着るも愛情
糸 原 静
島根日日新聞 平成17年3月3日付け掲載
編み物をすることは私にとって癒しである。実体のあるもの≠作る喜びがある。線が面になり、面が立体になる。出来あがった立体は、中にヒトが入って動く。間違ったら解けば良い。やり直しができる。ニ十数年前、鬱屈した子育て生活の中で見出した楽しみだ。 子供達のセーターは、すべて私の手編みだった。最愛の者達が着てくれる嬉しさはなんとも言えない。 だが、娘は小学校高学年の頃から嫌がるようになった。既製品を着たいのだ。少しでも彼女の好みのものを編もうと、 「どんなのがいい?」 と訊くと、夏は、 「Tシャツ」 冬は、 「トレーナー」 と答えたものだった。手編みの服はいやだという意思表示だ。 四年前の春、進学のため、親元を離れて寮生活をするようになった。高校生時代はほとんど制服で過ごした娘だ。だから、あまり衣類を持っていなかった。それもたいていは私の作品だ。 四月はまだ寒い。 セーター類のほとんどが手編みだと知った寮友から、 「愛情に包まれてるって感じ」 と言われたそうだ。友人に言われて初めて、既製品にはない、世界でたったひとつ、自分のためだけに作られた服を着ていることに気づいたらしい。 勇気付けられた私はひたすら編んだ。冬までには、ゆとりのある数を用意してやりたかった。一週間、毎日着替えるとして、最低七枚は必要だろう。編むことが喜びである私にとって、嬉しいノルマだった。 娘が中学三年生の時、私は本格的に手編みの勉強を始めた。 製図や技法をきちんと学習し、規定の作品を編んだ。だからその頃には、一応、自由自在に製作できるようになっていた。 娘の気に入るよう私なりに努力した。編み物雑誌では偏ってしまう。普通のファッションの流れを知りたかった。カタログ雑誌を見たり、ウィンドウショッピングで、若い人向けのデザインを探った。だが、美的センスは悪く、手先も器用ではない。私の作品はどことなく野暮ったいし、編み目も汚ないのだ。思うように仕上がらないのである。出来映えに満足したことはとんどない。 それでも娘は着てくれた。おしゃれをしたい年頃だ。ブランドで固める友人もいたようだ。だが、オンリーワンで我慢してくれた。装いが誰かと同じになることは、絶対にあり得ない。 丸ヨークの編み込み、縄編み、ガーンジー模様など、次々と編んだ。前後身頃の幅や長さに差をつけたり、ウェストを絞ったりした。胸ダーツも入れて、下手なりに、少しでも美しいラインが出るよう工夫をした。 娘本人からも、街で見かけたデザインを注文してくることがあった。残念ながら、私の技量や糸の問題で、彼女の思うようには作れなかった。 翌年も翌々年も編んだ。 去年の春、 「もういいよ」 と言われてやめた。 気の抜けたような、ほっとしたような気分になった。 私は愛を込めて編んだ。それに応えて、娘も親への愛情で着てくれたのだろう。親の楽しみを奪っては可哀相だと思っていたのだろう。 今は私自身のものを編んでいる。新たな技法を身につけようと、講習会には積極的に参加している。 娘も卒業だ。もうすぐ寮を出て帰ってくる。 |
◇作品を読んで
母の子どもに対する愛情が、手編みを素材にして巧みに語られている。作品を読んで思い出すのは、都はるみの演歌「北の宿から」である。歌に出てくるセーターを編む女の気持ちは、この作品とは全く違うものだが、一針一針編むというのは、着てもらう人に対する気持ちを込めることだ。 今はあまり聞くことはないが、夜なべという言葉があった。「母さんの歌」は、夜なべで手袋を編む母の姿を歌う。文部省唱歌の「冬の夜」は、編み物ではないけれども、囲炉裏のそばで、母は衣(きぬ)を縫い、父は縄をなう。昔の歌には、親の愛情や働くことの美しさを讃えた歌があり、それに教えられたことも多かった。 この作品は、そんなことをしんみりと思わせる。最後の一行は、まさに思いを込めた一文である。 |