図書室    森 真沙子

 新橋に向かう堀川遊覧船から振り返る。老松の間に見え隠れする小泉八雲旧
居、記念館、武家屋敷のあたりは、塩見縄手という。新橋をくぐると、ふれあい広
場である。遊覧船による堀川めぐりは、約1時間。
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 幾重にも霞む山なみに囲まれたこの松江は、町なかに堀割や川や湖を抱えた、
陰影に富んだ城下町である。
 学校までは自転車で十分くらい。城山公園の下を抜けて行く通学路に、ラフカディ
オ・ハーンの旧居があって、行き帰りにその侘びたたたずまいを横目に、走り抜ける。
 図書室にもハーンの著作や研究書が揃っていて、わたしはここに転校してきて初
めて平井呈一の訳による小泉八雲の怪談集を読んだ。
 この学校には怪奇小説や恐怖映画に趣味のある国語の塚本先生がいるおかげで、
ふつうは児童書や教育書や文学全集がいばっている図書室に、思いがけない異端
や幻想怪奇系の書物がけっこう揃っていた。 
 転校してから二ケ月くらい、わたしは夢中になってこうした書物を読み漁った。
「あんた、そう本ばっかし読んでないで、たまには映画も観ましょうよ」 
 あまり友達と交わろうとしないわたしを気づかって、そう誘ってくれる友達もいた。
 川田郁江は宍道湖畔の菓子の老舗の娘で、家によく甘いものを持ってきてくれる。
世話好きで、あちこち連れて行ってくれるただ一人の親友だった。
           (転校生・角川ホラー文庫  森 真沙子 平成5年 角川書店刊)  
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 高校生有本咲子が、転校した学校で出会う幾つかの事件が、美術室、音楽室など
を舞台に展開する。松江の舞台は、小泉八雲旧居近くにある県立高校なのであろうか。
             


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     短 夜   高 橋  治

 松江藩七代藩主松平治郷の号は不昧である。茶人として知られ、工芸品の製作を
保護、奨励した。楽山焼、布志名焼は不昧公好みの茶器を作った窯であり、木工の小
林如泥はあまりにも有名である。その松江に女骨董商が来た。
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 蔦代は三ケ月ほど前に山陰の温泉に骨休めに出かけた。その帰り道に松江で下車し、
ホテルに一泊した。松江も名代の茶どころだから、良い同業者がなん軒かある。そこを
廻って、城の濠に面したコーヒー店に入った。古美術喫茶と麗々しく掲げられた看板に
興味を持ったからである。
 古い民家の古材を生かした造りで、階段の踏み板のはり出しや、出窓の内側などに、
点々と色々な品が置いてある。船箪笥もいく棹かあり、その上も品物の陳列台になって
いた。
 しかし、なんといっても、本業がコーヒー屋か骨董屋かわからない店である。奥まった
隅の席に坐るまでに、さっと眼を走らせただけで、大体の筋は知れた。
 これで、コーヒーが不味かったりしたら、なんの取柄もない。無残な判断を下して、椅
子に腰を下ろした。古材を加工したテーブルの上にガラスが敷いてあり、その下にこう
書いた紙片がはさまれていた。
「この店の品は、なんでもお売りします」
 大きく書いた脇には、テーブル、灰皿、砂糖壺に使ってあるソバ猪口、花活けなどの
値段が記入されている。灰皿も猪口も改めて見直すほどのものではない。
 だが、花活けは違った。口がとんでしまって、断面が鋭角に尖っている。しかし、一見
して李朝初期の徳利で、それもただならぬ肌の澄み通り方をしている。
                        (短 夜 高橋 治 平成5年 朝日新聞社刊)
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 氏家蔦代は名古屋の骨董商であり、その商才は群を抜いていた。だが、骨董ばかりで
はなく、恋にも情熱を燃やしている。その蔦代が、松江に来て、堀端の店で李朝初期の
徳利を5万円で買う。その徳利は、1300万で売れた。


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