老 い
高 橋 月 美
平成18年4月27日付け島根日日新聞掲載
萩咲くや坐席はじめて譲られし 秋日和のある日、ほとんど徹夜で書き上げた随筆作品を、いつも見てもらっている先生に郵便局から速達で送ろうと、バスに乗った。体はくたくただが、心はルンルン気分で、かなり高揚していたように思う。 「どうぞ、ここへかけてください」 乗りざまの席にいた見知らぬ女性から声をかけられた。まるで、待っていてくださったかのように、素早くさり気ない屈託のなさであった。四十代後半の方とお見受けした。 車内は満席のようで、空席を物色していた私の視線に気づかれてのご好意と思う。 「ようこそ、ありがとうございます。でも、長い時間ではありませんから、大丈夫です。どうぞそのままに……」 やりとりしている間に、後部に空席が見付かった。 「あっ、あそこに空席があるようですからまいります。ようこそのご親切、ほんとうにありがとうございました」 席に身を埋めてホッとしたと同時に、さきほどからのことを反芻していた。 せっかくのご親切を無にしてしまったのでは。あの場合、素直にお受けした方が。あんなにさり気なく、すずやかな風情で勧めてくださったのに……。お断りの仕様は、あれでよかったのだろうか。 それにしても、思いがけない時に、生まれてはじめて席を譲られた体験は、内心とても大きな衝撃だった。やはり、私の意識下で老いは大きいスペースを占めていたのだ。気付かなかった。 単細胞でこまやかな思慮分別の足りない私が、すんなり受容でき、相手を傷つけることなく、自分も相手を理解納得して切り抜ける心のゆとりを持てる自信は全くない。それだけに、却って気付かないところで、失礼な態度素振りがあったのではあるまいかなどと、反省、悔い、不安などが綯い混ぜに、私を苛むのだった。 でも、どんなに取り繕ってみても、現実、私は老いたのだ。席をゆずってやりたいと思われるほどに老いたのだ。 他人様から、お上手もふくめて年齢より若いと、よく言われて、いい気になってきたのだ。それなのに、気付かなかった自分の老いを知って、その迂闊さに愕然とし、あわてふためいたまでのことだった。 ああ、それは髪のせいか、顔の皺か、背の丸まりようか、また徹夜疲れのせいか――。いや、それらをひっくるめた、私の老いの象徴の全てなのだ。 まして、席を譲ってくださろうとした方のせいでは、なおのことないのだ。老いは人間等し並に来るということを思い上がって、忘れてしまっていたことを……。人生のひと区切りの時に開眼させていただいたのだ。遅まきながらも。 とつおいつ、矢継ぎ早に悔恨の情に身を捩ている間に、早くも郵便局に着いてしまった。感謝と衝撃のいまだ心の内にくすぶっているまま、あの方にお礼を申し上げてバスを降りたのだった。 花八ッ手われに出直す時の欲し あの日から、二十幾星霜が過ぎ去り、お名前はもとより、お姿を思い浮かべることも覚束ない。だが、さり気なく、すずやかな風情の方という記憶と共に、老いを自覚したあの日の鮮烈な印象と衝撃は、今、八十路半ばの私にほろ苦く、あたたかい思い出として懐かしい。 これから、老いを受容しながら、生きなければならない日々がどれだけ残されているのか身の知る由もない。 今までにも増して、次々に訪れる老いの衝撃に溺れてしまいそうになりながらも、生き続けたいと念じている。 |
◇ 作品を読んで
バスの中で老いを自覚させられたのは、二十数年前の六十代で、その衝撃は八十を超えた今になっても心に残っている。作者は、それを書き残しておきたかった。 書きたいことは、即ち、テーマである。俳句を嗜む作者は冒頭に「萩咲くや……」の俳句を置き、テーマをそこに凝縮しようとした。また、後半部にある「花八ッ手……」は、そこまでに書かれた作者の思いを的確に表現し、更に後段へと読み手を引っ張っていくものとなっている。散文の中に短詩形を使うことは難しいが、これはうまい構成ではないだろうか。 作家、内海隆一郎氏の作品に『静かに雪の降るは好き』という小説がある。津和野出身の俳人で、日本の脳外科の先覚者、田中瑞穂を描いた評伝である。タイトルは、「学問の静かに雪の降るは好き」という田中瑞穂の俳句からとられた。俳句の一部を表題にした好例である。 |