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 随 筆 風 邪
    
               安芸 閑
                                                                        島根日日新聞 平成16年12月2日〜12月3日付け掲載

 生来頑丈な私ではあるが、ここ二、三年は季節の変わり目に風邪をひく。気温の変化に身体がついて行けなくなったのだろう。トシだな≠ニ思う。今秋も例外ではなかった。
 ある朝起きたら軽い頭痛がした。睡眠時間は充分なので、寝不足ではないはずだ。体調不良だと思いつつ朝の支度をした。
 午前中にだんだん痛みが増してきた。左のこめかみと脳天を握りこぶしで、ぐいぐい押さえつけられる感じだ。頭痛がひどい時の常で吐き気もした。せっかく食べたものを戻すなんてとんでもない。私の身体は簡単に吐かない。出してしまえば気持ちいいだろうが、胸がムカムカするだけだ。欠伸がファーファーと何度も出る。頭が酸欠なのだろう。眠気も催してきた。目を閉じるとそのまま意識が遠のく感じがする。
 急ぎの編み物仕事がある。家事を疎かに、雑事も後回しにして、編み物三昧の日々である。横になってなんかいられない。
 天気は快晴である。朝は寒くても昼間は暖かい。午後は、いつもより気温が高いという予報が出ていた。確かに暑い。暑すぎる。座って手を動かしているだけなのに汗が出る。下着がびっしょり濡れるほどだ。もしかして、私の身体が熱いのかも知れない。熱を測ってみれば三十七度を超えている。平熱が三十五度台の私には高熱だ。そのうち喉が痛くなってきた。唾を飲みこむのも辛い。
 洗面所へ行き、鏡の前で口を大きく開けて奥を見る。喉の入り口の壁全体が真っ赤になっている。幼時に扁桃腺を摘出した私には一大事だ。喉に関所がないのである。ばい菌やウィルスが気管や気管支にたやすく進入してくる。
 普段から、歯磨きの後には殺菌剤でうがいをしている。なのにどうしたことだろう。うがい薬が薄すぎたのか。
 殺せ!
 殺さねばならない。
「アーッ」
 と声を出して、喉に直接スプレーする殺菌剤をシュワッシュワッと何度も振り掛けた。スーッとするが、左上部だけはピリピリと沁みる。炎症が激しいのだろう。今、休めば早くなおるだろう。起きていて長引かせるより結局お得だ。
 困った。
 友人から連絡があり、夕方に荷物の届く予定あるのだ。なま物が入っているということなので、その日のうちにどうしても受け取りたい。考えた末、運送会社に電話をした。在宅だが体調不良で寝るから、しつこくインターホンを鳴らしてくれるよう依頼した。寝室ではインターホンが聞こえにくいので、リビングで寝ることにする。服を着たまま、椅子に横になり、掛け布団を被って目を閉じた。
 結局、気になって、ぐっすりは眠れなかった。配達員氏がやって来た時、一度鳴らされたインターホンに応答することができた。
 働いて帰ってくる夫のために、ありあわせの材料で、のろのろと夕食の支度をした。夫は何ともないのだから、普段どおりの生活である。入浴後は、彼より先に、さっさと就寝した。
 明くる日は右のこめかみも痛かった。両側頭と頭頂を拳骨でがんがん殴られている気分だ。顔を洗った時、掌に触れた頬がいつもよりむっちりしている感じだった。熱で浮腫んでいるのかも知れない。
 午前中、大切な用があって外出した。午後は横になろうと思っていた。
 帰ってみると宅配便の不在連絡票が入っていた。二日続けてお届物なんて、なんと不運なことか。まだ外出していることにして、運送会社に連絡しないで寝ることにした。夕方まで寝室でぐっすり眠った。
 起きたら少し頭痛が治まっていた。帰ったばかりのふりをして、運送会社に電話を入れた。
 予報にはない雨が降ったらしく、ほとんど乾いていた洗濯物が濡れていた。取り入れてから寝ればよかった。後の祭りだ。昼間に眠るのはなかなか難しい。
 夕方、夫が心配して勤め先から電話をくれた。
 子供が小さい頃、
「寝ていなさい。帰りに外で食べてくるから大丈夫だよ」 
 などと優しく言ってくれたことがある。何が大丈夫なのよ! 私は食べないとしても、子供はどうなるの? などと思った。今は二人きりの生活なので、そう言われても助かる。
「弁当かなんか、買ってこようか?」
 ありがたい言葉だ。午前中外出できる元気のあった私としては、夕食が作れないとは言えない。今日もまたありあわせだが、
「大丈夫よ。作るわ」
 と明るく答える。
 食事内容にはうるさくない夫なので、こういう時は気が楽だ。
 この日もまた、夫より先に休む。昼間寝たのに、よくもまあ眠れるものだ。我ながら感心する。
 三日目もまだ頭痛がする。心配になった。風邪は万病の元≠ニいうではないか。脳炎や、くも膜下出血など他の病気かも知れない。咳や鼻水が出ないのはおかしい。食欲がなくならないのも変だ。私の健康生活も、もう終わりか。不安は広がるばかりだ。
 病院へ行こう。診察券を出して、診察時間を確かめる。医者に向かって、「風邪です」と言ってはいけない。医者が診断して言う言葉だからだ。患者は症状を訴えるのだ。頭と喉が痛いと言えばいいだろう。熱はどうせ測らされる。診察してもらうのだから、喉スプレーは塗らない方が良い。
 手早く朝の家事を片付ける。いつもにも増して、手抜き仕事である。バタバタ動いている間に気がついた。頭痛がしない。喉もあまり痛くない。動く暑さはあっても、熱っぽさはない。
 朝の冷え込みの間は頭痛がしても、暖かくなるに従って、なおってしまっていた。
 鏡に向かってアーンと口を開けてみる。まだ喉は赤い。気管は痛痒くならないのだから、炎症を起こしていないだろう。
 病院へ行くのはやめた。それより編み物だ。早くやらなくっちゃ。
 身体を暖かくして、喉の殺菌に努めることにした。着膨れを気にせず、しっかり着こむ。歯磨き後のうがいは薬を濃い目に入れる。気がつけばいつでも喉スプレーをする。
 子供の小さい頃は、休むことが出来なかった。私の体調がいくら悪くても、誰も助けてはくれない。よほどひどくならない限り、病院へは行かなかった。子供を連れての外出など、かえって莫大なエネルギーを消費するからだ。熱で目がかすむ時でさえ、いつもとほとんど同じ生活をした。
 それでも若さと気力で、たいていは、すぐに回復した。
 そんな体力、今はもうない。こじらせるだけだ。しかも、休もうと思えば昼間でも休める。最低限のするべきことは夫の世話だけだ。それさえ、放っておいても大事には至らない。なんと楽になったことか。
 だが、休めば予定は狂う。やりたいことが先延ばしになってしまう。
 やはり健康一番。風邪ごときでも、身体が辛いうえに、大切な時間が失われるのはいやだ。

◇作品を読んで

 島根日日新聞文学教室で、最初に書かれた原稿を参加者に読んでもらった。「分かりにくいところがある」、「もう少し書き込んだらどうか」、「最後の部分は、まだ続きがあるように思える。突然、終わってしまった」というような感想があった。その感想を取り入れ、作者は書き直した。その結果、もともと原稿用紙五枚であったものが、八枚近くの作品になった。
 文章がうまくなるための方法として、他の人の意見を聞いてみるというのがある。別の言い方をすれば、それは、書いたものを誰かに読んでもらうという気持ちで書くということになる。言いたいことが分かってもらえるか、考えていることに共感してもらえるかという思いで一生懸命に書くから、文章がうまくなる。
 この作品は、風邪を引いた、大変だ、という思いが、よく分かる。文体も、どちからというと、くだけた形が間に入っているから、作者の本音が強調されるのである。ただし、いつでも誰でも、その方法がいいというわけではない。