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 ショートショート 学校の階段
    
               宇羅 志真 
                                                                        島根日日新聞 平成16年12月30日〜31付け掲載

「竹ちゃん、私の紫色のメモ帳……持って帰った?」
 電話をした時は、もう午前零時を回っていた。職場である学校でいつも使っているメモ帳が見えないのである。家に帰ってから、ハンドバッグまでひっくり返して随分探したのだが、どこにもない。
 竹ちゃんは独身の男で一人暮らしだから、いつ電話をしても出てくれる。
 ましてや、年の暮れで忙しいこの時期、いつも寝るのは三時過ぎだということを知っているので、電話もかけやすい。
「ん? 知らないですよ」
「そうなの。あんたじゃないの……」
「縞さん。あの仕事の締め切りは明後日ですよ。メモがなくて大丈夫ですか? やばくないですか?」
「そりゃあ、困るわね。でもたいした事ではないし」
 そんな会話をして、電話を切った。
 隣の席に座っているオバサンに電話をしようかと思ったのだが、深夜のこんな時刻だから、止めた方がいいだろう。
「ちょっと、あんた。何時だと思っているの」
 そう言われるのが落ちだ。
 実は、紫メモ帳がなくても、大勢に影響はない。とはいうものの、私の性分上、気にかかって仕方が無い。職場の自分の机や、担任している学級の中を一応探してみようと思った。
 警備会社に忘れ物をとりに行くと電話を入れ、深夜、車を走らせる。我ながら心配性は治らないな、などと思いながら学校の玄関の前に立つ。
 昼間の喧騒と打って変わり、夜の学校は不気味だ。手順通りにロックカードを差込み、メインスイッチを押す。
 ボーと蛍光灯の灯りが点っているが、とにかく恐い。階段の上には、非常灯の緑色が浮かび上がっている。
「こわーい」
 呟いた声が広い廊下に木霊し、ますます恐ろしい気持ちになる。遠くの蛍光灯の下から、突然、異形の者が出てきたりして……と思うと背筋が寒くなる。
 こんなことなら、メモ帳を探すのは明日でもよかったのにと後悔した。
 私が、担任している教室は三階だ。
 階段を走って上がると、誰かが追いかけてくるかもしれない。(トトロの歩こう歩こう)を歌いながら、教室を目指す。
 突然、足の下でバキッと音がした。何かを踏んだのだ。
「げぇっー」
 思わず声が出た。よく見ると団栗だった。とりあえず安心した。
 だが、恐さは限界に達していた。
 一目散に教室まで走った。入口に電気のスイッチがあるはずだ。駆けた。
 何で懐中電灯を持ってこなかったのだろうと思った。教室にたどり着いたとたんに冷静さが戻った。
 スイッチに手を伸ばした。だが押せない。電気を点けたら、小さい子供がたった一人で椅子に座っていたりして、と思うと背中が凍るようだ。
「どうした?」
 駆け寄ったら、口だけ無かったりして……。
 それとも、明るくなった途端に、教室の中央に深い深い穴が開いていたりして……。天井に、たった一つだけ子供の足跡がついていたりして……。
 そんな事を考えながら、スイッチを触ろうとした時、ガサッと音がした。また何かを踏んだらしい。
「くっそおー。ネズミ捕りだ」
 思わず叫んだ。
 この頃、給食の後始末が悪くてネズミがいるらしいから、ねずみホイホイをつけます――そう言っていた教頭先生の声を思い出した。こんなところにねずみホイホイを仕掛けたのか。
 担任は誰だ。
 私だ。
「むかつくー」
 気を取り直して灯りを点け、教室を見渡す。
 紫メモ帳は、無かった。
 考えてみると、仕事が終わって帰るとき、私の隣のオバサンとイチヂクの話をしていたことを思い出した。オバサンは五十八歳で仕事以外の話もわりとする間柄だ。イチヂクの甘露煮がどうとか言っていた。
「今日も、竹ちゃん、縞さん、早や帰らやずね」
 そう声を掛けてくれた。
 紫メモ帳は明日でもよかったのに、わざわざこんな夜中に探しに来なくても。
 帰ろう。
 深夜に職場に探し物にきて、犯罪にでも巻き込まれでもしたら大変だ。
 そう思った。瞬間的に猛烈な勢いでダッシュした。
 ゴーンと凄い音がして、同時に火花が飛び散った。
 体の感覚が全く無くなり、暫く息ができなかった。
 暗闇だから、何が起こったか分からない。
 我に返った。
 向こう脛が急に焼けるように熱くなってきた。何かに引っ掛かったのだ。何が障害物だったのだろうか。
 脛をさわった。ぬるっとしていて、べとべとしている。
 真っ暗だから分からない。とにかく、外へ出よう。
 警備会社に、捜し物はあったのでと電話で告げ、家に帰って改めて膝を見た。気絶しそうだった。
 向こう脛は、まるでイチジクが潰れたようになっている。
 オリオン座が笑っていた、深夜の出来事だった。
 次の日、職員室で竹ちゃんに昨日の出来事を話していた。
「おはようさん、縞さん。イチヂクの煮たのをもってきたよ。アンタ好きだって言っとらいたが」
「……」
「そうそう、アンタの紫メモ帳が私の鞄に入っていたよ」
 オバサンが元気よく話かけた。
「あらーあ、アンター怪我をしたかね」
「……」
「そういえば、東階段の上がりがけに椅子が投げてあったが、子供がひかかったりせんといいけど。それにしても、昨日の日直は、誰かいね。最後に帰ったのは……」
「……」
「竹ちゃんかね? すぐ片付けてよ」
「……」
「ちょっと教室に上がってくうけん、縞さん、こんな大事なメモ帳は早く自分の鞄にしまっときなはいよ」
 一気にまくし立てると、職員室をゆっくりと見回し、のっしのっしと東階段を上がって行った。
 私は、鳩が豆鉄砲をくらった後のような顔をして竹ちゃんと顔を見合わせた。
「縞先生、始業までに病院へ行って怪我をみてもらいなさいよ。先生が学校に帰ってくるまで、学級は私が見といてあげるけん」
 階段を上がるオバサンの背中から声が響いた。

◇作品を読んで

 物語を書く時、登場人物の職業を何にするかは内容と関わっているものの、いつも同じというわけにはいかないので、かなり考える。
 背景設定をいつも変える作者は、それを学校にした。タイトルの「学校の階段」は、かつてフジテレビ系で放映されていた『学校の怪談』からの連想から生まれたのだろう。無人の夜の学校に忘れ物を取りに行くという設定である。
 メモ帳を忘れたので、学校に取りに行かねばならない。脇役が必要である。その人物は、少しばかり悪役にする。そのバイプレーヤーが、物語を盛り上げる。
 そして、暗闇の学校に行けば、何かが起こる。果たして事件は起こり、怪我をした。こういう物語は、面白さが優先である。理屈で書かない。そして、短くてよいのである。ショートショートの長さにきまりはない。だが、おおむねこの作品の長さくらいなものかと思われる。