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  温泉寸描
                              天従勝巳
                                                                          島根日日新聞 平成17年6月30日付け掲載

温泉が人気である。
 旧出雲市から車を郊外に向けて走らせると、東や西、また、南へ三、四十分の場所で十指の温泉を数える。
 昔から、山陰地方には天然温泉が多かった。現在では、掘削機械の発達で町中でも次々と温泉が掘られている。地下千三百から五百メートル位掘れば、たいてい当たると話に聞いた。
 四十年も昔の話だが、学生の頃、友達と二人で六畳一間に住んでいた。私達は、二十歳前の男同士だった。
 風呂はなかった。だから、毎夕、少し遠かったが、歩いて銭湯に行った。料金は、六十円位だったと思う。
 銭湯の番台には、いつも女性が座っていた。時々、男の経営者が、週に一、二度、座ることがあった。私達は、冗談に「番台に座れるのは、いいなあ!」と言いながら笑った。今では、風呂の無い家はないだろう。こういう風景は少なくなった。
 家の風呂よりも、銭湯はともかく、温泉の方が格別に良い。
 第一に、家では湯上がり後、特に冬季になると五分も経たないうちに身体が冷めるが、温泉は十分から十五分はポカポカと温かい。サウナもある。殆どのサウナは六人くらいが座れる程の広さだ。室温は七十二度ばかりである。時計も掛けられているが、それを見ていると二分もしないうちに全身から汗が噴き出す。私は六分前後で、飛び出すように走り去る。汗を流した後のビールは格別だ。
 毎日のように温泉に入っている人もいる。私もその一人で、出雲ドーム健康温泉に行く。常連となって、顔なじみの人も出来た。
 パンフレットは、次のように特徴を説明している。
――天然温泉の原理をもとに、自然界に存在する……(中略)……特に「光明石」には優れた薬効を有する多種多様の水溶性ミネラル成分を豊富に含有しています。人工温泉でありますが、〈泉源体〉の「光明石」と〈活性体〉のミネラル鉱石セラミックの効果により血液の循環を促します。――
 ある日、湯船につかっていた時のことである。右側にいた中高年と思われる男の前に、後から入って来た小学校一年生くらいの男の子が、手足をバシャ! バシャ! と大きく動かして湯を散らした。男の顔に掛かったようだ。
「コラッ! ここはプールじゃないんだ!」
 大声で怒鳴りつけた。
 男の子の顔は、瞬時に青ざめた。震えながら、わあわあと大泣きをして若い父親に助けを求めるように抱きついた。
 その父親は、終始無言であった。じっと泣く子を見下ろすだけだった。
 私は何も大の男が大声で怒鳴らなくても、と思うと同時に、男が怒鳴ったのは、若い父親に、ちゃんとマナーを守らせよと言いたかったのではないかと思ったのである。
 昔の銭湯でも、こんな風景を見たような気がする。泣き続ける男の子を見ながら、若い頃、友達と銭湯に行ったことを思い出していた。

◇作品を読んで

銭湯が大衆的になり、庶民の社交場になったのは、江戸時代に入ってからである。古くは鎌倉時代からあったらしいが、現在の銭湯と違うのは、殆どが混浴であったことである。その長い歴史を持つ銭湯という言葉には、何かしら懐かしさを感じる。銭湯には、人それぞれのドラマがあるからではないだろうか。南こうせつの『神田川』は、「赤い手拭いマフラーにして、二人で行った横丁の風呂屋」と歌った。
 銭湯が街から消えて行くようになって久しい。全国の銭湯の数は、約五千軒であり、一日一軒の割合で廃業しているという。
 作者は、かつて学生時代に利用した銭湯の記憶を甦らせ、現在の健康ランド的な温泉についても思いを述べている。
 年輩の人達は銭湯にいろいろな思いを持っている。それは苦労した頃の懐かしい記憶があるからではないか。沢山の思い出を語って欲しいものである。