旅の重さ
三島 操子
平成18年1月12日付け島根日日新聞掲載
腰から背中あたりを突き上げるような鈍い衝撃に、到着した安心感が広がる。小さなざわめきが大きなうねりになって機内に広がっていく。 ソウルの仁川空港に着いた。窓の外にアジアのハブ空港となった建物がだんだんと大きくなってくる。 一本の韓国ドラマが、私の中にあったその国のイメージを大きく変えてくれた。柔らかい言葉と、時々聞こえる日本語と同じ発音。慎み深い愛情に美しい風景。 友人と、繰り返し繰り返し話題に乗せる内に「行こう」と決まるのは早かった。行ってみれば熱にうなされたようなブームは終わっていたが、見覚えのある風景の中ですれ違う人と思わず挨拶をしてしまう。これもドラマの取り持つ縁と納得した。 高校生と思われるグループに呼び止められた。 「すみません。一緒に写真に入っていただけませんか」 リーダーらしい男の子が、一言一言噛みしめるようなゆっくりとした日本語で話してくる。 「私の言っていることが分かりますか?」 真っ直ぐな眼差しが眩しい。 韓国と島根県の緊張が突然に高まった、そんな最中の訪韓だ。躊躇している間に取り囲まれてしまい、「キムチ――」と言いながら写真に収まってしまった。日本で流れている映像から感じていた韓国の印象が、少し変わった。 ドラマの中で主人公が学校を抜け出してデートした場所では、遠足に来ていた中学生の女の子の集団にも捕まった。 「日本のどこに住んでいるの?」 「私に話しかけてみて……日本語習っているの」 ゴム鞠にも似て、飛び跳ねるような表情に、つい後ずさりしそうになる。身体全体が、好奇心をさらけ出している。可愛くて、可愛くて頬を引き寄せたくなる。 襲いかかるような熱気の集団からやっと解放された。額から耳の辺りを撫でていく風が気持ちよい。身体の火照りが、徐々に疲れに変わる余韻の中でもっと沢山のことを話してみたかった≠ニいう気持ちと、こんなに近い国を知らなすぎる≠ニいう思い、島根県に住んでいるよ≠ニ言えなかった痛みが、重たい溜息となって足元に転がった。 そんな思いが、韓国行きのチャンスを引き寄せたらしい。 一年の内に二回来るとは思っていなかった空港が、秋の優しい陽を受けてベビーブルーのウイングを大きく広げている。 空港からソウル市内に向かう高速道路をリムジンバスで移動する。車窓からは、漢江を渡った先の高層ビル群が見える。海面から二十メートルの引き潮で海底が出ている。波に削られ、異様な姿の岩石が連なる干潟を見なければ、ここは日本国内と錯覚しそうだ。 混雑するソウル駅に入る。日本では、ファッションとして目にする迷彩服の若者が目につく。自衛隊の海外派遣の制服で知っている格好と同じだ。恋人だろうか? 寄り添い、見上げるようにして話しながらすれ違って行く。服装のせいだろうか! どの若者も胸を張って、しっかり生きていると主張しているように見える。 駅の階段の踊り場で、四、五人の酒盛りが始まっていた。すれ違った時、酒瓶が飛んできた。緊張したが仲間同士の喧嘩だと、韓国のガイドさんに説明された。仕事のない人が集まり、酒を飲んでいるとか――日本をしのぐ勢いに、吹き飛ばされている人の寂しさを見たような気がした。 今回は新幹線を利用して慶州と、自由の橋を渡った非武装中立地帯の手前、有刺鉄線で分断された地点と、ドラ展望台(北朝鮮遠望)がメインになっている。今度もまた、旅行会社の配慮で島根県名を出さない旅になってしまった。 太く巻かれて横たわる有刺鉄線越しに、刈り取りの終わった中立地帯の田園が見える。眺望する場所に続く五十メートルほどの長さの橋は、自由の橋と呼ばれている。歩みを止めた前に立ちはだかる金網の壁面には、おびただしい数の手紙とメッセージや韓国旗が霧に濡れていた。届けとばかりに靴までくくりつけられている。ここにやって来る韓国の人の現実と、観光で来ている者の現実の乖離に打ちのめされた。そんな気持ちを引きずりながら、ドラ展望台(北朝鮮遠望)から北を望む。眼下に横たわるイムジン川の向こう三・五キロの所に北朝鮮の山野が広がるはずだった。双眼鏡がずらりと並ぶ鼻先は、地平線かと錯覚するようなミスト・グリーンの霧が幾重にも重なり合って、ビクともしない。河の音、風の音、生活音がいっさいしない。風景さえも想像させないような、曖昧さのない空間にはね除けられてしまった。 「いつか、もう一度ここに立って欲しい」と言うガイドさんの気持ちを、素直に頂いた。 朝鮮半島は、幾多の侵略と戦争に巻き込まれ、植民地時代を経てついには南北に分断されたこと。休戦状態とはいえ、国の予算の三分の一が国防予算であること。二年の徴兵が若者に課せられていること。朝鮮半島の歴史を語りながら、ガイドさんの言葉の端々に乗せられる平和であることの願いは、日本で聞く言葉とは違った重さを持って伝わってくる。 流暢な日本語で、訴えるような説明を聞きながら、韓流の流れに乗って届く微笑みの中に隠してある韓国の厳しさと、平和への渇望をズシリと感じていた。 そんな気持ちを持って聞く日本のニュースでは、国対国の話が出来ない環境になっているという。一方だけを見ずに、あえて自分とは違った意見に耳を傾け、今という二度と来ない時を共有し、出会い、語り合い、ひとり孤立しては生きられないという素朴な気持ちを持つことは、難しいことだろうかと思ってしまう。 今年の旅は、いつもとはちょっと違う、重たい土産を抱えて帰った。 |
◇作品を読んで
日頃から多様な社会活動をしている作者は、続けて二度の韓国訪問をした。出会った高校生や中学生、案内してくれたガイドとのやりとり、ソウルや緊張感を孕む境界線などの風景を鮮やかに描いている。そこに作者は、激動する日韓の国際問題を乗せて書いた。タイトルの「旅の重さ」、終末に書かれた「重たい土産」の「重い」という言葉が、それを的確に表している。 紀行文の成否は、表現する力、つまりは文章力にかかっている。風景や思いの表現が的確でなくてはならない。更に、リアリティがあるかどうかである。そのためには、自分が旅をした場所に読み手を立たせるという気持ちで書くことではないか。 きっちりと書き込まれたこの作品が、それを表している。 紀行文に限らないが、どんな分野の文章であっても、読み手を意識して書くということは基本であろう。 |