小説 写 真
田井 幸子
島根日日新聞 平成16年9月2日付け掲載
十年前のことです。 一人の若者が死にました。若いと言っても、すでに二児の父。しかも、奥さんのお腹には、小さな生命(いのち)が宿っておりました。 彼は同じ職場の後輩で、確か二十三歳だったと思います。課は別々でしたが、趣味のオートバイを通じて親しくしておりました。 ゴールデンウィーク最後の日でした。 高速道路でトラックに追突し、即死したのです。 「どうしても手に入れたかったヤツが見つかったんだ。俺、今度の休みに広島まで取りに行ってくるよ」 彼の弾んだ声が、今も耳に残っています。彼は欲しかったオートバイに乗ったまま、天国へ旅立ったのです。奥さんや幼子(おさなご)のことを考えると、胸が潰れる思いでした。 しかし、奥さんは気丈な方で、やがて三人目の子どもを無事に出産。男の子でした。 名前は、大雅≠ナした。タイガと読みます。彼は熱烈なタイガースファンでしたから、もし男の子だったと前々から決めていたのだそうです。 良い名前だと思いました。 一周忌に伺ったときのことです。 すくすくと丈夫そうに育った大雅君に目を細めていると、奥さんが妙なことを言われるのです。 「この子、写真が一枚もないんです。いえ、撮してはいるんです。けど、どんなにカメラを取っ替えても、何も写ってないんです」 私は〈写真〉と聞いて、ハッとしました。 あれは彼が亡くなる二週間程前だったでしょうか。 会社に新しくカラーコピー機が設置されたときでした。当時はまだ珍しく、一枚が百円前後もするというので、操作説明会がありました。私も集まった一人です。 それは、彼の机のすぐ近くにありました。 「ためしに何かコピーしましょう」 係員の言葉に、彼はデスクマットに挟んであった自分の写真をすぐさま取り出したのです。 「せっかくだから、拡大してみましょう」 「おっ、おおう」 出てきたコピーに歓声が上がりました。 「デカイ顔。ぶさいく……」 その中の一人がふざけてそう言いながら、二つに破ってしまったのです。 そのとき、私を襲った嫌な予感。もとより、霊感などない私ですから、ちょっと胸に黒い雲がかかったくらいのものだったのでしょう。忘れることもなく、忘れておりました。 そして、あの事故。 写真を破ったという行為が、それ以来ずっと引っ掛かっていたのです。 私は奥さんに、この一件を掻い摘んで話しました。 「あのう、写真というのはこれでしょうか?」 「えっ? ええ、多分これだったと思います。彼の机を整理されたときに持ち帰られたものなら、きっとそうです」 じっと手元を見詰めていた奥さんは、やがてポツリと言われたのです。 「お願いがあります。そのコピー機で、もう一度コピーしてきてもらえないでしょうか。破いた友達に悪気はなかったと思います。主人は、冗談好きな明るい人でしたから、からかい易かったんでしょうね」 私が写真を持ち帰り、すぐにコピーしたことは言うまでもありません。木製の写真立てに入れ、送ってあげました。 梅雨が明けたころ、お礼の手紙とともに、大雅君の写真が数枚送られてきました。 彼に似た愛嬌のある顔が笑っています。 何ごともなかったかのように。 |
◇作品を読んで
作品は原稿用紙で四枚だが、こういう長さの小説、つまりショートショートは、二十枚の小説になりそうだと考えられるものを数枚に圧縮するという気持ちで書く。だが、読み手には二十枚の作品だと思わせる。 最後に書かれた「何ごともなかったかのように、大雅君が写真に写っている」を読んで、タイトルの「写真」に目が行く。SF的でファンタジックな雰囲気をも含めた巧みな構成であると思う。 優しく語りかけている文体も、内容にぴたりと合っている。前半部分の出来事は、その通りではないが作者の経験である。そこから後半が作られた。 味のある作品で、この作者の得意とする分野でもある。 |