巣立ちの春
田井 幸子
平成18年4月13日付け島根日日新聞掲載
この春、二女が高校を卒業した。もうすぐ家を出て行ってしまう。こういうことを「巣立ち」というらしい。長女に続いて二人目だ。 思い出すのは、四つの小さなくちばしが覗いていた巣のこと。喜怒哀楽が、ぎっしりと詰まっていた。時々、身動きができなくなり、ヒステリーを起こしていた私。 そんな私を救ってくれたのは、二女がもたらす笑いだった。 あれは、彼女が四歳のころだ。 当時、長男九歳、長女八歳、三女はまだ一歳だった。本当に大袈裟ではなく、一分に一回はどこからかお母さんコールが聞こえ、その声に私はひっぱり回されていた。 呼ばれて、すぐに行くことはまずない。 「あとで、今、おむつ替えてるから」 「何? だめだめ、自分でしなさい」 「いいかげんにして。たまにはお父さんも呼んでよね」 いつも、こんな調子だった。 あのときも、二女が、お母さん、お母さんと連呼していた。 はい、はいと生返事ばかり繰り返す私に、いつか諦めてくれるのではと思っていた矢先、 「ピンポンパンポーン。お客様に、まいごのお知らせをいたします。○子ちゃん(自分の名)とおっしゃる、かわいいお子様がお母さんを探しています。お母さんは、すぐに二階までお越し下さい。○子ちゃんのお母さん、二階で○子ちゃんがお待ちです」 デパートのアナウンス口調をそっくり真似て、呼び出されてしまった。 一本取られた。私の負けだ。その手があったか。 ユーモアは、人の心を溶かしてしまう。 とろけた私は、かわいい○子を迎えに、階段をかけ上がったのだった。 幼稚園の年長さんになった春だった。 子供たちと私は、食後のひととき学校でのことなどを話していた。 「ねえ、今年、転校生やってきた?」 「うん、全校朝礼のとき、前に一列に並んで自己紹介してたわ」 「ふーん、それで……クラスにも誰かきたの?」 「女の子で、遠藤さんが一人」 と答えたのは長女。 「遠藤さんねぇ、下の名前は?」 「えーと、何だったけ」 「お兄ちゃんも、覚えてないの?」 「遠藤さん、うーん、遠藤、遠藤……」 そんな会話を黙ってじっと聞いていた、二女が突然、 「遠藤まめさん」 はあっ? 次の瞬間、エンドウマメを思い浮かべた私たち三人は、一斉に笑い出していた。二女だけは、してやったりの面持ちで、にこにこしている。三女もつられて笑った。笑った。笑った。 あれから十数年。 マメさん(失礼!)も今年、大学を卒業される。 巣立ちの春だ。 さてと、私は何をしようか。 思い出を片付けて、隙間ができた巣の掃除でもしようか。 ――ありがとう。私の四人の子供たち―― |
◇作品を読んで
桜の季節、旅立ちの季節である。希望と哀感が漂う。 「巣立ちの春」というが、たとえば、明治十八年までの東京帝国大学卒業式は、毎年のように十月から十二月にかけてであり、以後は七月である。学校の卒業時期が三月になるのは、明治三十年代であった。 かつて、巣立ちの季節は秋、または夏であったということになる。 しかし、やはり春は春、心浮き立つ季節である。夢と希望を持って、新たな時を刻みたい。そんな思いを込めて、作者は子ども達を見詰めながら書いた。 中心に据えられた二つのエピソードが微笑ましい。そして、終わりの段落にちりばめられた言葉が、作者の気持ちをよく表現している。 |