環境の世紀
人類の歴史は、地球の資源を食いつぶし、ダメージを与え続けてきた歴史であります。が、一方、地球には強靭な復元力があります。火山からの溶岩噴出など、回復不能とも思える過酷な条件からも自然はみごとに甦っています。
しかし、人類の地球を侵す速度が飛躍的に増し、自然には還元しない物質をも垂れ流してしまいました。水を得ることによって何十億年をかけて有機物から人類をも創造した地球も、元を辿れば、灼熱の星であったようでありますから、宇宙全体の輪廻を考えれば、形態は別にして地獄のような環境になってもそう気にかけることではないかもしれません。
見方によっては、人類は愚かでもありますが、理性も兼ね備えています。20世紀末、私たちは今のままではいけないとの意識が広がりました。そうしたことから、20世紀の反省の上にたって、21世紀は地球へのダメージを極力少なくし、循環型社会を構築していく「環境の世紀」と言われています。
ニュービジネス
長引く不況、構造改革圧力もあって、さまざまな業種で、さまざまなニュービジネス展開へと夢をかける、活路を開こうとする取り組みがされていますが、前述のような背景もあって、環境分野も新たな事業展開の大きなマーケットになろうとしています。
昨日、桝屋前厚生労働副大臣がこちらに参りましたので、行政関係の陳情を受けたり、福祉関係者懇談会や、企業経営者の皆さまとの懇談を行ないました。
製造業関係のある企業では、京都で行なわれたCOP3での動きなどを受けて、環境ビジネスに着目し、生ゴミ処理機の開発を行なっていました。コンセプトはバイオ式消滅型生ゴミ処理で98%を減容、一日処理能力は1キロタイプから2トンタイプまでさまざま。
しかし、この業界は開発競争が熾烈、1〜2年前に見学にお邪魔した松江の業者も殆ど同じコンセプトのゴミ処理機を開発しています。ここでは、例えば山の頂上など、処理困難な場所への簡易トイレの設置なども事業展開しようとしていましたが、その後どうなったのか?恐らく全国でも数多くの業者が、さまざまなコンセプトで開発と販売に凌ぎを削っていることと思います。私のところでさえもさまざまな業者の方から、さまざまな機器や商品の売り込みの紹介依頼があります。生き残りは容易ではありません。
件の企業、本業の方は公共事業や企業の設備投資意欲の減退などで、仕事量の落ち込みはそれほどではないものの、単価の落ち込みが激しく、本当に大変な様子です。そんな環境もあって、新世紀型産業分野への進出を数年前から模索し、現在バイオ式消滅型生ゴミ処理機に社運をかけ、販路拡大に取り組んでいらっしゃるとのことです。
生ゴミ処理機
現在、多くの自治体では、ダイオキシン対策のための次世代型焼却炉の整備が迫られていますが、連続燃焼のためには1日100トンのゴミが必要とされた数年前に比べ炉の技術革新が凄まじく、炉の大きさを決めるゴミの減量化や効率燃焼が課題となりつつあります。そうした中ですので、生ゴミ処理機は、自治体にとっては魅力的ではありますが、国の補助制度がないことや、設置後のランニングコスト(収集体制や住民への周知の問題も含め)などを考慮すると二の足を踏むこととなり、広がりにくい実態と思われます。
一方、先ほど述べたように、生ゴミの減量は行政にとって大きな課題でありますので、家庭用の処理機購入の際には多くの市町村が独自で補助制度を設けています。こうすれば、1回だけの一部補助で済みますし、ランニングコストもかかりません。地方交付税の将来も不透明な中、財政状況の厳しい地方自治体にとって、自治体設置と家庭設置を秤にかければ当然の結果と言えます。
とういことで、社運を賭けているともいえる大型処理機の販売にはかなり苦戦を強いられている様子でした。そこで、国の補助事業の対象にでもしていただけないかとの相談、陳情でした。
公共事業
この日最初にお邪魔したのは東出雲町のおちらと村≠ナ、ここで町長からの陳情を受けました。この施設は、介護保険施行にともない、高齢者の皆さんが少しでも介護保険のお世話にならないようにと、元気な高齢者の皆さんの生きがいづくりのため作られたもので、木工細工やIT講習などさまざまな行事が催されています。これは、介護予防拠点施設と言われるもので、国の10割国庫補助事業として、国費1億7千万円、土地代や周辺整備に町費5500万年余を投じて作られた木造のとても立派な建物で、管理は社会福祉協議会に委託されています。
かつて、草ぼうぼうで未整備だった揖屋駅周辺の姿を見かねた地元の石原町議が、町の顔とも言える場所であり、整備すべきではないかと本会議で提案したのが実り、駅舎隣接の案内所やトイレ、鉄道をまたぐエレベーターつきの舗道、駐輪場、周辺の公園が整備されました。夕方、その場所を見に行きました。
事業費13億円余り、壁に向かってテニスが出来たり、バスケット、スケートボードなど青少年向けの施設も整備され、高校生が、バスケットやスケボーに興じていました。スケボーは、米子あたりからも汽車に乗って利用しに来るのだそうです。そのことは素晴らしいことです。
これはまた、町長さんにとっても大きな実績です。10割国庫補助の施設をわが町にひっぱて来ることは、全国3300余りの自治体が凌ぎを削る競争の中で大変なことです。また、事業にともなって、生活の糧を得た皆さんもたくさんいます。
しかし、今、本当にこんな立派な施設が必要なのか、と思うのは私だけでしょうか。施設を作ると必ず管理経費が必要となります。
一方で、社運を賭け、自前資金で新産業分野への研究投資を行っている企業がある。また、製造業の空洞化は著しく、折角の技術力があっても運転資金融資が受けられず廃業に追い込まれている中小零細企業が後を絶たない現実。
日本国債格下げ
6月定例議会の一般質問でも話題にしたのですが、ご承知のように、S&Pの格下げに続き、5月末、ムーディーズ・インベスターズ・サービスが日本の円建て国債の格付けを2段階引き下げました。
既におり込み済みであった市場は冷静な反応でしたが、国内では悲鳴とも思える過剰反応が各界から巻き起こりました。財務省の言うように国民の預金残高が1400兆円、世界でも類を見ない外貨準備高(主に米国債;しかし、小泉首相は訪米の際、ブッシュ大統領からの要請で米国債の放出はしないと約束したと言われ、手足を縛られている現状)を誇る日本ですので、にわかに日本破綻のシナリオとはならないでしょう。
しかし、日本の国債発行残高は本年度末で414兆円(補正予算を含まず)となり、地方の借金も合わせた公的債務残高は693兆円となり、国内総生産(GDP)の1.4倍となります。格付けが「A1」だった90年代前半のイタリアでさえ債務残高はGDPの約1.2倍、財政と貿易の「双子の赤字」に苦しんだ80年代の米国はGDP比6割程度で、その突出振りは類を見ないものであります。また、日本道路公団、国民金融公庫等の特殊法人が抱えている債務などを加えると、総額では既に1000兆円を超えていると言われます。更に、銀行の不良債権や財政投融資の焦げ付きなども考慮すれば、潜在的な政府債務はさらに膨らむとする見方が一般的です。
今年度の国債発行額は、30兆円枠ということもあって、新規債の発行額は30兆円ですが、公債の償還に当たってその財源を調達するために発行される借換債69兆6千億とあわせると、約100兆円が発行され、そのうち利払いに充当する国債が約10兆円です。言わば、借金返済のために新たに借金している現状で、借金返済の目途は全くないといったところではないでしょうか。
平成4年には全部あわせても31兆円でしたので、その急増ぶりがわかると思います。
さて、この国債はどこで消化されているのか。景気下支えのため、現在日銀はゼロ金利政策をとり続け、市場には資金がジャブジャブと注がれ、通貨供給量はGDP比130%を超え、相当高い水準(一般的にGDP範囲内程度が健全と言われ、供給量が増えるとインフレ要因となる)です。しかし、この資金は肝心の民間融資には殆ど回らない、いわゆる貸し渋りと言われる現象です。では一体このこの市場に出された資金はどこに流れているのか?
政策による低金利下で、魅力的な金融商品がないため、こうした資金は銀行などの金融機関や日銀(政策的に)によって国債を買い支えるために注がれています。また、国債消化には、ペイオフが一部解禁となり、個人資産の内1000万円を超える部分がより安全な投資先として国債に流れています。1000万円を超える部分は、まだ総額で34兆円程度と言われ、今後も国債へのシフトが続くと考えられますし、財務省でも一般投資家へのPRを強化しています。
しかし、このような異常事態がいつまでも続くはずがありません。景気との関係はあるでしょうが、早晩ゼロ金利政策を見直す場面が来るわけですが、国債の金利が年1.3%の現在で利払いに充当する国債発行が10兆円ですから、金利が倍の2.6%に上昇するだけで20兆円が利払いのみに消えることになります。
今年度の国の税収見込みは総額で46兆8千億円(ちなみに13年度は税収見込みを1兆近く下回り、歳入欠陥に陥ることが確定的)ですから、10兆円でも21.4%、20兆円だと42.7%となり、現在の財政構造を考えれば国の事業遂行は不可能と考えられます。
こうした状況から脱出する道筋を日本が示しえていないことが、ある意味では過剰とも思える国債格下げという市場からの反応であると思います。
私の知る経済アナリストは、日本政府は公的債務の問題をどのような方法で解決できるのかについて、@インフレーシヨン(年率20%〜100%)を引き起こし、公的債務の目減りを行なう。個人債務の負担も減少するが、年金、預貯金も目減りし国民は生活が窮乏し、財産も失うことになる。A消費税を中心とした増税(消費税は30%〜40%)。この策は、国民の反対が激しく非常に困難な方法であり、政権交替を覚悟しなければ実施できない。B預貯金封鎖を実施して、その何割かを没収する。この方法は、昭和21年にインフレ一ションを抑えるために実施され、預貯金封鎖と新円切換により国民は財産を失なうこととなった。最も激烈な政策であり可能性は低いが、有り得るかも知れない。事前に知らされない為、多くの国民が財産を失うこととなるとし、@の可能性が一番高いと思われるとのリポートを送ってきました。
また、今後の日本経済について、数年以内にハイパーインフレが発生する可能性が高い。そして、経済が壊滅的な打撃を受けてから初めて根本的な構造改革が始まるのではないかと思われる。なぜなら、日本はよほど酷くならないと、反対勢力を抑えて改革を進めることができないからである。これも、日本が歴史的に安全な国であったことによる危機意識の少なさが原因であると言っています。
こうした状況を、アナリストの指摘するような破滅的な方法ではなく、国民生活を守りながら改善するためにはどうすべきか?それは、@景気回復によって税収を増やすA歳出を削減するB国民負担(税金など)を増やす、この3つの方法以外にはありません。そのため小泉内閣では決死の覚悟で構造改革への取り組み姿勢を示しています。
しかし、良心的経済学者の間では、既に数年前から、今日の政府債務はもう解決不可能な状況で、如何に問題を少なくするかというアプローチをとらざるを得ないと言われており、その後の財政運営の結果、増税(消費税40%)と歳出削減を組み合わせても実行可能な政策を提言できなくなっているとしています。
公共事業
2月議会でも取り上げましたが、島根県の14年度予算では、県の単独事業として相変わらず新世紀道路ネットワーク事業≠ニして300億円が計上されましたし、今後、歴史民族博物館、芸術文化センターなどのいわゆる箱物建設が計画されています。恐らく事業費が数百億円となるでしょう。
長い目で見れば、必要であり、当然あった方が良いに決まっています。今、こうした箱物建設は最後のチャンスと言われています。つまり、建設のための借金返済に交付税措置(後年度)があるからであります。
今、国庫補助制度やこうした交付税のあり方が見直されようとしており、建設するにはまたとない機会かもしれません。
しかし、公的債務の問題は政府や財務省だけで解決できる問題ではありません。構造改革の行方と政府の経済運営、財政運営の行方によっては、歳入に占める割合が27%余りの自主財源しか持たない(税収に至っては13%余り)我が県財政はいっぺんに破綻してしまいます。
公共事業の質の見直しと言われながら、最初に述べたように、省益擁護に凌ぎを削っている結果としてメニュー式国庫補助制度が温存され、予算を分捕る手腕が評価され、今本当に必要なのか(優先度が高いのか)?と思える事業にそんなに必要なのかと思われる高額の予算がつぎ込まれる。その結果として、どこの町に行っても同じような箱物が揃っている。
ヒモの付かない予算であれば、どう使うか優先度を決め、本当に精査して事業に取り組むでありましょうし、首長・職員・議員の質が問われることになります。ある国会議員は、現在のあり方が日本民族に一番合っているからこそ、こうした仕組みが出来上がったと言っていました。
私は、磨き上げ蓄積してきた技術力を守り高める、また、新しい産業を育成することにもっと、もっと予算をシフトしなければならないと考えてきました。島根県にあっては、産業構造の転換に数倍、数十倍の力を注ぐべきであると。〜その源は教育であることは当然として〜それが、県財政を安定化させうる唯一の道と思います。地方の我々が取りうる選択肢はそんなに多くありません。なにもかもはできないのです。
こうした危機感もあって、6月議会の一般質問で企業誘致を取り上げたのです。
ある国会議員が、一番危機感の欠如しているのは首長ではないかとつぶやいていたのが印象に残っています。 |
|