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  振るマラソン奏者
                        篠原沙代  
                                                                                     平成18年7月13日・20日付け島根日日新聞掲載

 指揮者の岩城宏之氏が、二〇〇六年六月十三日の未明に亡くなった。享年七十三歳。NHK交響楽団を初め、世界中のいろいろなオーケストラで、指揮棒を振った人だ。
 ニュースで訃報を聞いた瞬間、
「えーっ? そんなはずない!」
 思わず大声を出してしまった。まだまだ生きる人だと思っていたのだ。もしかしたら不死身かも知れない、とさえ思っていた。
 岩城氏は、交通事故に遭ったり、様々な病気を患い、二十回以上もの手術を受けてきた。死の縁をさまよっても、その度にパワーアップして生還した人なのだ。
 私はファンの一人にすぎない。TVやコンサートで見て私は知ってはいるが、岩城氏は私の存在すら知らなかったはずだ。話したこともなければ、ファンレターを送ったことさえないのだから。
 岩城氏は、一昨年と昨年の二回、大晦日にベートーベンの交響曲全てを演奏する、という快挙をやってのけた。休みながらとはいえ、九曲で九時間以上の長丁場だ。『振るマラソン』である。走るマラソンより長い。丈夫な若い人でも過酷だろう。
 中継放送された。演奏会場にいるつもりで、TVの前にずっと座っていたかったのだが、そうはいかない。家族がいる。私は主婦だ。しかも、大晦日なのだ。
「まだ第三番」
「今は休憩中」
「やっと第七番」
 暇を作っては、TVのチャンネルを変えさせてもらい、進み具合を確認していた。演奏そのものよりも、岩城氏の頑張りを見たかったのだ。音楽ファンというより、単なる音楽ミーハーである。
「誰もやったことがなさそうだから」
 そんな理由で挑戦したらしい。この振るマラソン第一回は、二〇〇四年大晦日午後三時三十分に第一番をスタート、完奏したのは新年午前〇時四十分だった。
 岩城氏は、何年も前から体調が悪く、しかも高齢である。一日で全曲演奏は無理だと周囲から言われていた。それでも、
「ベートーベンのためなら、どうなってもいい」
 たとえ演奏の途中で何が起ころうとも、
「それも運命」
 として受け入れるつもりだったらしい。心底ベートーベンが好きなのだろう。
 最後の第九だけはぜひ見たかった。年の改まる少し前、もうそろそろだろうと、家族からリモコンを奪って、TVの前に陣取った。一楽章から、しっかり見て聴いた。
 昔はダイナミックな指揮をしていたが、今はあまり身体を動かさず、目や表情で指示する。だから、汗がほとばしるということはない。もしかしたら、汗が出なくなっているのかも知れない。
 ハラハラしながらTVを見詰め、演奏が終ったときにはホッとした。みごと世界初の偉業をなしとげた。憔悴しきってはいるが、喜びに満ちた表情だった。
「やった! マエストロ岩城、ブラボー!」
 TVの前で拍手しながら叫んでいた。
 本音を言えば、倒れる姿もほんの少し期待していた。岩城氏の不幸を願っていたのではない。棒を振りながら息絶えたら、指揮者として最高に格好良いと思うからだ。
 昨年の大晦日から今年の元旦にかけても演奏した。二度やったことで、これからは、毎年の大晦日の行事として、ずっと続くだろうと思った。岩城氏自身、少なくとも十年はそのつもりだと後に発言している。
 私も、振るマラソン視聴を、大晦日の恒例にしようと思った。TV権の時間を、少しずつ長くしようと目論んでいた。
 不謹慎なことに、いつか岩城氏がステージ上で、ベートーベンのために倒れることを期待していた。
「誰もやったことなさそうだから」
 そう言って行動に移すのは、音楽だけではないらしい。
 以前私が聴きに行った、オーケストラ・アンサンブル金沢を指揮したコンサートでのことだ。
 演奏の合間の休憩時間に、岩城氏がポリバケツを持って、ステージに現れた。燕尾服を着た岩城氏がバケツを持っている姿はユーモラスだ。
「えっ? 余興でもするの? クラシックのコンサートでそんなことする人いないよ」
 予想は外れた。その頃起きた災害による被災者へのカンパを、呼びかけたのだ。
「明日は何が起こるかわかりません。皆さんがここへ来ることができたのは、その余裕があるからなのです。お互い助け合いましょう」
 そんなことを言って、バケツを客席に回した。オーケストラの団員もカンパしたと言う。
 とんでもない誤解をしてしまった。恥ずかしい。 
 小銭を入れると最初はカランと音がするが、貯まってくればチャリンという。隣の人が入れれば知らぬ顔はできない。私も百円を入れた。会場は二千人収容だから、皆がそうすれば大した金額だ。
 コンサートの終りには、岩城氏が、集まった金額を報告してくれた。自分たちは時間に余裕がないから、明日、市役所へ持って行ってくれるよう、会場の支配人に頼んだ、と言った。ただ募金するのではない。きちんと結果を示してくれたのだ。
 何度もコンサートに行っているが、こんなことをしたのは岩城氏しかいない。せいぜいロビーに箱を置いて、募金のお願いをするくらいだ。
「誰もやったことがなさそうだから」
 良いと思えばやってしまう岩城氏らしい行動である。
「僕は僕のことを面白がっている。生まれ変わっても僕をやりたい」
 今から岩城氏が生まれ変わっても、マエストロになるころには私がこの世にいない。
 もう、岩城氏の生演奏は聴かれない。今年のベートーベン交響曲全曲演奏は、TVでも見られない、聴かれない。これからは、過去の演奏を見聴きするだけだ。
 七十三歳なんて早過ぎる。指揮者には長寿が多い。九十歳代での現役もいる。岩城氏には生きて、もっとずっと振り続けて欲しかった。

◇作品を読んで

 幾つかの作品に、作者は音楽に関する題材をよく使う。ひと月前に亡くなった岩城宏之氏を早速取り上げた。
 何度か書き直された文章は、すっきりとまとまっている。テレビのチャンネル争奪、あるいは指揮者が倒れるかもしれないという思いも素直に表現されている。
 岩城氏の考えや姿勢を語るのに、抽象的な言葉ではなく、たとえば、被災者へのカンパの話は適切なエピソードであり、読んでいて面白い。具体性がなくてはならないというのは、こういうことだろう。
 ベートーベンの交響曲全てを聴くということは、その作曲家のありようを知るために大事なことかもしれない。小説で言えば、一人の作家の大長編を続けて一度で読んでしまうことに似ているようだ。