年越しサンタ
篠原 沙代
平成18年2月23日付け島根日日新聞掲載
三月がかりで、手編みのカーディガンを仕上げた。娘への、遅れたクリスマスプレゼントである。 去年十月半ば、広島で行われた毛糸店主催の手編み講習会に参加した。講習作品がいくつか示され、講師がテキストと展示作品を用いて、編み方の要点をひととおり説明する。受講生は気に入った作品の糸を買って、実際に編んで詳しい編み方を教わる。 どんな作品があるのか、講習会場に行ってみなければわからない。気に入った作品がない場合もある。だから、講習会参加は賭けなのだ。 気に入った作品がなくても、最低一着分の糸を買うのが礼儀だ。講師は糸のメーカーから派遣されていて、講習会の主催者は、そのメーカーの糸を売るのが目的なのだ。受講する側としても、せっかく参加するのだから、一つは編む作品を見つけたい。 この講習会も、八着提案されていたが、残念ながら、 わー素敵! 編みたい! そう言いたくなる作品はなかった。 最近の講習会は、早く手軽に編めるよう、ベストの提案が多い。だが、私は袖の付いたものが好きだ。ベストは糸が足りないときに編むという気がする。せっかく新たに糸を買うのだから、充分な糸でセーターやカーディガンを編みたい。 妥協して、一作を選んだ。唯一のセーターだった。着てみると襟元が寂しい。丸ヨーク風の若向きデザインだ。 一緒に受講していた友人が勧めてくれた。 「娘さんのクリスマスプレゼントにしたら?」 糸と編地模様は気に入っていた。 『タスマニアンメリノ』という新作の糸だ。なんの変哲もないストレートヤーンだが、メーカーは品質に自信があるらしい。 世界でも貴重な、良質のファインウール。美しい発色! 肌ざわりバツグン! 厳しい条件をクリアし、手編糸業界で初めて認定された原料を使用しました パンフレットに、そう書いてある。 糸の質が良くて量も充分あれば、他のものを編むこともできるだろう。色は、最近娘が欲しいと言っていたベージュにした。 決定。 実際に編みながら、細かい注意点を訊いた。 欲張って、他の作品の要点も聴いておいた。講習会では、講師が必ず何か新たな提案をすることになっている。編む予定のない作品についてでも、いつか役に立つだろうの精神で教わることにしている。 家に帰って、娘に作品の写真を見せると、そのデザインは嫌だと言う。不安が当たってしまった。Vネックのカーディガンなら着てくれると言う。色は気に入ってくれた。編地模様は、習ってきたのと同じで構わないとも言った。 合意成立。 講習会どおりの作品であれば、そのまま編めば良いのに、大仕事になった。 手編みは、デザイン、製図、割り出し計算、そして編む作業から成り立っている。だから、実際に編むのは、仕事の四分の一なのだ。 娘が気に入っている既製品のカーディガンを、デザインやサイズを参考にして、製図をした。試し編みから、十センチ角の目数と段数を測り、そのゲージを元に、各部分の目数と段数、減らし目と増やし目を算出した。あとはひたすら編めば良い。編地模様がそのままで良いというのは助かった。 模様は、プロのデザイナーが、その糸の太さや性質に相応しいものを提案している。素人の私が模様を探すと、糸に合わないものを選んでしまうことがあるのだ。しかも、ゲージの目安がわかる。だから、できあがったものを着ているうちに、縦横の割合が異常になる、という心配は少ない。 いざ始めてみると、糸そのものは弾力があって編みやすいのに、模様が面倒だった。表編みと裏編みの単純な組み合わせなのに、よく間違える。 手編みは、普通、一段ごと交互に表と裏を手前にしながら編む。この作品は、裏からの操作で模様が決まるのだが、表に返さないと、模様の状態がよくわからない。表に返して、裏から編んだ段の間違いを発見する。数段編んでしまってから、気付くこともあった。 他人が見たらわからないような間違いでも、編んだ本人は気になって仕方がないものである。後々まで悔いるよりは、そのとき面倒でも、やり直すのをモットーにしている。間違いに気がついたら解いた。ほんの少しなら、そのあたりの目だけ、縦に解いて編み直すという横着もした。だが、たいていは、一目違うとずれるので、その段は全て間違いなのだ。 やがて気がついた。 元の作品は、首からぐるぐる回りながら編むので、袖と身頃との分かれ目までは、表だけを見ている。身頃は、その先も前後を一緒にして、また表だけを見ながら編むのだ。ところが私の作品は、往復して編まなければならない。だから編み難かったのだ。 身頃を完成した時には、もうこれ以上編むのが嫌になった。だが、袖だけ違う模様にはしたくない。根性で編み上げようと思うのだが、糸に向かうのが苦痛になった。 そのうち指先が割れてきた。オールウールの糸なら指先が割れないと豪語していたのに、空気が乾燥しすぎていたのだろうか。両手の親指と爪との境の角に亀裂が入り、割れてしまった。 痛くもあり、血が滲んで糸が汚れるので編めない。指先用ガーゼ付き傷テープを巻くが、感覚が鈍くなる。事務用のページめくり指キャップを二センチほどに切って、指に被せてみた。薄いので感触もよく、糸も汚れない。だが、ゴム製だからなのかすべりが悪い。裏表を反対にしたら少しは良くなった。それでも編みにくい。 この作品でやっていた棒針編みは、左親指の先を針が掠る。そのとき指キャップに針が当たると、動きが悪くなる。編むリズムが狂ってしまう。 手編みが、いかに指先を駆使しているか、よくわかった。 気がつけばクリスマスは目前だった。年末年始は、暇な主婦でもすることが山ほどある。編み物に専念できない。急いで粗末に仕上げるより、遅れてでも、納得できる作品にしたかった。テキストどおりに編んだのではない。気に入った糸で、きちんと製図や計算をして編んだのだ。 我が家のサンタさんは、年を越してからやって来た。 クリスマス前にやってくるあわてんぼうのサンタクロース≠ェいるのだから、遅れてやってくるのんきなサンタクロース≠ェいてもいいではないか。 世界にたった一枚しかないカーディガンを、娘は親への義理と人情で着てくれている。 |
◇作品を読んで
作者は編み物が得意である。ある講習会に行き、家族のためにセーターを編むことにした。「決定」という文字が、その気持ちを十分に表現している。「合意成立」、「やがて気がついた」という一行にした表現上の技術も、作者の思いを的確に伝える方法でもあった。 短い一文は、切れ味がよいが、過ぎたるは及ばざるがごとしというように、多用すると効果は薄れる。作者は、そのことをよく承知して使った。 この作品で作者が配慮したのは、編み物の専門用語が文脈の中で読み手に理解してもらえるかどうかということだった。編み物をよく知っている人ばかりが読むのではない。書き直しが行われた中で、作者は意識して修正していった。それは、読み手を意識して書くかどうかでもある。随筆、小説、紀行文、ブログに載せられる日記など、発表を目的とした文章は全てそうでなくてはならない。 |