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  俺って ― 誰だぁ?
                                  森  マ コ
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 俺様の住処を聞きたいかい。仕方がないなあ。九楽寺って知ってるだろう? その庭にある蓮の池の中さ。
 俺様は、おたまじゃくしと呼ばれている。群になって、どろどろと跳ねている。親はウシガエルだ。きっとそうだ。違いない。なぜなら、四六時中、俺様の側で、もーもーと鳴いている大っきな蛙がいる。あれが父親に違いない。
 さっき、仲間と会議をした。父親は、どの蛙か? そんな議題だった。くだらない内容ではあったが、とりあえず、親はウシガエルだろうという結果におさまった。
 俺様は少し淋しい。他のおたまじゃくしには、手も足もまだない。俺様だけ、もう手が生えている。ここだけの話だが、実は足まで生えているのだ。さっきも、俺様のすぐ隣にいた小さい体のおたまじゃくしが耳打ちした。
「何で、もう、手があるのかな」
「黙れ」
 言い返した。
 よっぽど、足も生えているって言おうとしたが、もしかしたら、仲間はずしに遭うかもしれないと思ったから、言葉を飲み込んだ。
 俺様は窮屈だ。さっき、仲間をざっと見渡した。そろそろ手が生えてきそうな、おたまじゃくしがいた。
「ははあ。あいつ、手が出来てきたのだ」
 声を出そうと思った途端に、隣のおたまが、キッと睨んだような感じがした。またもや言葉を出せなかった。お前ら、うようよして睨むだけだろ。自己主張しないのかい。全く気分が悪くなるぜ。
 なーんにもする意欲が無くなってきた。仕方がない。きらきら光る水面に伸び上がって、ゲップをしてやった。水上はきれいだなあ。太陽様がぽかぽかと照って、睡蓮の葉っぱが船のように浮かんでいる。睡蓮に乗かっている雫が、ぽろんと転がって落ちた。
「おうい、太陽様、早く仲間に手も足も生えさせろ」
 叫んでおいて、水に潜った。ついでに屁もこいた。プクンと屁が泡になり、俺様の後から逃げていった。ああ、いい気味だ。
 一週間が経った。仲間のおたまじゃくしに手が生えた。やったぁ――そんな気分。早く足も生えろよぉ、生えてくれ、と心の中で経を唱えるように祈った。足の裏が、こそばゆかった。もうすぐ、仲間のおたまに足が出来上がる。俺様は足を隠さなくてもいいのだ。そっと、隠している足を手で触ってみた。嬉しいな。これで、人並みにおたまじゃくしになれる。太陽様が体のまん中を温めてくれたような気がした。ああ……極楽だよぉ。
「あーら、立派な吸盤ねえ」
「それほどでも、ないわよ。あんたこそ、蛙らしい顔つきになっちゃってさ」
「なに言うのよ。尻尾が取れてないわよ。まだ、子供よ。おたまじゃくしよ」
「早く、蛙になりたいわね」
 おたま同士は騒々しい。大人にならないおたまじゃくしは姦しい。くだらんおしゃべりを聞くのも、たまにならいいが、こう毎日だとうんざりする。
「俺様は、頭が痛いんだ」
 怒鳴ってみたが、あまりの騒がしさに声はどん詰まってしまった。
 またもや、気分転換をしたくなってきた。太陽様を拝んでから、何気なく睡蓮に腰掛けたところまではよかった。
 睡蓮の水玉に写った我が身を見て仰天。
 ぶるぶるっと震えた。俺様って、しっぽがある。まだ取れてない。ガーンときた。両手で顔を覆った。仲間はそろそろ、尻尾が取れているのに。再びショックに襲われた。覆った手の中にある顔。嘴がとんがってるぞ。歯も生えてる。蛙の顔じゃあない。じゃあ、一体、俺様って……睡蓮の鏡を恐る恐る覗いてぶったまげてしまった。第二次ショックというやつだ。
「げっ、俺様、何様」
 慌てふためいて、池から飛び出して手足をばたばたさせた。走っているぞ。鳴いてみた。
「がお、がお」
 なんで、もーもーと声が出ないのだろう。オチツケ、おちつけ、落ち着け。冷静になるのだ。駄目だ。どうしよう。
 滲んだ泪を通して、太陽様が笑っているのが見えた。太陽様――笑っている場合ではないでしょう?
「ポーっとしていなさいよ。どうにかなるさ。世の中、面白いよお、焦っても、どうしようも無い」
「クソ、くそたれ、鼻クソ、ばーか」
 そう言うのが精一杯だった。ついでにぶつぶつと、おたまじゃくしの生態を罵った。
「俺様、どうすればいいんだあ」
 陽が傾き、俺様の影だけが、ぽかあんと地面に間延びしていた。俺様は、九楽寺の蓮の池の畔でぼんやりとしたままだった。
 どこかで、話し声がする。
「なんだよお」
 叫んでみたが、返事はない。仕方がないので、しばらく待った。
 俺様を見下ろしているのは、二人の人間だった。お婆様は、えらい年寄りだった。もう一人は、曾孫だろうか。のんびりとした会話が聞こえる。
「ワニだよお」
「ばあちゃん、こんなところに、ワニはいないよ」
「いんや、ワニだよ。警察に電話しておくれ。ワニがいるからって」
「ばあちゃん、ワニじゃあないよ」
「いんやあ、ワニに違いないよお」
 どうやら、俺様のことを言っているらしい。そうか、俺様って、おたまじゃくしではなくて、ワニだったのか。そういえば、生まれた時から、手があった。足もあった。
 太陽様、それでいいの? 今日から、おたまじゃくしの名前をワニに変えれば、それでいいの?
「おばあちゃん、ワニはね、アフリカにいるのよ。あら、アメリカだったかしら。アマゾン川?」
「私までボケが来たのかしら。困ったものねえ……」
「もしもし、警察さぁん」
「やめてよ、おばあちゃん……。大きな声、出さないで……」

 太陽様が沈む。九楽寺の蓮の池は穏やかに、紫のベールで包まれて行くのだった。

◇作品を読んで

 かつて『ドリフの大爆笑』という番組の中に、『もしものコーナー』というのがあった。「もしも、こんな○○があったら……」というテーマで構成されてた。「もしも……だったら」というのは、発想法の一つである。あり得ないことを想定するわけだから、愚にも付かないと一笑に付されそうだが、これはSFやエンターテインメント小説構想の基本である。
 作者は、オタマジャクシが、もしワニであったならと考え、一つの物語を構築した。同質の群の中に異質なものが入ったらどうなるのだろうということであり、ワニは自分を支えてくれる太陽に語りかけるのである。
 作者の柔軟な発想に敬服する。面白さは、そこにある。
 理論物理学者アインシュタインは、「想像力は知識よりも重要だ」という言葉を残した。