松江市誌に物外和尚の記述

松江市誌(昭和16年10月1日発行、発行者:松江市、印刷社:内外出版印刷(株))第2編 地理誌、第2章 人事界、寺院の項目に、物外和尚のことが載っておりました。
祝盛山 宗泉寺

 寺町にあり、曹洞宗退休寺(伯州●〔花の下に日〕八橋郡)末、源翁派なり、本尊十一面観音、此の寺元才ノ神にあり宗泉庵と称した。明徳元年松浦熊太郎の開く所なりしが、其の末裔松浦唯之進貞房文安二年現地に再建し、祝盛山宗泉寺と改号し、源翁四世の法孫大慈院二世趙天仲●〔ごんべんに念〕大和尚を請じて開山と仰ぎ一門の菩提寺とす。本寺に嘉永、安政の頃に勤皇の僧拳骨和尚が滞留し、藩中血気の徒に武道と神道を鼓吹した。拳骨は伊豫松山の産れで、武田信玄の裔と云われ、名は物外、泥佛庵と号した。怪力の所有者で弓矢、劔槍、拳法等にも達し、京阪にて今弁慶の和尚と云った。本寺には境内に観音堂、地蔵堂各一宇あり。


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