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ドジリーヌ姫の優雅な冒険         
                        小 林 信 彦

 ドジリーヌ姫――西欧の物語に出てきそうな名前は、もちろん架空である。スキー場では貸しスキーを折り、友達に借りた車を格調高いホテルの玄関に突っ込むほどのドジから来ている。料理もできず冷凍食品の解凍しかできないが、夫は料理好きである。その二人が松江にやって来て、あの有名なシャリアピン・ステーキを食べる。そして、事件は起きた。
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 旅館でひと休みしてから、夫は、松江市内を案内してくれた。
 お城、武家屋敷、小泉八雲旧居、等々――いずれも敏子にとっては初めての見学である。
夫はなにをしていたのだろうか、と敏子は考える。
 どうやら松江に滞在していたのではないらしい。言葉のはしばしから鳥取にいたらしいことがうかがえたが、それについてたずねるのは禁句であった。秋彦のような〈さすらい人〉に、なぜ、と問うことはできない。この世に悪がある限り、夫はかけつけるのだ。そしてこの世の悪が消滅しない限り、夫は家庭で安息することはないだろう。
 夕方になってから、二人はタクシーで、天神ホテルに向った。大橋を南に渡って、すぐのところだ。
 新築のホテルは五階建てで、ドアを入って右側がグリルである。
 グリルの入口には〈シャリアピン・ステーキ祭り〉と書かれたアーチがあって、ホテルが売り物にしているのがわかった。さらに、〈グランドシェフ南雲氏、明日、テレビ出演〉と貼紙がしてある。                    昭和55年 文春文庫
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 12話の全てが料理がらみである。シャリアピン・ステーキは第3話、第9話では島根の雑煮、第11話には松江大橋の南詰にある鰻屋で、炬燵にあたりながら宍道湖から吹きつける粉雪まじりの風の音を聞き、熱燗で一杯やるという話がある。



鬼の影/花渡伝説考       
                      森  真沙子

登場する「S大学」は島根大学、暴れ川で有名であると書かれている「P川」は斐伊川ではないかと思われる。上流にあった「花渡」という中世の都市が川底に沈み、そこに残る古い影踏み遊びのわらべ唄に、「花渡伝説」が絡む。S大学に赴任した瀬尾明子は、P川の上流で起こった殺人事件の解明に踏み込むことになった。
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 何て陽ざしの柔らかい土地……。二日前、出雲空港に着いた時、わたしはそう思った。
 東京のそらがあまりに曇っていて、冷え冷えしていたせいだろう。
 空港は小さく、鄙びた田園風景に囲まれていた。とおくには出雲の山々が、ゆったりと奥深く連なっている。うらうらした陽光は、柔らかく、水に近いまちに特有のきらめきがあった。
 松江までは、バスでほぼ一時間。
 がらんとしたバスに射し込む光は、眠くなるほど温かだった。バスは宍道湖沿いに走る。ラフカディオ・ハーンは、山陰の冬の寒冷に耐え切れず、暖かい熊本に逃げ出した、と何かで読んだことがある。……略……
 三十分後、わたし達は松江大橋にほど近い『レダ』という店にいた。
 東京なら、神保町の奥にでもありそうな、何とも古めかしい店だった。喫茶店と古本屋と骨董店が合体したようで、通路は古本の棚で埋まり、調度品や装飾品は明治調はかりだった。
 ロングスカートで黒いショールを肩にかけた白髪の老女が、注文を訊きにきた。それが女主人だった。店内は薄暗く、壁にも椅子にもコーヒーの匂いが滲みこんでいた。
       ミステリー日本地図 ミステリー大全集2 
                           新潮文庫 平成元年刊
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 S大学とは、SHIMANEのSを付けたということはよく分かるが、P川のPとは何かと聞いたところ、殺人事件の現場だから、固有名詞をぼかすため、という返事があった。
 影踏みわらべ唄からは、岡本綺堂の妖編「影を踏まれた女」を思い出す。著者の森真沙子には、松江北高等学校が舞台と思われる「図書室」というホラー短編小説がある。                                   

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