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  本物の味
                                   坂本 達夫
                                                                          島根日日新聞 平成17年8月25日付け掲載

 東京に行く機会があったので、今春、社会人となった息子に会った。、おいしい物を食べながら、一杯やろうということになった。
 息子に注文を出した。
「安くて美味しい店に連れて行ってくれ」
「この間、ここで、のどグロの煮付け定食を千円で食べたよ」
 駅の近くのありふれた食堂に連れて行ってくれた。
「カンさばの刺身を食べんかね」
「寒さば?」
 壁に掛けてある札をみると、関さば≠ニ書いてある。案の定、九州の佐賀関沖で取れる有名なセキさば≠、カンさばとカン違いして読んでいた。
 その店で、この日、息子はオコゼの唐揚げを初めて食べた。こんなに美味しい物はないね、と満足そうに食べている。出雲にいる時、私が宴会でオコゼの料理を食べて帰り、その旨さを自慢したのを覚えていたらしい。
 私もそのオコゼを味見させてもらった。唐揚げに付けるポン酢は美味しいが、オコゼの身の方は味があまりしない。冷凍物なんだろう。
 メニューの札が掛けてある壁を見ると、良心的な店のようで『生アジの塩焼き』とか『生さんま塩焼き』など、冷凍でない物には生≠ニいう文字が付いている。
 キンキの煮付け、関さば姿焼きなどは、生≠ニついてないので冷凍物を使っているようだ。そうでないと、オコゼの唐揚げやキンキの煮付けを、千円で定食に付けるのは無理だ。また、捕れない時もあるのに、いつも準備してあるのもおかしい。
 美味しいと言いながら一生懸命食べている息子を見ると、少し可哀想な気がする。出雲に帰って来た時には、取れ取れで生きのいい物を買ってきて、本物の味をわからせてやろう。
 四〇歳になるまで、干しガレイが美味しいとは思わなかった。そんな時、石見の漁港のある町に赴任したことがあった。浜風に干してあるカレイを食べて、びっくりした。脂がのって非常に旨かった。なぜかなと思って、食材の本で調べてみると、私がスーパーでよく買う干しガレイは輸入品らしい。魚が傷んではいけないので、冷凍で送られてくる。スーパーではそれを解凍して販売するので、解凍時に旨味が出てしまうそうだ。
 そんな干しガレイばかり食べていたので、四〇年間、その旨さが分からなかった。それまでは、本当の干しガレイの味を知らず、たいして美味しい物ではないと誤解していた。干しガレイには、大変失礼なことをしていた。
 そのことが分かってから、冬になると大田市の漁港まで出かけ、店の軒先に干してある物を買うことにしている。これで、ほんの少し私の人生が豊かになった。
 島根に住んでいる人達は、生きのいい新鮮な魚を食べている。当たり前に思っていたが、とてもありがたいことだと東京での食事で初めて気づいた。都会の人達はいつも食材が豊かで、美味しい物を食べているだろうと思っていたが、そうでもない。魚や野菜等なら、私たち地方の者が、東京の人達よりもっと贅沢なんだなあと、大発見をしたような気持ちで飲んでいた。
 出雲に帰って何日か経ったある日、仕事の都合で出雲市湖陵町の漁協に行き、魚市場を見学した。いけすには、生きたヒラメやカレイが百匹ばかり泳いでいた。生きたまま、東京方面に送られるらしい。
 別のかごの中に私が探していたのを知っていたかのように、大きなオコゼが三匹も息をしていた。なんだ、こんな自分の足下に、息子に是非食べさせたい物があったのかとびっくりした。というのは、私は二年前からこの町の学校に勤めている。ほんの近くの漁協に、こんな新鮮な活魚があることを全然気づかなかった。これも生かして、東京に送られるらしい。
 こんな東京でもお金持ちしか食べられないような高級鮮魚が、自分が生活している身近な所で発見できた。そのことが踊り出したいぐらい嬉しかった。
 トロ箱には、旬のトビウオや大きな真イカが並んでいる。金ふぐや砂ふぐが、氷と共にトロ箱いっぱいに並べられている。サワラ、ホウボウ、チヌ、すずき、海ボラなど魚種も豊富だ。東京で冷凍魚の料理を見た私は、まるで宝の山にでも出会ったような気がした。
 この宝物を使って、息子に生オコゼの唐揚げを食べさせてやりたい。魚だけではなく、東京という地の利を生かして、演劇や絵画、コンサートなど最高のものを味わって欲しい。心豊かな人生を送ってくれたらと願っている。
 私はこの日以来、勤め先近くのスーパーで、地元の湖陵町産と多伎町産と書かれている生き生きと輝く魚を手に入れ、本物の味≠楽しんでいる。

◇作品を読んで

 日本海に沿う細長い島根県の海岸部は、東部と隠岐は磯、西部には砂浜が多く、それぞれ特徴的な魚介類に恵まれている。中国山地を縫って海に注ぐ、斐伊川、江の川、高津川などの渓流には、多種類の川魚が棲息し、豊かな味覚を与えてくれる。島根は食の宝庫かもしれない。
 食通の作者は、食べ物に造詣が深い。東京に出て飲食店に行ったが、やはり、自分の住んでいるところの食材が一番であった。それは本物の味≠ナあるとも書かれている。
 観光で遠くに出掛け、住んでいるところに帰ってくると、身の周りの風景に安堵することと同じであろう。そういう思いが共感できる作品である。