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  十月の青い空
                        田 井 幸 子  
                                                                                     平成18年10月19日付け 島根日日新聞掲載

 三十八年前の十月二日は、晴天だった。
 この日、大好きだった祖母が身罷(みまか)る。
 ぬけるような青空が校庭いっぱいに広がり、万国旗をはためかせたら、さぞかし映えるだろうと思われる、のどかな秋の日――。
 中二の私は、嫌いな社会の時間をぼんやりと過ごしていた。ようやくチャイムが鳴り、ほっとして教科書を閉じたとき、待ちかねたように前の扉が開いた。用務員さんだ。先生に何か耳打ちをしている。すぐに私が呼ばれた。
「田井さん、電話がかかっているので早く職員室へ行きなさい」
 よからぬ知らせに違いない。ここ一月(ひとつき)あまり、祖母が寝ついていたから。急いで駆けつけると、
「おばあさんが危篤なんだって。おうちの人は帰るように言っておられたけど、どうする?」
 すでに電話は切られ、事務員さんからそう告げられた。
「担任の先生にお願いしてみます」
 自分でも不思議なくらい、声が震えていた。
 先生は理科室だと聞いて、二階まで駆け上がった。その間にも涙が溢れそうになる。
(どうしよう。どうしよう。おばあさんが死んじゃう)
「先生、おばあさんが危篤だそうです。早退させて下さい」
 半泣きの声になっていた。ところが先生は、
「おばあさんって、同居してるの。えっ? ここから近いの。やっぱり行きたいかね」 
 のんびりと質問したりして。一分でも早く帰りたいのに。学校をサボリたくて、こんなこと言ってないのに。
 我慢していた涙がすうーっと流れ出した。それを見ると先生は、ようやく許す気になったらしい。
「かばんをして、今日はもう帰りなさい」
 と言ってくれた。
 祖母のうちまでは、学校から歩いて十分くらいだ。その間に私の家がある。教室からまっすぐ走った。家の中に荷物を放るように投げて、また走った。
 祖母の家の戸は開いていた。息を整えて入るのと、お医者さんが出てきたのが同時だった。無言のまま俯いた、顔見知りのお医者さん。
(間に合わなかったんだ。私を待ってはくれなかったんだ)
 一瞬の間をおいて、大きな泣き声が奥から響いてきた。伯母も伯父も泣いている。仰向けに寝せられた祖母に取りすがって泣いている。母は駄駄をこねる子供のようになっていて、私を驚かせた。
 ――これが死ぬということ――
 すでに父を亡くしていた私だったが、動かない祖母にふれたとき、生まれて初めて味わう悲しさに涙が止まらなくなった。

 おばあさんは、私のことを大切にし可愛がってくれたが、ただ優しいだけではなかった。教訓めいたことなど一言(ひとこと)も言わない人なのに、たくさんのことを教えてくれた。日々の暮らしは質素で清潔だった。愚痴もこぼさず、陰口もきかず、よく体を動かし美しかった。
 私が六年生のころ、跡取りの伯父が結婚し、小姑になる母の足は実家から自然に遠のいた。が、逆に私は若くてきれいなお嫁さんが気に入り、よく遊びに行った。お嫁さんはいい人であったが、母の評価は違った。私の耳に入ってくるのは、料理もろくにできず、かと言って外に働きに出るわけでもなく、うちのこともおばあさんにさせているという話ばかり。
 本当だろうか。だとしたら、おばあさんが可哀想だ。おばあさんは我慢しているかもしれない。
 そんな思いが高じたある日、祖母のうちへ行くと部屋の隅が散らかっており、ここぞとばかりに言ってみた。
「おばあさん、ここ少し汚いよ。掃除してある?」
 この言葉をきっかけにして、お嫁さんへの不満を一気に吐き出してくれるのを期待して。
 ところが、「ごめんねぇ」と謝りながら自分で箒を持ってきて掃き始めたのだった。私はただ黙って見ているしかなかった。子供のくせに知ったかぶりして、浅知恵を働かせ、おばあさんにいやな思いをさせてしまった。
 ――おばあさんのような人になりたい――
 はっきりと意識したのは、このときだったと思う。おばあさんの後ろをついて行くだけでよかった。呼べばいつでも振り返ってくれた。

 大人たちの号泣は、いつしかすすり泣きに変わり、それぞれの役割りに気付いて動き出していた。祖母を失い、とり残された私は否応なく大人への入口に立たされた気がした。子供に返った母と取り替えられたかのように。
 祖母が最後に教えてくれたのは、孤独ということ? 
 そっと背中を押され、私は大人の世界に踏み込んだ。

 今年の十月二日は、朝から小雨が降っていた。仕事の手を休めてふと外を見ると、いつの間にか雨は止み、空は青く澄んでいる。ゆっくりと深呼吸したくなる。
 青空を見て悲しんだ日々は、今はもう遠い。

◇作品を読んで

 三十八年前に亡くなった祖母の思い出を綴った作品である。
 書き出しの十月二日と結びのそれ、更に冒頭は、後に起こる祖母の危篤とは場違いなほどの長閑な情景で始まっている対比が上手い。学校に電話がかかり、緊張感が高まる。祖母の家に行くと、玄関で無言の医者と擦れ違う。「間に合わなかったんだ……」という呟きの後の「泣き声が響いた」という一文、また、「泣いている」などにみられる語句の繰り返しが、緊迫感をよく伝えている。続く祖母の回想から、再び現実に戻る構成も巧みである。
 人の死という題材を扱いながら、その中に沈み込まないのもタイトル選択のよさではないだろうか。