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2009年9月議会一般質問

[2009/9/25]
ショックの大きかった衆議院選挙後の一般質問、時間がなくて、追われ追われの苦しみながらやっと間に合いました。
  1. 情報産業の振興について
  2. 防災対策について
  3. 環境問題について
  4. 看取りステーションについて
 質疑内容は下記の通りです。それぞれ文字色で私の質問知事答弁関係部長・教育長答弁がわかるようになっています。
  質問の第一は、情報産業の振興についてであります。
 先日、Ruby World Conferenceが開催されました。この松江市に世界からRuby開発者が集まり、予定を超える参加者を得て、熱気の中、大成功で終わったようです。
 それにしても、まつもとゆきひろさんとRubyへの世界からの熱い視線、まつもとさんを地域資源とおっしゃった県の姿勢は当を得たものと改めて肌で感じた次第です。
 さて、このConferenceに参加して、二つの点がとても印象に残っています。
 一つはRuby国際標準化、二つ目がイノベーションを支える人づくりということについてであります。
 Rubyの国際標準化でありますが、OSSの自由なコミュニティという概念からすれば、一定の枠をはめ、レールを敷く国際標準化とは異質な感じがします。
 まつもとさんは、コミュニティに参加している開発者達は基本的に無償、楽しんでやっているわけです。だから、ロードマップなし、約束なし、バグは直る時に直る。そんなOSSコミュニティにとっては自由な開発に制約を受けるというデメリットと、国際標準化によって信用度や認知度が格段に高まるというメリットの両面があると仰っていました。
 現在も、県庁および県内自治体でRubyの導入がなかなか広がらない現状のように感じます。先日もある自治体でのシステム導入に当たって、開発者側ではないいくつかの要因によって、コストや仕様では勝っていたRubyでの開発提案が採用されませんでした。その最大要因は現場の変化への拒否反応ではなかったかと思います。
 しかし、SEの間では、生産性の高さとワクワクするような使用感によって、確実にシステム開発へのRuby使用が広がっています。
 であるのに、県内業者に優位性が出てきたRuby使用が、仕様に条件指定できないと言うのは本当に勿体無いように思います。
 そこに大きな風穴を開けていくのがRubyの国際標準化であろうと思います。
 Ruby国際標準化への期待とその効果についてどのようにお考えかお尋ね致します。あわせて、県庁および県内自治体でRubyを指定した導入が広がっていないように思いますが、現状に対する認識をお尋ね致します。
 次に、イノベーションを支える人づくりですが、底辺を広げ摘み上げるという手法が話題となりました。
 この摘み上げる取り組みをしている東京大学の竹内教授は、人づくりやITの振興には「大の大人」が必要だ。最大の「大の大人」は行政。しかし、国も地方行政も、こと「情報」となると対応がバラバラ。だから育てられないし育たない。本物のCIOが必要だと仰っていました。
 県に情報関係を広く俯瞰できて戦略を立てることのできる、本物のCIOを設置することについて、その有用性をどのように考え、どのように対応しているのかお尋ね致します。
 今回のカンファレンスで一番印象に残っているのは、イーシー・ワンの最首社長の話です。
 優秀だから成功するのか?今のITは複雑な状況にあり、いいものであれば売れるという時代ではない。ビジネスのイノベーションとテクノロジーのイノベーションが表裏一体であり、ルールが大きく変わり始めている。
 そして、日本のIT産業、ソフトウェア会社はイノベーションを起こせていない。その理由は、受託開発、次の手が打てていないと指摘していました。
 島根のIT産業の足腰を強くするために、一つは、Rubyユーザーの裾野を広げる必要があると考えます。小中学生時代にBASICに親しんで日本のIT産業を切り開いてきた世代があるように、島根の若者にもRubyに親しんで島根のIT産業を切り開いて欲しいと考えますが、教育現場での現時点の取り組みの状況と所見を教育長にお尋ねします。
ソフト系ITの輸出入比が1:70の中、イノベーションを支える人づくりと、情報産業として外貨を稼ぎ出すという視点で県の目指す方向や戦略についてお尋ね致します。
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 第二に、防災対策についてであります。
 近年でも隠岐や出雲市、松江市の豪雨災害など、大きな災害に見舞われた教訓から、防災対策や防災意識が高まっている本県であります。一方、今夏の防府市や佐用町などでは、またも貴い人命が失われることとなりました。
 最初に、防府市や佐用町などの豪雨災害は、我が県にとってどんな教訓があったのかお尋ね致します。
 全国瞬時警報システムJ-ALERTの整備が進められていますが、住民への伝達手段としては、市町村の実情によってまちまちであります。
 先般の豪雨災害でも、緊急避難を呼びかける外部スピーカーの音が聞こえなかったとの報道がありました。時間雨量100ミリを越えるような局地的異常豪雨の中では、外部スピーカーでの呼びかけでは十分伝わらない場合も考えられます。防災情報システムの望ましいあり方について、費用対効果も含めてどのようにお考えかお尋ね致します。
 現在、市町村において、土砂災害や洪水のハザードマップの作成が行われ、地域住民に配布されるとともに、自主防災組織結成への取り組みや避難訓練などの実施が広がっています。
 今回の豪雨下での人命にかかる被害状況を見ますと、人的被害を防ぐためには、地域の住民が的確な情報をもとに、防災知識を持ったアドバイザーなどの協力を得ながら、地域ごとのきめ細やかな防災計画を如何に策定していくかにかかっているのではないかと思います。
 例えば、こうしたアドバイザーには民間の専門家の活用も有効であると考えますが、地域の実情に応じたきめ細かな防災対策を推進することについて所見を伺います。
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 質問の第3は、環境問題についてであります。
 子ども手当てや高速道路料金の無料化、農家への個別所得補償などで注目を浴びた民主党のマニフェストですが、2020年に温室効果ガス25%削減という政権公約も随分思い切ったものでした。
 つい先日、鳩山代表は、国連気候変動サミットで条件付ながら、2020年に温室効果ガス25%削減という目標で取り組むことを世界に向けて公約致しました。
 本県出身の斉藤環境大臣は、05年比4%削減との意向を持っていた経済界からは口も聞いてもらえないと仰っていましたが、政府案14%にさらに1%上乗せし、15%(90年比8%減)という目標値を設定したことだけでもよくやったと思ったものでした。
 民主党の掲げる25%削減、日本経済研究センターの分析結果では、実質GDP3.2%押し下げ、失業率1.3%悪化、可処分所得世帯当り22万円減、光熱費負担世帯当り14万円増など、凄い数字が並び、必要な対策も本当に可能になるのかと思えるものです。
 賛否両論の中、東大名誉教授の茅陽一氏は、15%削減目標の決定は透明性の高いきちんとしたプロセスを踏んだものと評価し、実現可能性を無視して目標を決めてしまうと、絵に描いた餅になってしまう。空虚な数字を挙げるのは、返ってマイナスだと指摘しています。
 そうした大きな危惧はありますが、民主党の数字、排出権取引や森林吸収分など数字の捉え方に若干の違いはあるにせよ、ここまで踏み込むのはすごいと思います。しかし、目的を明確にし、新旧目標を比較検討の上、透明性の高いプロセスを経て、世界のイニシアチブを取っていただきたいものだと思っておりましたので、羅針盤なき船出は少し残念ですし、不安でもあります。
 それはともかく、我々の直面する気候変動などを見ると、温暖化対策は喫緊の課題。国民も相当な覚悟を持って臨むことが必要だと思いますし、そういう覚悟を凌ぐイノベーションを起こさなければならないと思います。
 あれほど環境政策に後ろ向きであった米国ですが、オバマ政権になって地球的な危機はチャンスとばかりに「グリーンニューディール政策」を掲げ、環境対策を成長戦略の要に据え、グーグルやMSのような圧倒的システム構築力で世界をリードしたように、環境でも圧倒的力を結集して世界をリードしようとしています。
 25%削減を掲げた民主党ですから、米国の「グリーンニューディール政策」をはるかに凌ぐ環境エネルギーのシステム構築に取り組まれていくだろうと思います。世界に向かって宣言したわけですから後戻りもできないと思います。であれば、我が県でもそのような視点を持って総合的な温暖化対策に取り組むべきでないかと思います。
 そこで質問ですが、わが国においては、相当な覚悟を相殺して余りあるイノベーションは可能と考えられるのか、可能とすれば、何が必要とお考えか、知事の所見をお尋ね致します。
 明年は、県の地球温暖化対策推進計画見直しの年であります。
 次への目標のベースとなる京都議定書に基づくわが県の地球温暖化対策推進計画について、目標値に対する達成状況の評価をお尋ね致します。また、特に削減どころか大幅に排出が増えていると聞く民間部門の取り組みが大きな課題だと思います。今後の取り組みの考え方についてお尋ね致します。
 見直しに当たっては、25%削減という方向性を受けての県の成長戦略を描く県版グリーンニューディール政策の策定という視点も必要であろうと思います。
 25%削減という方向性の中での県の成長戦略と県版グリーンニューディール政策の策定について、知事の所見をお尋ね致します。
 あわせて、見直しに当たっては積み上げ、とりまとめと言う消極姿勢ではなく、もっと積極的にリーディングする推進体制が必要だと思います。知事の見解をお尋ねするとともに、成長戦略が必要と考えられるのであれば、県版グリーンニューディール政策と地球温暖化対策推進計画の関係をどう考えるのか知事の見解をお尋ね致します。
 次に、県の温暖化対策では大きな比重を占めるであろう木材の有効活用についてであります。
 木材需要の低迷期ではありますが、林業の振興、温暖化対策の観点から間伐の拡大は大きな課題です。
 現在年間約7,000haの間伐が行われているとのことですが、経済性故その8割は切り捨て間伐と聞いています。長期的な視点で温暖化対策を考えるとき、二酸化炭素をどう固定化するかが鍵であり、燃料として循環させるカーボンニュートラルは次善の対策。折角固定化された二酸化炭素が将来的に大気中に還元することを考えれば、切捨て間伐を極力避け、どう積極的に活用するかが課題であろうと思います。
 先日、地元紙の1面を「隠岐の島町でバイオマス事業が始動へ」という記事が飾りました。木質バイオマスをリグニンとセルロースに分解し、リグニンを熱可塑性樹脂として活用し、セルロースはメタンガスなどの燃料として取り出す実験プラントとのこと。
 まだまだ課題はあるようですが、成功の確率は極めて高いと聞く夢のある技術です。
 こうした技術で小型プラントの設置が可能となれば、町村などに設置することによって間伐材の有効活用や林業の活性化にもつながるのではないかと考えます。
 中長期で考えれば、絶対にものにしなければならない技術ではないかと思います。
 こうした新技術への支援も含めて、県産木材の有効活用について、今後の考え方をお尋ね致します。
 中山間地はもちろんですが、最近では市街地にあっても、家屋の廃屋化が進んでいます。
 津和野おくがの村の糸賀さんは、地域の人たちに「金は残すな家残せ」と呼びかけていると聞きました。小金を残さずにその分家にお金をかければ、親族が住むようになるかもしれない、そうならなくてもIターンの人たちの受け皿になるというもの。
 こうした運動や空き家再生、小さい積み重ねかもしれませんが、家を新築するのと同等の二酸化炭素の固定化になるはず。「金を残すな家残せ」運動や空き家再生に対する所見をお尋ね致します。
 次に、地域グリーンニューディール事業についてであります。
 事業の目玉として、太陽光発電施設補助事業に取り組まれることになっていますが、この事業の詳細と温暖化対策に資する効果についてお尋ね致します。
 産業技術センターで開発中の色素増感太陽電池の事業化へと大きく前進することが期待されるとの報道がされ、明るい話題となりました。今後、更に開発が進めば家屋への設置の可能性もあろうと思います。今後の太陽光発電施設補助事業に対する県としての考え方をお尋ね致します。
 次に、積年の要望であった海岸漂着ごみ対策の予算化ですが、市町村の受け止めと県の事業の評価について、対象箇所の優先順位づけの考え方、この予算でどれだけの効果が見込まれるのか、今後の事業の必要性についての認識をお尋ねいたします。
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 質問の第4は、看取りステーションについてであります。
 先日、知り合いの方から施設に関することで問合せがありました。
 今年96歳になる一人暮らしのお母さんが弱ってきた。今まで4年間、県外にいる姉妹と交代で、ショートステイやデイサービスを利用しながらも、ずっと家族の力で介護をしてきた。でも、いよいよ体が弱ってきて、姉妹だけの力では最後までの介護と看取りができそうにないとのこと。そして、家の近く、松江市内の施設に介護をお願いしたいと考えているとのことでした。
 病気があるわけではないお母さんですから、「なごみの里」が最適ではと思いお話しましたが、近くにあればお願いしたいと思うけれども、自分が介護に通うには遠すぎる。家の近くで考えたいのだと仰いました。
 こういうケース、今の制度で考えると地域密着型小規模多機能ホームのような施設が最適かもしれませんが、弱ってこられた現在はともかくとして、今までお話を聞いている限りでは介護度はそんなに高くないと思われますので、小規模多機能ホームでも余り受けたくない方かもしれません。それに、終末期を看取るための施設でもない。
 聞く限り、医療が必要と言うわけではありませんから、有無は別としてホスピスではない。それに、病院ではないし、施設にはなかなか空きがない。
 昔はどこの家庭でも見られた老衰死ですが、核家族化が進んだ今、そう簡単には行きません。
 最近読んだ本に、医療と仏教の連携などに取り組む京都在住の中村仁一医師の「自然死と医療死」について書かれた箇所がありました。医師が自分の業界では自己否定とも捉えられかねないほど、ここまで踏み込んで言うのかという内容で、ちょっと過激とも思えますが、私にはスッと受け入れることのできる内容でした。
 その章立ては、年寄りの役割は「死にゆく姿を見せる」こと/医療への依存を断ち切って「自然死」をめざそう/究極のおすすめはがんによる「自然死」/体のサインに敏感になると「死に時」がわかるというもの。今の感覚からすればちょっと過激でしょうね。
 この考え方を押し付けることはできませんが、人生の終末期を飾るのにこういう考え方もあり、こんな生き方もあるはずです。しかし、前述の方のようにそう簡単には希望が満たせない。
 先日の全国ガンサロン交流会では、島大医学部の小林先生の「医療だけでなく、癒しが必要だと言うことがわかった」という言葉がとても印象的でしたが、中村医師の勧める「自然死」もそういうところに通じているように思います。
 中村医師の説く医療死と自然死について、どのような見解をお持ちかお尋ね致します。
 知夫の柴田さんが提唱する看取りの家、県の執行部とも何回か意見交換する中で、また、現場を見る中で、現行制度にある小規模多機能ホームに付加する形が現実的かなあとも考えるようになりました。しかし、この方のことを考えながら、看取りステーションという新たな制度を構築する必要性があると改めて実感いたしました。
 9月3日の毎日新聞には、北海道の医師グループが知夫の「なごみの里」を訪れたという記事に、2、3年後には北海道に2箇所のなごみの里(看取りステーション)を発足させると書かれていました。また、全国でこのような取り組みが始まろうとしていると聞いています。
 看取りステーションの必要性の認識と、取り組みを広げることについてのご見解をお尋ね致します。

 

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