TOPページにもどる   ウエブ青藍トップにもどる

    節 穴     森  マ コ
                                                                          島根日日新聞 平成17年2月10日付け掲載

 今ではめったに節穴を見ないが、私の小学校時代はいたるところで節穴を見ることができた。
 小学校の校舎や民家の塀、納屋の壁などの木造の建物には木目があったり、穴が開いていたりした。そんな節穴などを見ては、空想にふけったものだ。
 木目をじっと見ていると、動物に見えたり人の顔に見えたり、怪物の顔だったりした。
 小学校四年の頃、私は悪がきだった。ただし、徒党を組むわけではない。
 仲良しの恵美ちゃんと二人で、毎日冒険ごっこをして遊んだ。恵美ちゃんは体格が私と同じ位で後ろ姿も似ていたので、時々恵美ちゃんと私は名前を呼び間違えられることもあった。
 二学期の始業式の時だった。全校児童が校長先生のお話を聞いていた。私たちは、講堂の床に体育座りの姿勢で座っていた。
 私は、とっても退屈だった。仕方なしに話を聞く振りをしていたのだが、我慢できなくなって、私の一つ前に並んだ恵美ちゃんの背中に指で文字を書いた。
「今日、こうもり傘を持って、二階から」
 恵美ちゃんは振り向きもしないで、コクリと首を動かした。
「飛ぶよ」
 頭を横に振る。
「ヤルヨ」
「ダメだよ」
 声に出して言った。
 担任の春日先生がキッと私を睨んだ。
 退屈だ。
 ふっと横の床に目をやると、穴が開いていた。
「へー、節穴、こんな所にもあったのか」
 声には出さず、心の中で呟いた。
 穴は直径が一センチ位だった。小指を突っ込んで見た。抜けた。また突っ込んだ。抜けた。今度は薬指だ。ちょっとキツイ。突っ込むときも小指のようには入らなかった。(抜きにくいな)と、そんなことを考えながら、数回繰り返した。
 もう校長先生の話など、全く聞いていなかった。
 中指を突っ込んだ。
 無理かな? どうだろう。入った。やった。成功、大成功。
 どこかで、起立という声がしたように思った。
「へっ」
 中指が抜けない。気がつくと、私の周りのみんなが立ち上がっている。恵美ちゃんの顔を見た。恵美ちゃんは知らんぷりをしている。本当は、私の指が節穴から抜けなくなっているのを知っているはずだ。
 私は節穴から中指を抜くことばかり考えた。中指の関節が穴の口に引っかかって、どうしても指が出てこない。だんだん中指の先の感覚が無くなってくるのがわかる。
「どうしよう」
 私は床にうずくまった。抜けない中指を隠すかのように。それから、腹が痛そうなかっこうで。
 猛烈に恥ずかしさがこみ上げてきた
 春日先生が近づいてきた。
「マコちゃん、気分が悪いの」
 声をかけてくれた。恵美ちゃんだけが心配そうにして私の隣に立っている。
「さあ、ほかのみんなは、教室にかえりましょうね」
 春日先生は同級生を教室に返してしまった。
 教頭先生が近づいてきた。
「どうしたの?」
 私の様子から、春日先生はおおよその状況を察したらしい。
「マコちゃん、穴の下で指を曲げてない?」
 優しそうな声色で聞いてくる。
 声を出すと、泣いてしまいそうだったので、首だけ横にブンブン振った。
「のこぎりで、切るか」
 教頭先生が言った。
 ショックだった。私の指は、この場で切られてしまうのだろうか。
(教頭先生、切るなら、講堂の床を切ってね)
 必死で頼もうとしたが、声にならなかった。
「待っててね」
 春日先生はそう言うと、私と教頭先生だけをその場に残し、恵美ちゃんを連れてどこかに行ってしまった。
(やだな、やだな。のこぎりを取りに行ったのかな。恵美ちゃん、待ってよ)
 頭の中は、のこぎりで指を切られることばかりが渦巻いていた。
 恵美ちゃんが戻って来た。
 恵美ちゃんは、キラリと光る物を持っていた。
(ナイフだ)
 違う。ワセリンの小瓶だった。
 教頭先生にワセリンを塗ってもらうと、中指はスルリと抜けた。
 恵美ちゃんと二人で教室に戻った。
 春日先生は、教室で私の帰りを待っていてくれていた。ワセリンを私の指に、もう一度塗ってくれた。マッサージもしてくれた。
 その時になって初めて、私はわんわんと声を出して泣いた。
「教頭先生には、泣いたってこと言わないでね。泣いたって言わないで……」
 泣きながら、うわ言のように繰り返していた。

◇作品を読んで

 森鴎外は「小説といふものは何をどんなふうに書いても好い」と言ったが、小説は、自由に書き手の持つ物語を作り上げる。原稿用紙が数枚であっても、そこに作者の世界が構築でき、書き手の想像力によって、それは無限の広がりを持つ。
 この作品に登場する「私」は、おそらく作者自身で、子ども時代の思い出であろうと思われる。随筆のようでもあるが、一編の短い小説とも思える。
 こうして文章化されると、子どもの世界が、生き生きとした力を見せて迫ってくる。
 ある小学校の新築記念誌編集に携わった。子ども達の校舎に対する思いが書かれた寄せ書きの中に、「席に座れば授業が始まる。」、「指をはさんで痛かった。」というのがあった。「たくさんの思い出、ありがとう」的な言葉が多い中で異色である。こう書いた子どもは、小説が書けると思った。この作品にも、それがある。