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  まさか? 超能力
                                  田井 幸子
                                                                          平成18年1月18日付け島根日日新聞掲載

 自販機の前に立ったまま、ヨシ子はじっと手の平に並べたコインを眺めていた。十円玉が五つ、さっきから何度も数えているのだが、五十円しかない。おかしい。
 初めに百円玉を一枚入れ、六十円の牛乳を買った。釣銭四十円と牛乳を取り出した。次に左手に握っていた、もう一つの百円玉を入れてスポーツドリンクのボタンを押した。
 出てこない。チャリンというコイン一枚の落ちる音がした。戻ったコインをまた入れた。二度繰り返し、そこでようやくおかしいと気付いた。
 ちょうど百円なのだから、釣銭切れではない。売切れの表示もない。もしやと思い、つまんだ百円を見ると、十円。
 十円玉? そんなはずはない。財布からは確かに百円玉二個を抜き取り、自販機コーナーへやって来たのだから。
 次の日。 
 自分に任されている手下げ金庫の中味を照合していた。現金は釣銭として、常時一万円分だけ入れてある。日々の入金は少ない。この日も、わずか四枚の領収証控えと、現金が三万九千五百円だけ納まっていた。
 五分もしないうちに数え終わった。
(うっ、五十円、現金の方が多い)
 もう一度ゆっくりと数え直した。同じだった。領収証の一枚一枚を眺めて思い出そうとするが、どこでどうなったのかはっきりしない。五十円の釣銭間違いもなさそうだった。おかしい。
 超能力……。
 ヨシ子の頭に、突然、その単語が浮かんだ。昨日は百円玉が十円に換わり、今日は、五十円玉が百円になったのだ。だから五十円多い。
(ああ、これから私は現金の取り扱いができないのだ)
 本気で、そう思った。
 しかし、自分にはお金を換える超能力があるなどと言っても、誰が信じてくれるだろう。
 現金が合わなかったことを上司に報告した。
「五十円か。しかたないな。これからは、ちゃんと確認してよ」
 それで、仕事は終った。
 アバウトな会社だ。形だけ謝って、ヨシ子はバス停へと急いだ。普断は車通勤だが今夜は友人との飲み会だ。
 久しぶりに乗ったバスは、意外とすいていた。目が悪いヨシ子は前の席に座り、まず運賃を確かめた。
 二百十円。
(へえー、値上げしたんだ。この前、乗ったのはいつだったかな)
 そんなことを考えながら、ヨシ子は財布からきっちり二百十円を取り出した。
 昨日からの出来事が、チラッと頭をかすめた。ハンドパワーはまた起きるのか。ヨシ子は、よくよく確かめ、握り直した。
 やがて目的のバス停が近づいた。JR駅前のため、どうやら数人が降りる気配だ。ヨシ子は一番に立ち、停まると同時にお金を運転席横のボックスに落とした。
 そのまま向きを変え下りようとしたとき、呼び止められた。
「ちょっと、お客さん。百二十円じゃあ、ありませんよ。足らないけどね」
「えっ? 私、二百十円入れましたけど」
「困るなあ、ちゃんと見てよ」
「だって、手に握っていたのは、二百十円でしたよ」
 そのとき、後から声がした。
「早くしてよ、おばさん」
「おばさん?」
 振り返ると、薄毛で額を無理に隠した中年男が並んでいた。
「おばさん……て、私まだ二十五よ」
「嘘だろ。どう見たって、あんた五十超えてるよ」 
 頭にきたヨシ子は、財布にあるだけの小銭をそこにぶち込むと、運転手の声を振り切って降りてしまった。
 ハイヒールの音だけが、いつまでもカッカカッカと付いてきた。
 二分も歩いただろうか。約束の居酒屋に来た。最近できた、女性客をかなり意識した洒落た店だ。中に入ると、すでに小夜子とつる子がカウンターを前に座っていた。
「ごめん、待った?」
「私たちも、いま来たところ」
 三人は、めいめい好きな物を注文し、とりあえず生ビールで乾杯した。
「ふーう。私、さっきバスの中で嫌なこと、あったんだ」
 怒りの納まらないヨシ子はすぐさまバスの中のできごとを話しだした。そうなると、昨日からの不思議なコインの一件も黙っているわけにはいかない。全て話し終わるころには、ビール二杯を飲みほしていた。
「ちょっと、待って。ヨッちゃんは独身だし、子供も生んでないから、若くは見えるけど、二十五才はないでしょ」
 小夜子が食いついてきた。
「遠目で見て、せいぜい三十五よね」
 すぐにつる子が言い足した。
「ヨッちゃん、あんた勘違いしているのよ。百円玉も初めから十円だったって。いやいや大丈夫。あんただけじゃないから」
 小夜子が変ななぐさめ方をし、割り箸の袋に鉛筆で何やら書いた。
「いい? この字読んで見て」
「ソープランド」
 ヨシ子は小声で読んだ。小夜子とつる子は顔を見合わせ、頷いている。
「やっぱりね。私も最初、そう読めたのよ。これは、ソーラープロ。プロダクションの名前よ。私、この看板を会社の近くに発見したとき、びっくりしたわ。でも、よく見るとソーラープロだもの。私たちも五十過ぎたんだから、ボケてきたのかな」
「……」
「認知症の始まりかもね。脳のシワがだんだん顔の方へ……」
 つる子が恐いことを言う。おまけに(ヨッちゃんは52才)と、もう一枚の箸袋に書いて、ヨシ子の手に握らせた。
 納得したわけではないが、なんだかもう面倒くさくなってきた。ビールはやがて焼酎のロックに変わり、三人はよく食べよく喋った。ありがたいことに、独身のヨシ子を気遣ってか子供や旦那の話は出なかった。会社の上司、取引き先のイケメンを話題にするうち、ヨシ子はうとうととし始めた。
 焼酎の回った頭の中に、百円玉・牛乳・バス・ソープランド・おばさん・認知症・ハンドパワー・超能力といった単語が渦巻いた。
「ヨッちゃん、ヨッちゃん、帰るよ」
 ゆり動かされて目を覚ましたヨシ子は、左手の中に握っていた紙を広げた。
(ヨッちゃんは25才)やっぱりそうだ。満足の笑みを浮かべたヨシ子の口から滴るものがあった。
 それは、ちょうど2の上に落ち、ヨシ子は5才になった。

◇作品を読んで

 小説という形で書かれているが、題材のある部分はどうやら作者の体験のようだ。かといって、作者に超能力があるというわけではないが、そうありたいという思いがタイトルにも出ていて面白い。
 絵画や書と違い、文章は全てを読み通さないと全体がつかめない。読んでもらうためには、まずタイトルで読み手を引き込む。タイトルは一行だが、内容と同じ比重である。作者は、「まさか? 超能力」と読み手に呼びかけている。
 何気ない経験や出来事を面白いと思った瞬間は、物語や随筆が誕生する時である。それを見過ごすか、捉えるかという目を持つように日頃から訓練する、姿勢を持つことが大事ではないか。
 後日談がある。作者は初詣に行った。百円二個と十円玉六個を持っていたが、神社に着くと、百円玉はそのままで、十円が五個と五百円玉一個に変わっていた。本当に超能力かもしれない。