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小説 竹取の物語
  
               森  マコ   
                                                                        島根日日新聞 平成16年8月11日付け掲載

「満月まで、あと三日」 
 タキコは、そっと呟いた。今まで幾度満月を見てきたことだろう。生も死も超越してしまい、タキコは自分がいったい何歳になっているのかも分からない。
 サヌキと結婚したのが、壬申の乱のさなかだったことは記憶にある。
「ねえ、今、何年?」
 ドライヤーを使っている娘を振り返り、タキコは申し訳なさそうに聞いてみた。
「ニセンヨネン、アテネオリンピックの年よ」
「何回目のアテネオリンピックなの?」
「私にとっては初めて。パパぁ、ママがまた変なこと言ってるよ」
「ほっとけ、いつもの瞬間ボケだ」
 娘は、それっきりタキコを相手にしない。夫のサヌキはニヤリと笑うと、また、囲碁の本に目を落とす。
 パチ――石と碁盤の触れ合う音が、タキコの胸に残る。
 タキコはいつも真面目に話すのに、二十歳になる娘は、フーンとしか言わない。この娘が良い夫となる人を見つけたとき、話して聞かせようと思っていることがある。中秋の名月の夜に起こったことを。

 かぐや姫との別れの夜だった。
 帝は体が動かなくなられた。もちろん、おそばに侍る五人の貴人達もだった。
 すべてが止まってしまったのだ。音もなく光だけの世界になったとき、タキコは見たのだ。かぐや姫が自分のほうに瞬間移動するのを。
 ワープ?
 あの頃のタキコは、まだワープという言葉を知らなかった。タキコの体もかぐや姫を追うように動いた。宇宙遊泳のようだ。軽い。なんだか、気持ちまで軽くなったみたいだ。
「ありがとう。タキコ」
 そう言うと、かぐや姫は十二単の最後の緋色の裾をそっと押さえた。濡れたような大きな瞳がタキコを見つめる。泣いているのかと錯覚しそうだ。
 タキコは、かぐや姫の頭を撫でたくなった。可愛い仕草を見ていて、いとおしさで胸がいっぱいになったからだ。
 かぐや姫に吸い寄せられるように近づき、両手で頭を抱きながら撫でる。
「かわいい姫、私の大事なひと」
「タキコ、わたしの足を見てごらん」
 小さな疑問とためらいを感じたタキコは黙っていた。
「足……」
 確かに、そう聞こえたのだ。
 足が痛いのだろうか。タキコは手をかぐや姫の裾の中へ持っていった。裾の中の冷たさが魂に響くようだ。かぐや姫は、ピクリとも動かない。きらきらと輝く瞳が金の盆となった月を指し、月光と瞳の輝きが一体となった。途端に、かぐや姫の体がグーンと伸びた。三尺は伸びただろうか。
「ケロッ」
 かぐや姫がもらしたためため息と共に、小さな声が聞こえた。
「おや?」
 弾かれたようにタキコは、かぐや姫の足を触る。あわてて、上から下へ、下から上へ。この足、この筋肉、この冷たい感触は……?
 見るのが怖くなったタキコは、ぎゅっと目をつむった。再び瞼を開いたとき……。
 蛙?
「月には、兎が住むと言いますよ。蛙もいるのですか。」
 タキコは聞いてみた。
「ええ。月には、ラービトとトータスがいるの。夫のスーネクも」
 かぐや姫は、月の人達の話を始めた。自分は、結婚をしていること。五人の貴公子達を困らせたわけと帝への思いを。
「スーネクは、貴公子達よりも美しい人なの」
「いいえ、違うわ。スーネクは、ただ、聡明なだけ。けど……ドーンキという女性も愛しているの」
 クルクルッと目を動かしたかぐや姫が、緋色の裾を持ち上げる。そこには、水に濡れた蛙の足があった。スーッと水を蹴ったときの伸びやかな美しい足だ。この足を帝に見せられるはずがない。貴公子達に触れさせなかったのも肯ける。
 袂に仕舞っていた手も袖から出し始めた。ゆっくり、ゆっくりと。
 出てきた手を扇だとばかり思っていたタキコは、そのあまりの美しさにクラリとしてしまった。水かきのついた手であった。
 大きな扇と見聞違えるような手。かぐや姫は、その手をゆっくりと顔の前にかざす。顔は隠れた。見事な扇だ。透き通っていて、七色にかすんでいるようでもあり、紅く光を放っているようにも見える。
「タキコ、この世に水がある限り、タキコに永久の命を与えます。真が見える目と一緒に」
「……」
「単身赴任も今日で終わり。スーネクは、私が帰るのを待ちわびていることでしょう」
 そう言いながら、七色の水かきを袖の中に隠してしまった。
 かぐや姫は、ふっとワープする。
 あわててタキコは帝の側にかしこまる。何もなかったかのように、帝は動かない。
 どのくらい時がたったのか。タキコは、静かに息をひそめて朝を待った。
 辺りが、ゆるりゆるりと青に変わる。東の方角が明るくなり始める頃、暁の星がスッーと瞬いた。タキコには、輝きが音となって聞こえた。
「ケロッ」
 小さく、そう聞こえた。
 永久の命とは、その目とは何のことだろう。
 暫くはそのことばかりが気にかかり、タキコは空気のような日々を送った。

 夏が過ぎ、秋が終わり、冬の満月のある日のことだった。
 何気なく見やった夫サヌキの耳が……。耳がザルに変わっている。竹で丁寧に編み上げたザルだった。真が見える目とは、このことだったのだ。
 それからというもの、決まって満月の夜には、人の体の一部分がものに変わって見えてしまうようになった。タキコが美しいと思った満月のときには、なおさら巨大なそれに変わって見える。ときには悲しく、あるときには、切なく。
 かぐや姫のすべすべした、冷たい足を思う。スッと水を蹴る美しい足の蛙。
 中秋の名月を幾つ迎えたことだろう。幾たび、名月を送ったことだろう。タキコは、もう数えることをやめてしまった。髪は白く背も曲がったままだが、かぐや姫を見たあの日と同じで、命を終えることがない。
 今日は、何百年ぶりで数をかぞえようとした。タキコは、満月には決して鏡を見ない。自分がどんなものなのかを知るのが、少しだけ恐いからだ。
 髪を乾かし終わった娘が、タキコに近づいてくる。
「瞬間ボケのマーマ。今度はどこにワープするのかしら」
 歌うように言う。
 タキコには、娘の声がゲロゲロゲーロとしか伝わってこなかった。

◇作品を読んで

 八月号の『小説現代』はショートショートを特集の一つとして、取り上げている。ショートショートとは、文字通り短い小説で、超短編小説とも言われている。原稿用紙ならば何枚か、と問われても答えはない。二枚のものもあれば、数行のものもある。日本では星新一という作家が創始したとも言われているが、極限まで文章を削った小説である。ジャンルはないが、どちらかと言えば、SFとミステリーの分野で書かれている。
 この作品は約二千文字と短いものだが、アイディアと結末に面白さがあり、この世と幻想の世界が交錯するという構成もショートショートの条件に合致している。
 作者の発想は、どこから来たのだろうか。おそらく頭の中で、いろいろな事柄が浮かび、それを組み合わせたのではないかと思う。
 考えていることは、他人に言わない限り分からない。自由に空想の世界を楽しむことで、アイディアが浮かぶのだろう。