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随 筆
   娘からの贈り物        坂 本 達 夫

                        島根日日新聞 平成14年9月4日掲載

 長女の結婚式を三ヶ月後に控えた春の頃だった。知人たちから、(娘を嫁に出すとなると、花嫁の父だから急に惜しくなって結婚をさせたくなくなるのでは……)――などと心配してもらったことがある。
 七月に娘の結婚式を迎えた。それまでの準備期間もそうだったが、当日も私は、この素晴らしい日を迎えることのできた喜びでいっぱいだった。悲しい気持ちも惜しいそれも無かったから、結婚披露宴でのスピーチ(花嫁のエピソード)で、次のように語った。
「この娘は、幼いときは病弱で、ときどき喘息の発作を起こしました。それも夜の間が多かったのです。勤務先の関係で県内での異動が続き、浜田から松江まで、いろいろな病院で診てもらいました。私たち夫婦は共稼ぎでした。そのために、病気がちだった娘の子守りをしていただいた塚田様ご夫妻、私と家内のそれぞれの両親など、多くの方々のお世話になりました。そんな娘だったのですが、こうして素晴らしいパートナーを見つけて結婚することができたことを大変ありがたいと思っています。神様とご出席の皆様に感謝いたします。小さい頃にお世話になった皆さんに、晴れ姿を一番見てもらいたかったのですが、残念なことに、それぞれご高齢のため、ご出席が叶いませんでした。ですが、お世話になりました中のひとりである家内のお父さんに出席してもらうことが出来ました。お出でになれなかった皆さんの代表で、しっかり見てやっていただきたいと思っています。……」
 スピーチを終り、くつろいだ気持ちでいると、新郎新婦の両親によるビールサービスの時間がきた。ただ注いで回ればいいと思っていたのだが、父親の方は背中に生ビールのタンクを背負い、水鉄砲のような道具で注いで回るという趣向である。
 事前に知らされていなかったので、私はびっくりしたが、お客さん達は宇宙飛行士のような格好の親父が二人も出てきて酒を注ぐので、大笑いであった。
 私はといえば、体の前はご馳走と美酒で、はち切れそうな腹、背中はタンクというわけで、とてもユーモラスな格好に見えたらしい。父親二人で、手分けして回ったが、誰にも笑顔でコップを傾けてもらった。
 式も終わりに近づき、新郎新婦からのメッセージのコーナーとなった。どこの結婚披露宴に出てもそうだか、ここが一番泣ける場面である。
 新郎からは新婦へのメッセージ、新婦からは予想もしていなかったのだが、私たち夫婦へのそれだった。
「お父さん、お母さん、二十八年間ありがとうございました。小さい頃は喘息がひどくて、眠れない私を少しでも苦しまないようにと、夜通し二人で交代しながら背負ってくれましたね。共稼ぎだったので、口では言い表せないぐらい大変だったと思います。一年生の時には、学校に行きたがらない私を、毎日叱りながらも手をつないで小学校まで連れて行ってくれました。
 こんなに愛情いっぱいの中で育った私ですが、家に帰るとおやつを作って母親が待っている友達の家を羨ましく思っていました。なんで私の家は、父も母も働いているのだろうと、腹を立てたこともありました。
 でも、振り返ってみると、私は両親の背中を見て育ってきたのだと思います。お父さんと同じ高校に通い、お母さんの行きたかった大学に行き、今ではお父さん、お母さんと同じ小学校の先生になりました。
 そして、今日はお父さんによく以たおおらかでふくよかな人と結婚します。私が育ったような、温かくて笑い声の絶えない家庭をつくります。どうかこれからも見守って下さい。」
 私は絶対に泣くものかと、途中まで頑張っていたが、とうとう、涙・涙・涙……となってしまった。私ばかりではない。誰の親でもこんな時ならそうであろう。あっさりした現代っ子と思っていたのに、私たちはこんなに感謝されていたのか、この娘を育ててきてよかったなと、こみ上げてくるものを押さえ切れなかった。気がつくと、同じテーブルにいる親族の人達全員が泣いていた。
 後で聞いた話だが、、妻の親族のテーブルにいた家内の父親も大泣きしていたという。
 娘からもらった言葉が、一番の大きな贈り物である。いつか娘も、私達夫婦のような立場になるのだろうなと、明るい夏の陽射しの中で、ふと思った。

※講師評
 結婚披露宴では、普通では言えないような言葉が溢れるように出る。感動して涙が出る。悲しくて泣くわけではない。純粋な気持ちになるからだろう。この作品にあるのは、多くの人の慈しみの中で、病弱を乗り越えて成長した娘への思いである。作者は、自分のその気持ちを飾らない言葉で書いた。普段の言葉で語るから、書いた人の暮らしや人生の素晴らしさが伝わる。
 上手い文章を書けば、書いていることが伝わるかというと、そうでもない。読み手が、よい作品だと思うのは、そこに作者が書こうとした対象への愛情を感じるからである。小説であっても同じことである。水上勉は、「私の考えや、世の中に対する私の気持ちのあらわれが私の小説なのである。『作法』(注・小説作法のこと)とは主題に対する作者の愛情のほかにはないはずである。」と言っている。
                       (島根日日新聞客員文芸委員/古浦義己)