一緒にやって来た母が、まだ父の視界内にいない。
 何を言ってるんだ――そう言いたそうに、険しい顔をした。
 急に表情が和らぎ、怒った三角眼が柔和になった。母を見つけたのだ。こんな穏やかな顔は、父が元気なときですら見たことがない。
 ひと月くらいで退院した。
 十日も経たないうちに、今度は、呼吸をしていないということで、また入院した。十分に一回くらいの割合で、二十秒ほど呼吸が止まる。かなり以前からそうだったのだが、誰も気にしていなかった。世話に来ていた訪問看護師さんが、気づいて、あわてて救急車を呼んでしまったのだ。慣れていなかったらしい。病院では、老人にはよくあることだから、こんなことで連れて来ないでくれと言われてしまった。それでも、肺炎指数が再び上昇していたので、二週間ほど入院させてもらった。
 もうすぐ平成十八年が暮れる。父はだんだん弱ってきているものの、自宅で母と年を越せそうである。
孫悟空が暴れたのは所詮お釈迦さまの掌の上≠ニいう話がある。もしかしたら、父も元気なうちからワンマンなようでいて、母の掌の上で走り回っていただけかもしれない。
 今、身動きできず、母に頼るしか生きて行かれない父である。ヘルパー制度やショートステイシステムをおおいに利用しているが、八十歳の母にとって、介護は確かに大変なはずなのに、母は昔に比べたらずっと扱いやすいと喜んでいる。掌の上にしっかり乗っていてくれるのが嬉しいのかも知れない。

◇作品を読んで

 父が病気になり、家族が世話をすることになった。嬉しくない出来事だが、作者は引いてとらえず、前向きの姿勢でこの作品を書いた。
 病気、怪我や事故というのはどちらかといえば暗い題材だが、作者はそれを乗り越えて読み物風に、読んだ人が面白いと思うだろうなという切り口で、作品を成り立たせた。それが、孫悟空の話から連想した表題の「掌上の父」に収斂されている。絶対君主のはずであった父が、本当はそうではなかったのではないかという作者の着眼から生まれたタイトルである。
 いかに着眼が優れていても、文章がよく出来ていなければならない。そのためには、文章の肉付けにつながる観察が大事である。作者は念入りに言葉を選び、さらに会話を入れてリアル感を出した。