TOPページにもどる   ウエブ青藍トップにもどる

  ごきぶり哀歌
                                   森  マコ        
                                                                          島根日日新聞 平成17年5月19日付け掲載

 広い家に住んでいたことがある。大邸宅ではない。ただ、天井が高かったというだけのことである。たいそう住み心地が良かった。
 今は違う。転勤で官舎住まいになり、集合住宅に住んでいる。集合住宅のよさは、便利なところだ。全てがコンパクトにまとめてあり、最小限の掃除と運動量で簡単に生活出来る。更に、電化されていて、エアコン、洗濯乾燥機やテレビなどの生活必需品が簡単に設置できる。
 最大の欠点は、天井が低いことだ。
 時々だが、天井が迫ってくる、そうこうしている内に、壁や窓ガラスも襲いかかるようで、押し潰されそうな気分になるのだ。
 娘に話すと、反対に「母さんの体が膨らんだと思えばよい」とあっさり返されてしまった。
 私は、換気扇掃除をすることに徹した。窓を開けると、世間の雑音が聞こえてくるので、せめて換気扇を回し、部屋の空気と一緒に我が家の音を外に出そうと思ったからだ。換気扇は三箇所である。台所、風呂場、トイレ、後は、居間のエアコンというところか。
 一週間に一回は、三箇所の内のどれかを必ず掃除する。掃除をしないでいると、三日としないうちに換気扇は唸り出す。ゴミが弁の役目をするのか、フーンという音がブーンと変わるからだ。もともと、私は掃除好きなたちなので、換気扇の掃除は趣味の一つになっている。
 きれいになっている我が家には、ごきぶりはいない。
 はずだった。
「母さん、トイレにごきぶりがいる」
 娘が言いに来た。
 ごきぶりの十匹や二十匹、どういとうことはない。 娘の言葉を無視した。
 私は虫が好きだ。きっと、換気扇を伝わって入ってきたのだろう。
 ごきぶりごとき、なんでもない。雌か雄かでも違うが、仮に産卵するために我が家に入ってきたとしても、大歓迎である。私の掃除の威力で排除してやる。
 トイレに行ってみると、ごきぶりは天井にいた。
 赤い色をした、きれいなごきぶりで、へばりついたまま動かない。トイレットペーパーを丸め、ごきぶりを触ってみた。二、三歩動いた。きっと生まれたてのごきぶりか、または、小学生くらいか。
 殺虫剤をかけてみた。もそもそと数歩動いた。やっぱり小学生ぐらいのごきぶりらしい。
 丸めていたトイレットペーパーをほどいて掴み取ろうとした時、ごきぶりは素早く逃げてしまった。背のびして、ごきぶりを捕獲しようと、数回試みた。だが、意外に速いのである。「床に落として、捕まえてやる」と思った瞬間にポトリ。トイレの水を溜めるタンクの穴に落ちてしまった。
 大変だ。ごきぶりが溺れる。あわててタンクの蓋を開けて中をのぞくと、赤いごきぶりは水の中で、犬かきをしている。暫く見ていたが、ごきぶりの救助が先だと気が付いた。手を突っ込んで、掬い取ろうとしたら、すっと沈んでしまった。
 面倒くさくなってきたので、水を流した。だが、ちっともごきぶりは流れ出てこない。
 そうだ、忘れていた。水の出口はじょうろ状になっていたのだ。ごきぶりは、そこに詰まって、永遠に留まっている運命になってしまった。国籍を持たない哀れなごきぶりが、永久に住める場所。ただし、生きては帰れない。それだけは覚えておくがいいのだ。
 もっとも、二、三日の内に足か、ひげの一部が出てくるかもしれないが。
 私は、ごきぶりの哀歌を口ずさみながら、相変わらず換気扇の掃除ばかりしている。

作品を読んで

 読んで面白いという文章の要素は、何なのだろうか。どう書けば、読者に面白いと思ってもらえるのだろうか。例えば、役に立つ情報も一つだが、独自の視点から物事や現象を切り取った、つまり、鋭い書き方をした文章も、そうなのである。ごく普通の出来事をどう捉え、どう書けば興味を持って読んでもらえるかである。
 この作品は、ごきぶりが出た、どうやって始末したかという話だが、それを面白く読ませるというテクニックを作者は持っている。逆転の発想とでも言えるかもしれない。
 ともあれ、文章がこなれていて、ユーモアもある。楽しく読ませてくれる。
 何のジャンルであれ、書き手だけの視点をどこに持つかである。それがあれば、面白いものになる。