TOPページにもどる   ウエブ青藍トップにもどる

  蛍 狩 り
                        三島 操子  
                                                                                     平成18年8月10日付け島根日日新聞掲載

 月明かりに誘われて、木戸に出た。
 家の前を川が流れている。意宇川だ。今日の一斉川草刈りで、視界が広くなっている。川の流れは痩せて、物の干し竿ほどの幅だ。川面は月明かりを映し、白くのっぺりした表情を見せていた。
 夜になっても切り株から出る青竹色の残り香が、束になって川から這い上がってくる。不意になぎ倒された災難を嘆いているかのようだ。
 子どもの頃、夏になると毎日のように川で遊んだ。川幅いっぱいに流れる水は、堰の下などの水底を暗く隠していた。深すぎる所は水泳禁止にしてあった。近づくと水は冷たく、まつば色をしていた。好奇心に惹かれて行くものの怖くなり、つい叫び声を上げてしまう。いつも土手の上から叱りつける大人の大声で、きもだめしは終わりになった。
 子どもが川で遊ばなくなった頃からか? 葦などの川草が静かに川底に手を伸ばし、足を伸ばし川を占領しはじめた。気が付けば、流れの勢いはなくなり藻などを石にからませ、すっかり様子を変えていた。
 川草を刈るのは、梅雨の長雨に備えてのことだ。蔓延った川草は、川の流れを堰止める。水害が起きないようにするためだが、夏の前の大仕事だ。
 ゆらり、ふわり。あちら、こちらから蛍が舞い上がってくる。今年は例年になく沢山の蛍が飛んでいる。川面から川岸へ、川岸から川面へと川風に背負われるように飛んでいる。
 隣の木戸道から声がする。隣の小学二年生になるA子ちゃんと、そのお父さんだ。
「草刈りの後でも蛍が多いね」
 声が近づいてくる。蛍は刈り払い機を上手にかわしたらしく、昨夜と変わらない様子で飛んでいる。
「おばちゃん! 蛍は、どうして暗い方にばかり寄ってくるの」
  確かに――。防犯灯の明かりが届きにくい村道側に沢山いる。
「明るいのは、眩しくて嫌いなんだわ!」
「……」
 彼女を満足させる答えではないらしい。
 私が子どもの頃は夕食が終わった九時前になると、ヨモギの入った蛍かごを首から吊して祖母の手を引っ張り、川土手に急いだものだ。長靴を履いてタカギミの殻で作った箒を振り回し、声を上げて蛍を追いかけた記憶が蘇った。
 A子ちゃんのお父さんとは歳が離れているのに、同じような思い出をたぐり寄せて話が弾む。
 知り合いに、蛍を飼育、放流している人がいる。きっかけは、町の地域おこし活動だったようだ。十年を越える今も、初めの気持ちをそのままに、川の様子を気にしながら一人で幼虫の放流を続けている。
 彼の話によると、幼虫は四月頃、闇に紛れて水底から土のある場所を求めて這い上がるという。コンクリートで固められた堤防は、だから困るのだと話す。蛍が途中で力つきて死んでしまうのだ。見付けたら土のある所に移動させてやる。
 どうやって探し出すのか不思議だが、幼虫でもすでに光を提げているのですぐ分かるそうだ。今年も、コンクリートを這い上がるところを発見し、移動させたと話してくれた。
 蛍はきれいな水を好むというが、きれいすぎるのもあまり良くないようだ。昔のように野菜の下洗えが出来るくらいの水で、切れ端がゆっくりと流れて行くような川が一番良いと遠慮がちに話す。河床に沈んだ野菜に、ニナ貝が食らい付く。美味しい餌をたっぷり食べたニナ貝は沢山の子を産み落とす。それを、蛍の幼虫は餌にして育つ。
 ニナ貝は親指半分ぐらいはあるはず! それが蛍の餌? と聞いてみた。
「大きな貝に蛍が食らいついているのを見る事もあるが、子は小指の爪五分の一ぐらいかな」
 自分の爪を見ながら教えてくれる。では、ニナ貝も育てているの? 子どものような好奇心に負けそうだ。知らないことばかりが、恥ずかしくなって聞きたいことを我慢したままになっている。本気を出していろんな事を聞いていたら、A子ちゃんに教えてやれたのに残念だ。
 彼は今夜もどこかの川縁に立って、蛍の観察をしているはずだ。広くなった川幅を楽しむように舞い飛ぶ蛍を見ていると、小さな命を慈しむ労を惜しまない人がいることを自慢したくなる。
 川風が夜露を運んで来たのか、肩の辺りにひやっとした重さを感じた。
漂うように飛んでいた蛍が一匹、きびすを返すように鼻先をかすめると、インディゴ色の星空に向かうように、垂直に上がって行った。
 A子ちゃんは大人の思い出話に飽きたらしい。お父さんの手を引き始めた。急な力によろめきながら叱るお父さんの声は、笑っている。A子ちゃんの眠たそうな声とお父さんの優しい声は、蛍に見送られて遠くなって行った。
 堰を落ちる川音が大きく聞こえる。子どもの頃、潜って遊んだような水量はもう期待できないだろうか……。
 タカギミを作るような暮らしは無くなった。川草を牛に食べさせるような、農家の暮らしもとうの昔に無くなっている。川を浄化しているといわれる葦も、蔓延りすぎては水害を引き起こす。昔と変わってしまった事は沢山ある。けれども、普段の暮らしを近所の人たちと共有できる気持ちの平安は、豊かな暮らしぶりの一つに数えても良いのではないか―― と思う。
 今年も裏山のげしに、蛍ぶくろの花が沢山咲いた。蛍が飛び始める頃になると、律儀に〈きなり色〉の花を咲かせる。子どもの頃、寝る前のお茶を飲みながら、祖母が蛍を入れた蛍ぶくろの花をそっと手の平に乗せてくれた。
 川風の涼しい縁側には父も居た。父は機嫌が良いと、蓄音機を出してレコードを聴かせてくれる。叔母も嫁ぐ前だったと思う。水玉のワンピースを来ていた。つい下の妹は手ぬぐいで作った人形を抱いていた記憶がある。毎日のように来ていた近所の人の声も覚えている。母は一番下の妹を背にいつもお茶方だった。縁側は、いつも賑やかだった。今は縁側を全部開けはだけるような機会は滅多にやってこない。
湿りを含んだ青竹色の残り香の中に、両手を差し出す。蛍は指先のずうっと先を、川幅いっぱいに連れだって飛んでいた。

◇作品を読んで

 遠い過去になった高校三年生の頃、『蛍雪時代』などという受験雑誌を読んだことがある。雑誌の名前にも登場する蛍だが、旬の時期が短いことを喩えて、蛍二十日に蝉三日、などと言ったりするように古くから蛍は文化と結びついてきた。俳句、短歌、楽曲や地名にいたるまで蛍が登場する。蛍の光窓の雪≠ヘ、夏は蛍の光で、冬は雪明りで勉強するという意味だが、現代の少年少女には通用しない言葉かもしれない。
 作品の題名に使われているように、蛍鑑賞のことを「蛍狩り」という。
 この作品は、蛍狩りを題材に、隣の小学二年生A子ちゃん、その父親と作者の関わり、作者の住む農村の懐かしい風景を描き、更に、蛍をめぐる自然保護の問題にも警鐘を鳴らしている。いつもながら、うまい文章である。