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  連れの女
                        入江 冬香  
                                                                                     平成18年11月9日付け 島根日日新聞掲載

 チャイムが鳴ると同時に、宅急便ですという男の声がした。
 夫が勤めに出掛けた後の掃除の手を止めた女は、玄関のドアを開けた。長さが一メートル、幅が三十センチばかりの大きな紙箱を手にした若い男が立っている。
 女は、新婚旅行から帰って七日目で小包が来たことに大層喜んだ。初めて郵便物が来たのだ。書かれた苗字も新鮮だった。
 配達人が帰ると、女は玄関から外に出て表札を見上げた。苗字の下に並べて書かれた二人の名を声に出して読み上げ、女は満足そうな笑みをもらす。宍道湖北岸に建つ小さなアパートに湖から吹いてくる秋の風が、女の長い髪を揺らして過ぎていった。
 箱の表には、宛名と差出人のラベルが貼られている。誰だろう……女は一瞬、戸惑いの表情を見せたが、ああ、そうだと直ぐに気が付いた。
 新婚旅行は東北だった。仙台での最初の夜を思い出し、女は頬を染める。
 夕食をとったホテルのレストランでのことだった。ワインで乾杯をした途端に、隣の席に居た中年の夫婦と知り合いになった。
 新婚旅行のようですが羨ましいわと、四十四、五と思える女がぽつりと言ったのがきっかけだった。相手の男のほうは、その女よりも少し上、五十ばかりだろうか。前髪が幾らか白く、体格のよさと金縁の眼鏡のせいもあって貫禄があった。背広もネクタイも高級そうだった。
 黙っているのも悪いと思い、ええ、昨日が結婚式だったんですと答えたことから、話が弾んだ。
 中年の夫婦は、せっかくお近づきになれたのに今夜が旅行の最後の夜だと笑った。連れの女に、どちらからいらしたのと聞かれた。松江からですと答えると、中年の夫婦は、おや? というように顔を見合わせ、私達は鳥取よと言う。
 見知らぬ同士は誰でもそうであるように、仕事は何をしているかという話になり、私は一級建築士なんですと、夫は少しバツの悪い顔を見せて言った。
 同じような仕事ですねと中年の男は驚いた表情で、実は建築会社を経営しているのですと言って笑った。このところ、いろいろな問題があって、お互いに困ったものですなと、付け加えた。
 そんなこともあって、時々こうやって二人で旅行をするのですよと中年の男は話し、そうだねと目で言いながら連れの女のグラスにビールを注いだ。青いチャイナ服がよく似合い、細面で濡れたような目が大きいひとだった。
 夫は、名刺の交換をした。男のそれには会社の名と所在地、電話番号が書かれている。肩書きは専務取締役となっていた。
 話好きらしい男と夫は何本かのビールを空けた。連れの女は無口だったが、食事が終わると素早く立ち上がり、酒の計算は私どもの方にと、ボーイに告げてサインをしていた。
 では――とお互いに言ってレストランを出たが、エレベーターを降りて立ち止まった部屋は隣り合わせだった。偶然ですねと男は言い、少し照れたような顔をした。
 翌朝、仙台空港発午前八時十五分の成田行きに乗るためにホテルを出た。見上げた隣りの部屋の窓はカーテンが閉じられ、灯りも点いていない。
 まだお休みのようねと女は言い、二人で小さく笑いながらタクシーに乗った。
 仙台から帰るとすぐに、お酒のお礼にと夫の名で松江の銘菓を送ったのだ。
 宅急便は砂丘長芋が三本入っている。返礼だった。同封されたパンフレットには、長芋は山の鰻といわれるくらい栄養満点で滋養強壮野菜だと印刷されている。
 顔を赧らめた女は、送付票に書かれた電話番号をプッシュする。
 電話に出たのは、声からすると若い男のようだった。社長さん、ご在宅ですかと聞くと既に仕事に出掛けているという返事が返ってきた。
 じゃあ、奥さんをお願いしますと言い、暫く待った。お待たせしましたという声がした。若い女のようだった。
 社長さんの奥さんですか? と聞いた途端に息を呑む気配がし、あのお、母は五年前に亡くなりました……私は長男の家内ですけどという不思議そうな声が耳の奥に入り込んだ。
 手短にいきさつを話して宅急便の礼を言ったが、もちろん仙台で一緒だった女の話はしなかった。
 溜息をついて窓を開ける。火照った頬を撫でる風は、甘酸っぱい匂いがした。

◇作品を読んで

 この作品を読んで気が付くことは、会話が地の文にとけ込ませてあること、また、登場人物の名が出てこないことである。前者については、会話と地の文が明確になっていないから混淆文とも言える。
 普通に小説風の作品では、地の部分と説明文が大半で会話が従となるのだが、これは意図的にそれをなくしてみたものである。
 登場人物に名前を付けない試みのねらいは、読み手に行間の、あるいは文の裏側にいあるものを感じてもらいたいということである。
 二つの試みが、成功しているかどうかは、読み手に判断して欲しいと思う。
 文章は何をどのように書いてもよいのだから、そのような実験的な試みをして意見を聞くというのも面白いのではないか。