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随筆 再 会
  
               糸原 静   
                                                                        島根日日新聞 平成16年8月19日付け掲載

「船! 船!」
 何度も手のひらを下へ押さえるようにしながら、思わず叫び出してしまった。
「沈む! 沈む!」
 周りの人達が、皆唖然として私の顔を見た。
「この曲を聴いたことがありますか?」
 講師がそう言って、ピアノを弾き始めた。最初の和音を聴いたとたん、私の脳裏には船が沈む光景が浮かんだ。曲名が出てこない。何小節か弾いて、講師がこちらを見た。
「タイタニック」
 やっと言うことができた。これでも答えになってはいない。
 映画『タイタニック』の中で、船が沈む時、救命ボートへ乗り移る貴族のために楽士達が演奏した曲だ。
 音楽療法の体験講座に参加した時の出来事だった。
 参加者の中にクリスチャンがいないことを確かめてから、講師はこの曲を弾いた。『神のみもとに近づかん』という賛美歌だ。葬儀の時に歌われるらしい。
 講師の今までの体験では、この曲を覚えていた人はいなかった。だから、この曲を聴かせ、感想を言わせ、種明かしをするつもりだったそうだ。映画を見ていなくても、『タイタニック』と言えばどんな状況だったか、たいていの人はわかるはずだから。
「結婚式の時に聴いたことがあります。」
 などという突拍子も無い反応にも、説得する自信があったらしい。
 予定を狂わせてしまった。ごめんなさい。
 以前から音楽療法に興味があった。生活の中に音楽を≠ニいう気軽そうなテーマだったので参加したのだった。
 まさかこの曲に再会できるとは思ってもみなかった。
 哀愁を帯び、日本の『叱られて』を連想させる曲だ。講師はピアノで弾いたのだが、映画では弦楽四重奏だった。弦楽演奏が好きなことも、深く印象に残った一因かも知れない。
 弦を弓でこすって発する音が美しく奏でられると、私は心を揺さぶられる。テンポの速い曲を技巧的に弾くより、ゆったりとした曲で楽器を歌わせる演奏に感動する。
 生命の危機に瀕している時でも、逃げる貴族のために、バックグランドミュージックを演奏させられるのか。楽士達だって早く脱出したいのに。身分の上下による理不尽さに、憤りを感じる。スクリーン上はそんな状況下だった。
 実際の演奏者達は、死の恐怖の中で弾いたわけではなかろう。映画の場面をひとつのステージとして、練習の成果をおおいに発揮したのだろう。心を洗われるような演奏だった。
 忘れられない曲になった。
 だが、映画ではメインの曲ではなかったのか、以後聴くことはなかった。番組で映画音楽を放送しても、『タイタニック』と言えば『マイハートウィルゴーオン』ばかりだった。CDを買ってまで映画音楽を聴く趣味はない。
 講義の終わりに、ちゃっかり楽譜をコピーさせてもらった。音符を目で追うと、耳の奥底にあの演奏が蘇る。

◇作品を読んで

 茶道、華道の例を持ち出すまでもなく、幾つかの日本の伝統芸道には型がある。このところ学校教育においては個性を大事にという考え方から、型を教えることを避けている。文章も同じで自由に書けと言われても、困るのである。基本となる型から入り、型から出るところに真の個性がある。文学教室で何度も話題になっている起承転結も型であり、そこからいろいろなパターンが考えられる。
 この作品は型をくずし、冒頭に驚きの叫びを持ってきた。「船」と「沈む」の繰り返しという断言で始まった書き出しは、強調された明快さである。いつでもこれで良いというわけではない。内容と文体によって違う。
 最初の一行というのは、誰でも苦労する。魅力あるそれでなくてはならないからだ。そして、それは最後の結末へと繋がっている。