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 随 筆 五十肩体験しています
    
               萱野 あざみ 
                                                                        島根日日新聞 平成16年12月23日付け掲載

 五十歳を過ぎた頃から、体にほころびが出来たことを、感じるようになった。
 失っていくものや、新しく発見しけたものを自覚したくはないが、何かの拍子に一つずつ見つけたり感じたりすることがある。艶があって栗色がかっていた髪は、毛染めが日常的に必要になり、少し手を抜くと、寂しい山裾の残雪状態になってくるからこわい。ひそかに自慢だったソバカス美人といわれていた頃の肌は、とうに弾力はなくなりくすんできている。表情豊かだった顔に、ある日、洗面所で新たなシワを発見、ということもあった。
 来た道は、良く分かっているつもりだが、今から向かっていくだろう日々は、新しい発見ばかりだ。がっかりすることの方が多い。
 健康に気をつけていて、この二、三年病院とは縁がなく、運動能力には自信があって、年相応以上のものは維持していると、自負していたが、とうとう私にも来るものが来てしまったようだ。
 ……ここ二、三ヶ月前から、右肩辺りが変だ。なんとなくだるい。自分の腕ではないように重たい。肩の付け根付近からだろうか、痛みもある。ジリジリとしびれるようなこともあって、何でだろうかと不安になる。普段どうりにさっと腕が上がらない。こんなことは初めてだ。この右肩と右腕の痛さは、肩こりのような表面の凝った痛さではなくて、神経に触れているような、肩の奥の筋肉の中からの痛みだ。腕がまっすぐに伸ばせられない。日常の机の上の書き物や、台所の調理台周りの仕事は、特別不自由はないが、高い所のものを取ったり、肩より上のほうの拭き掃除が困る。手を背中にまわせない。急に腕を、動かしたときには、肩を押さえたまま「いたっ」と呻いて 動けなくなることもある。
 この症状は五十肩≠セ。五十肩≠ノなってしまったらしい。以前、私の周りの人たちの何人かが、この五十肩で苦しんでいたのを見ていて知っていたが、こんなに不自由なものだとは、思わなかった。五十歳を過ぎているのだからというあきらめと、「えっ、まさか私には」、「まだっ」という気持ちがあって、認めたくはなかったがやはりそうだった。
 この病気≠ヘ、心まで病んでしまいそうで、これから先もずっとこんな毎日が続くと思うと深い闇に落ちていくような気分になる。
 仕事を休むことはできない、なってしまったものはしょうがない、原因と対策を追究しようと考えた。
 五十肩にはどうして罹るのか、この痛みはどこから来るのか。私なりに調べてみた。
 肩関節周りの筋肉を、腕の骨につないでいる腱の老化だそうだ。腱板というのだが、ここに弾力性がなくなる。
 鎖骨からのびていて、肩甲骨の外側に張り出している肩の先端の骨、肩峰というところと擦れて炎症が起きているらしい。だから腕を動かさないときには痛みはないのだが、腕を上げる動きをすると、擦れて炎症部分が非常に痛むのが感じられる。神経に触れる痛みだというのも納得できる。五十肩の発症は、肩を使う作業を長時間した後に起こることが多いようだ。私も、そうだった。
 なってしまったら炎症が治るまで、時間がかかる。半年から一年、長い人は、二年ぐらいは我慢だ。ただし、この炎症は、自然に治るので心配はしなくてもいいようだ。もちろん痛みもだんだんに取れてくる。
 その間は、無理をしない程度で肩関節を動かす体操がいいようだ。肩を動かすのが、うっとおしいが、いたわりながらゆっくりとほぐしてやるといい。温泉でゆっくりと肩を温めるのがいい。 
 私の場合だが、まだ右肩も治っていないのに、もう一方の左もおかしい。
 朝起きる時からつらい。本当は、寝ているときにも痛い。一番楽な姿勢で寝ていてもつらいので、目が覚めたらさっさと起きるのに限る。
 もう少しの辛抱だ。治ったら、やりかけていた草刈り機の練習を再開しよう。     

◇作品を読んで

 五十肩というのは、それなりの年齢になると誰にでも起こる可能性のある病気だといわれている。痛みが出たり腕が思うように動かせないなど、日常生活に不便を感じるというものらしい。書かれているように、年だから仕方がないと諦めないで治療をすることしかないようだ。
 この作品は、五十肩と仲良くなろうとする気持ちから生まれたかもしれない。
 自分の体験を多くの人に知ってもらいたいという願いは、少なからず誰にでもある。こういう経験をして自分はこう思った、こんなふうに考えた、あなたはどう思いますか、と問いかける。それを書くのが随筆である。語りかけるようなタイトルの「五十肩体験しています」は、まさにそのことを表している。この後は「あなたはどうですか?」と続くに違いない。