粛々と
森 マ コ
島根日日新聞 平成17年7月21日付け掲載
黒装束の子分たちが、親分を取り囲んでいた。その数は、数え切れないほどだった。 「親分、もの凄いお宝ですぜ。砂糖の山でがす。食べ放題に取り放題。ええ仕事ができますぜ」 黙って腕組みしていた親分は、聞いた途端にカッと目を見開いた。 「天神の町かい?」 低く、ドスの効いた声だった。 子分たちは、この声が好きだった。親分が声を発したと言うことは、すなわち、やっちまえという合図でもあったからだ。 鞭聲肅肅夜過河 曉見千兵擁大牙 遺恨十年磨一劍 流星光底逸長蛇 闇ともまごうような群れは、更にその黒さを増していた。親分が持つ真っ黒い幟を中心に、大群が黙々と仕事をするのである。 昼と言わず夜と言わず粛々と黒装束が働くさまは、黒い川の流れにも似ていた。 偵察隊に続き、子分の一番隊が大量の黄色い粉を持ち帰った。 「お前ら、何を持って帰ったんだ。そいつは、砂糖じゃねぇぞ」 親分が言うか言わないかのうちに、黄色い粉は白い煙に変わった。 「臭くねぇか?」 「ちょっとな」 子分たちは、口々に言った。 それは、『蟻殺し』であった。蟻殺しという名前の毒薬を砂糖だと思い、持ち帰ったのだ。だが、蟻殺しは、臭い匂いを放っただけで、子分たちは全く死にはしなかった。 そのうちに、二番隊が帰ってきた。数個の砂糖を口に咥えている。 「上から行け! 三番隊」 親分が怒鳴った。 蟻の子分たちは、粛々と出て行った。 親分は、せせら笑う。人間は馬鹿な奴だと呟きながら、また笑う。蟻を地面から家の中に這い上がって来るタチの悪い虫としか思っていないのだ。蟻殺しなどという硼酸と玉葱で作った食べ物で蟻を騙して殺せるものと考えているのだ。ところがどっこい、蟻殺しなど、蟻にとっては屁みたいなものなのだ。親分は、三度目の笑いをもらす。 体こそ吹けば飛ぶような大きさの蟻だが、たいそうな知恵を持っている。 親分の作戦はこうだ。 いったん天井に這い上がり、そこから砂糖壷に向かって下へ下へと行進するのだ。 三番隊は、上へ上へと登る。壁の割れ目を伝って家の中に侵入し、天井で待機する。後続の四番隊を確かめてから、天井から壁伝いに下へと進む。子分たちは、四角い部屋の中で直線を引いたように正確に動く。砂糖の壷に注ぎ込まれるかのように。鉛筆で線を引いて書かれた痕が残っているかのように。 三番隊が、どのくらいの数で砂糖壷に入ったのか分からないほど、白い砂糖は真っ黒になった。黒い幟が、はためく音もなく立っていた。 仕事を終えた子分たちに、親分は言った。 「この次、天神町のあの家に行くとする。多分、貼り紙がしてあるだろう」 ――ここは蟻地獄です―― 「おい、本当の蟻地獄には、貼り紙なんぞ無い」 「……」 「騙されるなよ。人間は馬鹿な生き物だからな」 「……」 「貼り紙を読んで引き返すほど、俺様たちは間抜けじゃねぇ」 親分は、子分の働き振りに満足したのか、よくしゃべった。 「俺達は、こうとねらいを定めたら、どこぞの侍のように打ちもらすことはねぇんだ」 翌日も、またその翌日も、子分たちは粛々と砂糖壺に向かって歩く。 |
◇作品を読んで
作者の家には、この夏初めて、蟻の大群が押し寄せたようだ。小さな蟻だが、数がまとまると見ただけでも恐ろしい。蟻は、砂糖壺に向かって黒い濁流のように流れ込んだ。もちろん、蟻殺しも買って来て撒いてみた。それでも駄目だった。今年だけ掃除を怠ったわけでもあるまいにと、作者は怒りながら、それを書いてみようと思ったのではないか。 悪戦苦闘する作者を蟻の親分が笑っている。蟻の集団を親分と子分に見立て、彼らが人間を見ているという設定が面白い。 途中に挿入された頼山陽の漢詩が効果的であり、その中の言葉が、さりげなく文中に散りばめられている。その隠し味によって、ユーモアと風刺が立体的に表現された作品である。 |