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  徒歩三十分
                                   遠山 多華
                                                                          島根日日新聞 平成17年12月1日付け掲載

 川跡駅まで、我が家から歩く。
 もともと健脚を誇っていたけれど、今年になってから急に右膝が痛み出して困っている。外出も思うにまかせず、遠出も無理になって大ショックである。それでも、整形医へ通うため、一キロほど歩くことには差し支えはない。
 医師に聞いてみると、軟骨の減少という異状は回復が難しいようである。とにかく、意識して上手く膝の痛みと付き合おうと臍を決めた。
 川跡駅までは看護短大の道路を一直線なので近いようだが、しかし、この頃は妙に遠く感じるようになった。やはり齢のせいかと思う。
 車道と歩道を分ける境界の並木は櫨(はぜ)で、紅葉が眩しい。振り返ると、北山も紅く染まり、艶やかな秋を謳歌している。私の家は北山の麓だから、こんな風情は視野に入らない。
 徒歩で出かけると、素晴らしい秋を見付けることが出来る。途中、境界のブロックに座って一呼吸。いつもの決まった私の行動である。それが、不思議にも野地蔵さんの前である。一丁地蔵さんが、昔のままに残されているが、時には、蜜柑の一つも供えてある。この地蔵さんが、鰐淵寺まで続いている。しかし、風雨に晒され、男前も定かではないようになっている。
 数十年前のことである。亡くなった主人も私も若かりし頃、このお地蔵さんを辿り、伊努谷越しで鰐淵寺へお詣りしたことがあった。主人も小柄なわりに健脚だった。石段を登るのも苦痛ではなかった。
 季節と折り合わず、境内にある数千本の紅葉には遭遇しなかったが、弁慶が運んで来たという釣鐘があり、秋にはその伝説を再現する行事が残されている。弁慶といえば牛若丸と義経で、それにまつわる話は、今も語り継がれている。ドラマに人気が集まるのも宜なるかなだろう。
 帰りはさすがに平田廻りのバスにしようと思ったが、バス停迄は距離があり過ぎ、結局、下り坂は楽だろうと、そのまま引き返した。遂に往復を徒歩ということになったが、さして疲れもしなかった。仏様のご加護もさりながら、まだ二人共若かった。
 北山の風情に目を凝らしながら、そんな過去を偲び、追慕のひとときを過ごす。
 短大近くに道路が出来て、大助かりだ。田圃の中の小径もあるけれども、雑草に足を取られることもあるので、車も繁く通らない道路が安全である。大股に歩幅を確認しながら、踵から先につけ、反り気味に真っ直ぐに歩く。自ずから速度も速くなる。私なりの歩き方だが、果たしていつまで続くのか。
 川跡駅まで普通に歩けば二十分のはずだが、三十分以上かかることを予測し、電車に乗り遅れないように時計を確認しながら歩く。悠々自適とは、こんなことをいうのかもしれない。
 のんびり型も雨や雪の日は駄目であり、晴天の日に限られる。
 足にまかせて歩き続ける。そんな倖せを噛み締めながら。

◇作品を読んで

 高齢になると俯き加減で歩くようになるのは、体を支える腹筋や背筋が衰え、背筋を伸ばすことが出来なくなるからだという。前屈みの姿勢で視線を足元に落としているから視野も狭くなり、視力や聴力の衰えもあって交通事故に遭う率が多くなる。
 この作品に、かつては健脚であったと書かれているが、作者はまだまだお元気である。歩行方法も意識して踵から先に足を地に付けて反り気味に真っ直ぐに歩くから、周囲の風景にも目がいく。
 川跡駅までは三十分かかる。遠い距離を負担にも思わず行き来するのは慣れもあるが、結局は、行き帰りの道が楽しいと思うから歩けるのである。
 徒歩で出かけて見付けた秋と、かつて鰐淵寺まで往復したことの思い出から、歩くことの喜びが淡々と書かれている。