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  おばあさんたちのマイカラー
                                   佐原 茜
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 曾祖母は、今年九十八歳になった。今に至るまで、会ったことがない。
 いまどき、この出雲から見て、曾祖母の住んでいる東京は最果ての彼方ではない。どちらもが、会うことに積極的でなかっただけである。
 成人式の写真を送ったのがきっかけで、去年初めて敬老プレゼントをした。ちょうど編み物を習い始めたので、作ったものをあげたいという気もあった。
 曾祖母の娘は今年七十八歳。松江に住んでいるから、しばしば会いに行く。敬老の日が来ると、毎年のように心ばかりのプレゼントをしている。
 松江の祖母は地味好きな人だ。いつも茶色やベージュの服を着ている。最近は寝たきりの祖父を介護するため、パンツばかり穿いている。しかも、トイレですぐに用が足せるよう、ウェスト総ゴムがお気に入りだ。白髪をひっつめにしていて、洋服より作務衣の方がよく似合う。衣服の模様に少しでも赤っぽい色が混じっていると、派手だと言って嫌がる。
 三日前のことだった。遊びに行くと、買ったばかりだというパジャマを両手でつり下げ、矯めつ眇めつ悩んでいた。
「何してるの?」
「ボタンの臙脂色が気になるのよ」
 買うときは茶色だったのにと言う。店の蛍光灯のせいだろう。微妙な違いで、自然光の中で見ても、茶と思えば茶色、臙脂と思えば臙脂色だ。
「派手じゃないかしら?」
「かなり黒っぽいから大丈夫よ」
「だって、これは赤だよ」
「パジャマよ。誰が気にするの?」
「でも……」
「じゃあ、私が返してきてあげるわ」
 嫌だと思うものを着て寝ても、楽しい夢は見られないだろう。私が手早く袋に詰めると、祖母は安心したような顔を見せた。
 去年の敬老プレゼントには、帽子を二つ編んだ。祖母と曾祖母用だ。
 祖母の好みはだいたいわかるが、それでも色選びは苦労した。考えた末、おとなしそうな薄茶色に決めた。
 曾祖母は祖母よりひと世代上で、母親だ。となると、地味の地味ということになりそうだが、それはどんな色なのだろうかと思案した。
 きつい感じの色は私が嫌だ。私のおばあさんたち≠ノは優しい色を身につけて欲しい。結局、淡いカーキ色にした。薄茶色と似たような雰囲気だが、ほんの少し華やかさがある。派手と言われたらどうしよう。心配だった。
 祖母には、直接手渡した。
「ありがとね。早く冬にならないかしら。寒くなったら、出かける時はいつも被るからね」
 曾祖母には郵送した。礼状は届いたが、そっけない内容だった。高齢だから、書くのも億劫なのだろうと思っていた。
 ところが、祖母のところへ、不満の電話があったそうだ。母が笑いながら伝えてくれた。
「年寄りくさい地味なものをくれたって、言ってたそうよ」
 残り毛糸を引っ張り出してみた。薄カーキは確かに派手な色ではない。でも、曾祖母は九十七歳なのだ。もうすぐ百才だ。立派な年寄りではないか。地味だと思うなんて、どんな人だろう。いくら都会に住んでいるからと言ったって、七十八歳の祖母の親だ。
 今年も敬老の日が巡ってきた。去年プレゼントしたのだから、知らん顔というわけにはいかない。編んだ物はやめようかとも思った。だが、編み物の本に、私でも身につけたくなるような肩掛けケープの写真があり、どうしても作りたかった。
 去年の帽子に比べると、かなりの大作だ。手引きを見、編み物の先生に指導を受けて、やっと二枚編み上げた。暑い時期に、毛糸を長時間触るのは辛かった。
 祖母のはベージュで、去年と似たような色だ。仕上げて持って行くと、喜んで、すぐ肩に掛けたうえに、誉めてくれた。
「編み目が、ずいぶんきれいになったねぇ」
 曾祖母には、思いきってベビーピンクの毛糸を選んだ。やり過ぎではないかと心配だった。
「派手過ぎて恥ずかしいって言うかしら?」
 送って十日もせずに礼状が届いた。
――素敵なケープをありがとう。ピンクは大好きな色です。まだ暑いけど、羽織って、お友達に見せ歩いています。
 弾んだ気持ちになって、秋の気配を感じさせる空を見上げた。

◇作品を読んで

 ふっとしたことから、歳を取ってしまったと気が付く。若くないからと思い込み、引っ込み思案になったりもする。たとえばそれは服装に現れる。
 作品に書かれているように、茶色やくすんだ感じの色合いが年齢的に似合うのではないかと思ってしまう。「いい歳して、そんな色の……」と家族から言われたりもする。
 歳を取ったら明るい色の洋服を着た方が気分も若々しくなり、それが元気で長生きのポイントかもしれない。
 テーマはどこにでもある。問題は書き手の心構え、つまり、物事を観察する目が必要で、感じる心が大切ではないか。何かを書いてみようという気持ちを持てば、観察眼や感性は研ぎ澄まされていく。
 作品は、分かり易く具体的に書かれている。素直に書くことが大切で、持って回ったような言い回し、ああでもない、こうでもないという書き方では駄目だということを教えられる作品である。