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  鉄 棒 女
                        曽田依世  
                                                                                     平成18年8月3日付け島根日日新聞掲載

 天気のよい日でした。
 弁当を食べ終わると、校庭の鉄棒の下で昼寝をしました。寝転がって、秋の空気の心地よさを味わっていました。
 校庭のフェンスに沿って、鉄棒が並んでいました。高さ二メートルの高鉄棒が二連、それから、低鉄棒と自分たちで名前をつけた百五十センチのものが三連仲良く並んでいました。
 たぶん、三十年ぐらい前です。その当時私は、高校二年生だったと思います。体格がよく、高鉄棒にぶら下がると、地面に足が届くほど背がありました。
 鉄棒の周りは芝生になっていて、昼寝をするには、もってこいの場所でした。ただ、難点がありました。鉄棒の向こう側は、野球部の練習場になっていました。よく、ボールが転がって来ます。野球部は昼休みも自主練習をしていましたから、私は、ボールが転がってくると、体に当たらないように、居場所をずらさなくてはなりませんでした。ゴロが来ると、コロコロと体を回して鉄棒の支柱の脇に身を寄せました。ボールが、支柱に当たるとコンと鳴ります。支柱に当たらない時は門のようになった鉄棒の下を通り、フェンスに当たって止まります。
 フェンスにすがって本を読んでいるのは、先輩のHさんです。寄りかかったり、寝そべったりしながら、いつも本を読んでいました。別に、私とHさんとは示し合わせて、そこに、そうしているわけではなく、いつも偶然に一緒でした。Hさんの読んでいる本は、『燃えよ剣』です。何ヶ月も、同じものしか読んでいせんでした。ときどき、本が枕に代わっている時もありました。
「今日も、燃えよ剣≠ナすか」
「勉強をしなくていいのですか」
 起きているのか、寝ているのかわからないのです。Hさんは、私が話しかけても、返事をしなかったからです。ほとんど無視でした。私はそうされても、なんとも思いませんでした。私も、我がことばかり考える日々だったからです。Hさんが、側に居ることを忘れている時もありました。
 空は高く、雲はありません。陽射しは、ゆるいのです。秋の陽は、ゆっくりと私を焼いてくれます。
 目の横、わずか先に白いものが見えました。
「……」
 白い動物が動いた。一瞬、ウサギを思い浮かべたとたんでした。こめかみに激痛が走ったのです。
 脳みそが潰れた。瞬間に思いました。私は、今死んだのでしょうか。何も、悪いことなどしてもいないのに。そのまま、動けません。ゴーンという音が、長い(尾)を引いて体を襲っていたからです。声を出すことを忘れる痛さです。無言で仰向いて倒れていました。
 長い時間が過ぎたように思ったのですが、時計など見る暇はありません。ぼんやりした頭は、こんなことを思っていました。
(よかった、制服を着ていなくって)
(スカート穿いてないで、体操服でよかった)
 こんなカッコウ悪い様子を誰の目にも見せられない。そんなことなどです。
「すんません。Hさん。何か悪いことしましたか」
 へたくそな、野球部員が、さっと帽子を取る音がしました。Hさんと会話をしています。
「なんでも無いが。当たったのは、頭だけれど……ゴロだったし」
「すいません、何かあったら、直ぐに連絡してください」
「大丈夫だ。こいつは、鉄の女だ」
「それより、しっかり練習せい」
 私は倒れたまま、Hさんと野球部のへぼ部員の会話を聞き続けました。
 音無し走りで、大へたくそ野球部員が立ち去ると、猛烈に怒りがこみあげてきたのです。
「ちょっと、Hさん。頭蓋骨が骨折していたら、あんたが責任を取れ」
 Hさんに喰いつきました。
 Hさんは、ニヤリと笑って言いました。
「あんな、ゴロで、頭蓋骨が壊れーか?」
 秋の空は、終わりのない高さです。見上げた空に人工衛星が見えました。

◇作品を読んで

 文章は、敬体と常体のいずれかで統一して書くのが普通である。それぞれ特色があるので、文章を書こうとする目的によって使い分ける。です・ます£イは、全体の調子が相手に呼びかけるようになる。従って、敬体と常体のいずれで書くかという判断は、発想の違いからくるということになる。敬体で書かれたこの作品は、その効果を狙ったものである。
 作者の作品は、いつも短時間で書かれている。考えながら書くというのも一つの方法だが、表現方法はもちろん、会話の言葉≠ワでを作者は常に考えているのだろう。だから数時間で書けるのである。
 いつも何か面白い素材はないかと、目を光らせていることと同じである。文学教室受講者の作品は、そういう姿勢の中から生まれている。