構造改革を全面に掲げた小泉政権が発足して2ヶ月、いろいろある中依然として85%を超える驚異的な国民の支持率。
変わるのではないかという期待だけで一桁から85%という支持率に変わる。国民にここまでの閉塞感と政治不信、政党不信を募らせてきたその政治の一端に身を置いてきた政党人の一人として、わが身を厳しく振り返らなければならないと思っています。
さて、新しい世紀の到来とともに、日本は大きなパラダイム転換のときを迎えています。人口の増加、閉鎖性の強い市場などに支えられた「右肩上がり」を前提とする従来の固定的な仕組みや考え方を見直し、変動する環境に対応する新しい思考と制度を構築し、実践しなければならない時代に入り、そこでは「知識」と「見識」のみならず「胆識」が求められています。
行財政改革の「逆機能」という現象があるそうです。逆機能とは、守ろうとした制度を自ら崩壊させてしまうことであると。さまざまな環境変化に対し、政治と行政、国民も含めた社会的集団が既存制度や既得権を温存させようと延命措置に努力することが、逆に守ろうとした制度自体に更なる矛盾を抱え込ませ、時間の経過とともに既存制度そのものを行き詰まらせてしまう。
すなわち、改革による足元の痛みを回避することで、最終的にはより大きな制度崩壊と制度改革をもたらすというのであります。
ほとんど形骸化していた経済財政諮問会議が小泉首相によって命を吹き込まれ、首相と竹中担当大臣の強いリーダーシップもあり、6月21日、構造改革の指針となる「今後の経済財政運営および経済社会の構造改革に関する基本方針」を正式に決定いたしました。
今後、具体的な施策が打ち出されることになっていますが、小泉首相には「胆識」を発揮し、「逆機能」を克服し、日本がその実力に相応しい発展を遂げる道筋をつけて欲しいと思います。
聖域なき小泉構造改革に対する知事のご所見をお尋ねするとともに、聖域なき構造改革を受けて、島根県の今後の構造改革に対する基本的な考え方をお尋ねいたします。
経済財政の基本方針では経済再生の第一歩として、金融機関の不良債権の抜本処理する決意を明記しております。竹中担当大臣は主要銀行の不良債権処理を今後2年間に行うことによって10〜20万人の失業を予想しています。また、民間のシンクタンクでは不良債権処理による失業を100万人以上と予想しているところもあります。雇用のセーフティーネットの拡充も明記されていますが、最も肝要なことのひとつと思います。
本県でも、不良債権処理にかかわる失業とともに、公共事業の見直しにかかわる雇用への影響も心配されるところです。本県産業構造の変換は大きな課題ですが、新規分野での雇用機会の創出についてどのようなビジョンと展望を持って取り組むお考えかお尋ねいたします。
社会資本の整備では、効果と効率の追求が掲げられ、来年度予算から公共投資関係の予算の縮減と、配分の硬直性をもたらしているといわれる道路等の特定財源の見直しが盛り込まれ、地方交付税の見直し問題とともに最大の焦点であります。
戦後の「地方財政」は、国土の均衡ある発展を前提に地方交付税、地方債そして補助金制度などを軸に中央集権的に展開されてきました。それが、地域間資源配分の歪みや受益と負担を乖離させることとなり、国と地方の意識や制度が乖離するとともに、地方財政は複雑化し、住民にとって身近でありながら極めて遠く難解な存在となってしまいました。
その結果、いわゆる非効率的と言われるような公共事業もまかり通ることとなりました。
経済財政の基本方針や地方分権委員会の最終報告に税財源の地方への移譲が明記され、今後の具体的検討を待つことになっているとはいえ、地方の自主性・自立性を高める方向が示されたことは歓迎すべきことであります。しかし、地方分権委員会の最終報告では、税源移譲による地方税の増収がある程度地域的に偏在するのは不可避であるとし、また、課税自主権の尊重がうたわれ、自主課税の努力が必要とされているものの、税源が脆弱な本県にとっては、公共事業の規模縮小の流れとあいまって厳しい環境となることが予想されるところです。
そうした意味からも効果と効率の追求は、今後の行財政運営にとって大きな課題であり、本県でも新しい行財政システムの構築に取り組まれようとしております。
この新システムの構築については、1980年代の欧米を中心に、行財政の現場で形成され、行財政改革に重要な思考を提示するマネジメント理論、ニュー・パブリック・マネジメント理論を基にした効果と効率を追求する新行政システムの構築を図る必要があると思いますが、新しい行財政システムの構築の方向性についてお尋ねいたします。
経済財政基本方針の新世紀型社会資本整備では分野別配分を見直し、重点的に推進すべき分野としてIT施策を共通分野とした上で@循環型経済社会の構築など環境問題への対応Aバリアフリーなど高齢化への対応B地方の個性ある活性化、まちづくりC科学技術の振興D人材育成、教育施策が特に示されました。詳細は示されておりませんが、こうした重点に推進すべきとされた分野に対する基本的な考え方を伺います。また、環境分野中、首相の所信表明で特に触れられた公用車の低公害車化への取り組みについて、現状と今後の対応についてお尋ねいたします。
小泉内閣が発足し、結果として改革の姿勢を明確に示しえた問題のひとつにハンセン病患者の訴訟問題があります。今までであれば考えられないような決断となりました。
本県でも知事が初めて里帰りの皆様とお会いされ、ねぎらいの言葉もあったところであります。元患者の皆様も高齢でもあり、国はもとより、県としても可能な限りの支援をしていかなければならないと思います。元患者の皆様へのバックアップについて、どのようにお考えかお尋ねいたします。
この小泉内閣にも若干危惧の念を抱くことがあります。
そのひとつは靖国神社公式参拝問題についてであります。
靖国参拝問題は第1に憲法違反の疑いと第2に靖国神社の歴史認識、周辺諸国を中心とした国際的感情の問題から、私は公式参拝は避けるべきと考えております。
ただ、誤解を招かないために、あえて言いたいのですが、宗教法人・創価学会を最大の支援団体とするからこだわるのではありません。戦死された方々には最大の敬意を払う心情はいささかも変わるものではありませんし、私の身内にも戦争の犠牲者がおります。個人として戦没された御霊に対して追善することは尊いことであります。
疑義の第1、憲法違反の疑いについてであります。
「信教の自由」を保障した憲法第20条の1項後段に、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」とあります。この部分は、昭和21、22年の憲法制定議会での金森徳次郎国務大臣の答弁以来、「国およびその機関は国権行使の場面において、宗教に介入、関与してはならない」という解釈で一貫しています。
また、憲法第20条3項には「国及びその機関は、いかなる宗教的活動もしてはならない」とし、さらに、第89条では「公金その他の公の財産は、宗教上の組織もしくは団体の使用、便益もしくは維持のため、これを支出し、又はその利用に供してはならない」としています。
こうした憲法の規定は、ポツダム宣言を受けて、戦前の宗教政策を反省し、二度と国家が宗教を管理するようなことを行ってはならないということであります。
もちろん、首相が個人で参拝することは、憲法第20条1項前段で「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」とされまったく問題はありません。しかし、8月15日という靖国神社の慰霊祭、つまり特定の日に、首相が参拝することは、「個人としてであり、首相としてではない」と言ってもどうなのか。過去の判例の拠りどころとなった「目的・効果説」から、どこまで許されるのかという問題があります。
第2については、靖国神社は明治2年、明治天皇の勅命によって創建された「東京招魂社」に起源があります。当時、「東京招魂社」をつくられた明治天皇の考えは、「幕末の護国殉難者を国としてお祀りしよう」ということだったと言われています。このため、いわゆる信者がいるわけでもなく、神官はじめ従事者はすべて国家公務員でした。
その後、日本は「富国強兵」を掲げ軍国主義の道を歩み出し、明治12年には、名称を「靖国神社」と改称、陸軍省と海軍省の両省共管の管理に委ねることになりました。それとともに、外国との戦争・事変などで国のために亡くなった戦没者を護国の英霊として合祀することにしました。これによって、靖国神社は、いわゆる「国家神道」の象徴的な施設となり、軍国主義的な拡張政策の精神的なよりどころとして働きました。
日本が敗戦した昭和20年のポツダム宣言で国家神道を切り離すべきであるという勧告があり、昭和21年、靖国神社は、国家管理を離れて東京都知事の所管する一宗教法人となりました。また、新憲法は国家と宗教の分離を厳しく規定しました。
また、靖国神社は、戦後も引き続き、先の大戦における多数の戦没者を合祀していますが、昭和53年に東京裁判で戦争責任を問われ死刑となったA級戦犯14人が合祀されました。周辺諸国は、そういう人たちを敬い、戦前に回帰するのではないかという脅威を感じ、危惧の念が寄せられ大問題になりました。
というのも、例えば、中国は、日中共同声明の際、この戦争を起こした加害者は一握りのA級戦犯であり、日本国民も中国と同様に被害者とし、当時の周恩来総理の大英断で賠償請求を放棄致しました。
外交関係を考えると、こうした国際的な感情も当然考えなければなりません。
ですから、首相が、いかに戦没者に対し感謝の念を捧げたいと言われても、個人としてならともかく、首相として公式参拝することは慎重にすべきだと思うのであります。
靖国神社が持つ歴史的意味を考えれば、そこへの公式参拝をめぐって議論が繰り返されるより、日本の発展は、戦没者の方々の犠牲の上に成り立っているという認識があるのであれば、米国のアーリントン墓地やハワイのパンチボールのような無宗教で開放された明るい国立の墓地をつくるべきではないでしょうか。知事の公式参拝問題に関わるご見解をお尋ねいたします。
次に、集団的自衛権行使問題についてであります。
小泉首相は自民党総裁選挙の中で、憲法9条を将来改正すべきだと明言し、集団的自衛権の行使についても、40年前の政府解釈にこだわって、国益を損ねてはならないなどとして政府解釈の変更を求める考えを表明していました。
しかし、所信表明演説とそれに続く衆参両院本会議での代表質問を通して、9条改正については「世論の成熟を見定めるなど慎重な配慮を要する」と述べ、また、集団的自衛権の政府解釈についても「『憲法上許されない』との解釈の変更は十分に慎重でなければならない」と抑制した発言を致しました。
また政府は、集団的自衛権に関する従来の政府見解を繰り返した上で「さまざまな角度から研究してもいいのではないかと考えている」としています。
こうした政府の考えに対して、わが党の冬柴幹事長は民放番組で、集団的自衛権の行使は憲法上明らかに禁止され、解釈変更で行使に踏み出すことは許されないとした上で、議論をしていくことには異論がないとの立場を示しました。
実際、89年の冷戦終結以降、日本の安全保障環境は変わり、日本周辺地域にも目を向けざるを得ない状況になっております。99年成立の周辺事態法はその象徴であり、日本周辺地域の平和と安全の維持のためにどう関与すべきかという課題については、さらなる議論も必要でありましょう。
しかし、この問題を集団的自衛権論に限定すべきではなく、憲法の範囲内で何が可能かを探ることが基本政策論議の本筋とおもいます。知事の集団的自衛権行使問題についてのご所見をお尋ねいたします。
第2の質問は芸術文化振興についてであります。
構造改革を標榜する小泉政権の誕生は一種の平時の革命との声があります。
それは、これまで経済大国を目指し、達成し、しかし、バブルがはじけて今行くべき方向を見失っている、そういう中で本当に私たちがもう一度この日本のあるべき姿、世界から尊敬をされる国のあるべき姿を見つけ出す、そういう革命・大転換でなければならないと思います。
そうした意味で、私ども公明党は21世紀の日本のあるべき姿は文化大国、芸術文化大国でなければならないと提案しております。
この大変厳しい景気の中、何が芸術文化だという声もあります。しかし、今の日本以上に厳しい経済状況であった第1次大戦後、1930年代のアメリカ、ここに芸術文化政策の一つの学ぶべき点があります。
1930年代、ルーズベルト大統領が大恐慌を乗り切るためにニューディール政策を実行します。そのひとつの柱は大規模公共事業の展開でしたが、もう一つの大きな柱が、実は芸術文化政策でした。フェデラル・ワンとして、連邦美術プロジェクト、連邦音楽プロジェクト、連邦劇場プロジェクト、連邦作家プロジェクト、歴史記録調査、5つのプロジェクトを設け、驚くべき多くの人とお金を注ぎ込んで、あの大不景気、大恐慌の中で、徹底した芸術文化政策を遂行しております。
それが、不景気で沈んでいたアメリカ国民の心に明るさを取り戻し、よし、アメリカ国民として頑張っていこうという勇気を奮い起こさせたのです。そして、そのことが、第2次大戦後、芸術の中心がパリからニューヨークへ移り、ブロードウエー・ミュージカルの興隆をもたらし、西海岸ではハリウッドが巨大映画産業に成長していく基礎になったと言われております。
不景気の今だからこそ、厳しい状況であればこそ、この芸術文化というものを大切にしなければならないと思うのであります。知事の芸術文化に対する基本的なお考えをお尋ねいたします。
第2次大戦後、1946年、イギリスに英国芸術評議会が設立され、芸術文化に対して国が積極的に関与し、振興することになりました。その初代議長に経済学者のケインズが就任し、BBC放送を通じてこの評議会は、芸術文化の創造者や専門家の芸術の自由を保障し、その成果を国民が等しく享受し得るようにする。また、芸術文化に対する公的な援助は自由を擁護する政府の責任であると全国民に訴えています。ここに公の援助と自由に属する芸術文化の活動とを結びつける理念があると思うのであります。
アメリカやイギリスの例を引くまでもなく、歴史的に見ても強力な財政支援のもと芸術文化の興隆がありました。一方、わが国の芸術文化関連予算は“芸術大国”を自任するフランスの10分の1程度であり、民間からの寄付金による援助の額は、アメリカの60分の1に満たない現状であります。芸術文化興隆のため行政の関与はどうあるべきとお考えかお尋ねいたします。
さて、本県では豊な自然の中で質の高い文化が培われて参りました。また、県民の文化に対する関心と期待には大きなものがあり、その裾野は確実に広がっていると思います。
本県では文化振興指針をもとに芸術文化振興への取り組みを着実に実施して頂いていますが、さらに広く深みのある芸術文化振興、県民の精神性を高め、魅力ある地域創造の根っことしていくには多くの課題があるのではないかと思います。
芸術文化振興に関わる公的支援、民間支援の現状と拡充策をお尋ねするとともに、金持ちの子弟でなければ芸術家になりがたいという現実の中、質の高い人材の育成、輩出、地域への定着について現在の取り組みと今後の考え方をお尋ねいたします。
また、芸術文化大国を目指すには国の支援策の拡充や税制面での優遇措置の拡充、人材輩出のための奨学金制度の拡充策なども必要ではないかと考えます。県として積極的に働きかけていくお考えはないかお尋ねいたします。
本県には豊かな風土と歴史に育まれてきた貴重な伝統芸能が息づいております。子供の頃は祭りや学校などでたびたび接し、胸が踊るような感慨を覚えたものですが、あの頃に比べてめっきり接する機会が減ったように感じています。神楽などの伝統芸能の伝承・保存の現状と振興策についてお尋ねいたします。また、教育の中で積極的に郷土の伝統芸能に接する機会や質の高い芸術文化に接する機会をさらに拡充する。例えば、今文化ホールがたくさんできましたが、あまり使われていないと言われております。ここで地域の伝統芸能とか芸術家の公演をし、そこに子供たちが行く。舞台裏を見る、学校でも公演する、地域の芸術文化のリーダーに学校のクラブ活動に行って直接指導してもらうなど、裾野を広げる取り組みをさらに進めるべきと思います。現状と今後の取り組みについてお尋ねいたします。
芸術文化振興に関連して、来年度の学習指導要領から邦楽がカリキュラムに入ってきますが、学校現場ではそれを教えられる人はだれもいない。ピアノは弾けるけれども、尺八は吹けない。しかし、地域には邦楽を支えていらっしゃる方がいらっしゃるわけで、そういう方も学校に来て指導できるような体制等をとらないと対応できないとの声がありますが、今後の対応についてお尋ねいたします。
第3の質問はマンション対策についてであります。
昨年の臨時国会で、「マンションの管理の適正化の推進に関する法律」が成立いたしました。
分譲マンションは、近年この松江市でも建設ラッシュですが、現在国民の約1割が分譲マンション住まいといわれ、マンション住民が増えるにつれ、消費生活センターなどへのマンションに関する苦情・相談件数は増え続け、その数はここ10年間で3倍弱に膨れ上がるなど、社会問題化しています。今後マンションの老朽化とともに更に多くの問題が発生してくると思われます。こうした背景から同法が成立し、対策が強化されることとなっています。
過日、いくつかの管理組合の方から話をお聞きしましたが、修繕積み立てのない管理組合や、管理会社とのトラブルを経験し、随分苦労された管理組合などもあり、全国共通の課題を抱えていると感じました。
本県のマンションは相対に新しいと思いますが、現状についてお尋ねするとともに、管理組合の方からは相談する人がなくて困ったとの話を聞き、相談窓口の設置も検討する必要があると考えますが、今後の対応をお尋ねいたします。
また、今後都市化が進む中でさらに増えると考えられるマンションですが、都市政策、住宅政策の中で明確に位置付け、行政が維持・管理に一定の支援を行うことも検討すべき課題と考えますが、ご所見をお尋ねいたします。
次に島根原子力発電所の安全協定の見直しについて伺います。
一昨年のウラン加工施設JCO臨界事故を受け、国では、原子炉等規制法改正による安全規制の強化と、原子力災害対策特別措置法制定による原子力災害対策の強化が図られました。
一方、県におかれては、1号機設置以来、中国電力と安全協定を締結され、地元自治体独自の立場から、環境放射線モニタリングの実施やトラブル時の対応など安全対策をとられております。このような県の原子力安全対策への地元住民の期待は大きなものがあり、特に、周辺地域住民の安全を確保するための安全協定は重要な位置づけのと思います。
県は昨年9月に島根原子力発電所3号機の増設を了解された際に、増設計画に対する知事判断のなかで、安全協定の見直しを行うとの考えを示されておりますが、どのような観点から見直しを行われようとしているのか、現在、どこまで検討が進んでいて、今後はどのようなスケジュールで進められようとしているのか伺います。
また、見直しに際しては、県民の意見を広く聞くことも必要かと思いますが、いかがお考えか伺います。 |