予 感
三島 操子
島根日日新聞 平成17年11月8日付け掲載
十月に入っても、涼風の気配がない。 三十度を越える気温のせいもあって、外に出て働こうか! という気にならない。それではと、パソコンの前に座ってみても、なぜか体が落ち着かず気持ちの邪魔をする。 思い切って作業着に着替え、畑に出た。昨日の朝、花だけを残して収穫したと思っていたオクラが、もう実を膨らませ採り頃になっている。一回の料理には余る量だ。白蕪は、間引きのあと土寄せをしたので、ふた回りほど大きくなった。大きいのは、直径七センチぐらいまで育っている。あかくら蕪は、髭根の部分を土の中に隠し、蕪は赤く土の上に座っている。すぐにでも食べられそうだ。甘酢漬けにするため、五株ほど引き抜く。葉は虫に食べられ、レース状になっている。葉の重なり合った部分に、緑の糞が付いている。虫の攻撃を受けているのだ。消毒をしていないので安心して、葉の上で食事を楽しんでいるのだろう。それにしても見事な葉脈のレースが出来ている。 目を凝らし、顔を土につけるようにして探す。葉の裏にオリーブ色の大きさ一、五センチほどの虫がいる。腹をレモン色の雫のような線で飾っている。葉を揺らすと危険を感じたのか、丸く身を縮めて土の上に転がった。黒ゴマを少し大きくしたような虫も同居している。 例年に比べ虫の数が多い。意地になって用意したビニール袋に入れて行く。ビニールの袋の中が、薄く曇って来るのが励みになって来た。 暑さの続く中、耕耘し、種を蒔き、水を取り、やっと食べられるようになったのにと、意地の悪い感情丸出しでつまみ、袋に入れて行く。 ほうれん草は四回蒔き、やっと芽が大きく伸びて来た。蒔いても、蒔いても芽が出ないので、近所のおばさんに聞いたら、二十度以下にならないと芽が出にくいそうだ。 冷蔵庫に入れて種を騙してから蒔く人も居るとか……。 「昔は、そんなことをしなかったのにね!」 体にしがみついているような暑さの続く日を嘆きながら、教えてくれた。 顔の周りをうるさくつつく蚊は、夕方になると人の仕草を真似るのか、家の中に入り込んでくる。まだ蚊取り線香が欠かせない。町内のマーケットでは品切れになっているそうだ。気温が年々高くなっている事を、自然は教えてくれている。 大根も一本抜いてみた。気温が高かったせいで、土の中にいる虫が舐めて傷を付けている。それでも頑張って、私の手首ぐらいの太さに育った。今晩の食卓に載せるのには十分だ。 白菜は百株ほど並んでいる。白菜も虫たちにとっては美味しい野菜らしい。 朝食時は、母が朝仕事で退治した虫の報告が日課だ。 畑を虫に荒らされる愚痴と一緒に聞く退治した数は、聞いて気持ち良いものではない。誰よりも、立派な野菜を生産することが、生きがいであった母にとっては、何としても退治しなければならない相手のようだ。 母の手から逃れた青虫は、白い蝶になって白菜の周りを飛んでいる。風に乗り、葉の間を泳ぐ蝶は愛らしい。青虫退治の手を休めてしまいそうなほど可愛らしい。 だが、ひらひらと踊りながら、青虫になる卵を確実に野菜に産み付けているのだ。 せっかく育てた野菜だ。守るために消毒すれば、ほぼ解決できる。簡単だ。 土の持つ力で、残留農薬の心配ない野菜を作ろうと言い出してから二年が近い。そうして作る野菜の器量は悪い。店頭に並ぶ野菜に少しでも近づきたいと、努力を惜しむことなく働いてきた母には、熱意がないと見えるのだろう。衝突ばかりだ。 三十アールの畑を今のやり方で維持していくのは大変なことだ。自分でやってみて分かった。虫たちの生きる力の前には多勢に無勢で、手が回らない所が出来てきた。 バッタ、こおろぎ、かまきり、とんぼ等々、たぶん……生命を引き継ぐだけのために生きているもの達に、一草一木の畑があっても良いのではないかと思い始めている。そんな場所には、せいたかあわだち草、ススキ、雑草の山が出来る。風からのプレゼントで、コスモスの種でも届けば本当にありがたい。 こんな事を思う一方で、雑草ばかりになってしまったらどうなるか! そんな現実も身近な所に見ることが出来る。自然の風景として受け入れる気持ちの用意が、どうしても出来ない。 祖先からの田畑を引き受け守って行くことが、農家に嫁いだ母達の人生だった事を思えば、引き継いだ私の手を早々に放すことには躊躇する。引き継いでいく責任は重たいが、次に引き渡す事が増してや大変なことが分かってきた。個人の努力だけでは解決出来ない。そんな予感がする。 蕪の葉に付く虫と白菜に群がる虫、オクラに付く虫、大根を舐める虫、一寸の虫にも魂があるのは承知できているつもりだが、今しばらくは敵対関係を崩すわけには行かない。当座は、目の前に見える虫退治が先決だ。 肩に掛かる重たい荷物に悶々としながら、虫をつまみ上げている。 そそっかしそうな風が、どこからか金木犀の香りを鼻先に届けてくれた。 思いっきり腰を伸ばすと、見上げた空からゆっくりと、秋が降りてきた。 |
◇作品を読んで
既に十一月も半ばになった。季節的には少しずれてはいるが、作品は十月に書かれたものである。 作者は少なくとも月に一つの作品を書こうと決めている。いきおい題材選びに慎重になり、何回も書き直しを重ねて、言葉にも心をくだく。 作者は農家の主婦であり、町のボランティァ活動にも精を出す。 そんなある日、畑に出てみた。収穫しなければならない作物が待っていたが、虫がついている。虫も懸命に生きているのだなと思う作者の優しさもちらりとうかがえるが、収穫する側としては、そうも言っておられない。思いは、そこから農家の将来に向かう。 幾度となく書き直されたこの作品には、いつものように光る言葉が散りばめられている。難しい言葉ではなく、ごく普通の言葉を生かす術を作者は心得ている。それは描き続けることから生まれるはずだ。 |