天才 前田智徳

 広島カープの4番、前田智徳に対するプロ野球解説陣の評価は画一化している。
  天才この一言で片付けられる。
  天才という言葉を使うことは私自身好きではないが、それ以外に言いようのない男であろう。
  前回の川相編で少し触れたが、人が特定の選手を天才と感じるのは、
  とても真似できない努力でどうにかなる域を越えていると思えてしまうような
  プレーをその選手がやってのけるのを目の当たりにしたときである。
  前田智徳は広島カープ生え抜きの選手で、ちょっと野球を知っているものならば
  そのことがイコール努力の人であることを意味することは想像にたやすい。
  無論それは他球団の選手が努力家ではないと言っているのではなく、
  広島カープという球団の練習量からくるイメージと言って良いものだ。
  そんな前田が、なぜ解説者連中からも天才と呼ばれるのか。
  
  この議論を進める前に言っておきたいことがあるが、それは天才と努力家についてである。
  前回の川相編では、天才と努力家が対極にあるような言い方をしたが
  (釘は刺しておいたのだが)、それには少々語弊がある。
  私は才能とは向き不向きのようなものでしかないと思っているから、
  更に努力を加えた人(完全体みたいなもの)が今プロ野球界を代表するような選手であると思う。
  つまり天才は努力家ではないなどと言うつもりはない。

 さて元に戻すと、その理由を一つ具体例を挙げて考えてみよう。
  それはバッターの意識というものである。
  バッターボックスにおいて、投手と対峙したとき、
  バッターがどのようにボールを待つかといえば、
  たとえば50%は直球、50%は変化球というように、少々単純過ぎるが、具体的な変化球種や、
  投げてくるコースなども含めて、考えられる様々な配球を考え、
  それぞれに異なる比重をつけてボールを待つ。
  この時、基本的にある球種に100%の比重を乗っけて待つバッターはいない。
  なぜなら、予想と違う球種が来た場合対応できない、悪ければ、手も足も出なくなるからだ。
  逆に、5%、いや1%でももしかしたら…”と思っていたら、
  ホントにそれが来たとき0%の時よりはファールに逃れるなど対応も可能なのだ。
  それに加え、三振というのはやはり打者心理として恥ずかしいし、体裁も良くない。
  更に作戦上三振しては困る、とにかくバットに当ててもらわなくてはならない時もあるから、
  ここぞという時に100%狙いだまを絞る、言わば狙い打ちを出来る選手は少ない。
  
  その一人に、読売ジャイアンツの元木大介がいるわけだが、
  それゆえ彼は意外性”“くせものなどと言われている。
  意外性などと言われることは彼にとって不本意であろうが、
  特にランナーがいない時のバッターボックスでの彼の集中力の無さは
  注目に値するほどであることは事実だ。
  だが逆に得点圏にランナーがいるときの彼の集中力は驚嘆に値する。
  つまり彼は目立ちたがりやなのであるが、
  しかしここぞという場面で狙い打ちができるというのは集中力のなせる技である。
  だからこそ彼の野球センスは評価されていると言えよう。
  
  元木は巨人に行かなければ、今頃球界を代表する選手になっていただろう
  言う解説者もいるが、私はそうは思わない。
  目立ちたがりやである彼が、普段スポットの当たりにくい他球団にいっていたら
  今頃彼はタレントでもやっているだろうと私は思う。
  彼にとって、巨人という球団は自分の力を最も効率良く発揮できるチームであることは間違い無い。
  無論ベストだがそれ以上ではないともいえる。

 ところで、狙っていなければ打てない球というのが、野球には存在する。
  具体例を挙げると、例えば外角にスライダーが投げ込まれた後、
  内角低めいっぱいの直球をヒットゾーンに打ち返すことはまず不可能である。
  それが技術的に可能なのは前田を置いてはダイエーホークスの城島捕手ぐらいなものだ。
  初球の外角スライダーの後、打者心理としては意識的もしくは無意識的に
  コース比重を外角へと重くおいてしまうのが普通であるし、
  たとえそれが無意識的であっても、次球が内角にくれば、
  外角のスライダーが頭に残っているから手を出せなくなることはよくあるのだ。
  
  こういう、一般的に不可能とされるボールを打つことができるのは、
  狙い打ちの可能な選手である。
  なにしろ普通の選手ならやれない(むしろやらない?)、
  ある特定の球種、コースに100%の比重を置くことができれば、
  その内角の直球を打ち砕くことは可能なのである。
  重ねて言うが、ここぞと言う場面で狙い打ちができるのは並外れた集中力のなせる技である。
  ここぞという時の狙い打ちは当然大きなリスクがついて回るが、
  それ以上のメリットがあるからこそ評価されているのだ。

 しかし世の中には天才というものがいて、元木の持つセンスを上回る者が存在する。
  狙い打ちをしているわけではないのに、
  外角スライダーの後の内角低めの145キロの直球をヒットゾーンに打ち返すのだ。
  
  前田をしてこれを可能にせしめているのは、彼の目がいいことがまず挙げられるだろう。
  彼はあまり選球眼の良い選手であるとはされていないが、それは間違いである。
  イチローや横浜ベイスターズの駒田徳弘と同じで、
  彼らはストライクゾーンとは違う彼ら独特のヒットゾーンを持っているのだ。
  分かりやすく言えば、ボールになるコースの中にも彼らにはヒットにする自信のあるコースが
  存在するということだ。
  川相がバントをベクトルとして選んだように、
  彼らも他のプレイヤーとの差別化を図るために、体を作り、そして目を作り上げたのだ。
  
  もう一つは、補足ではあるが、努力に裏付けられた集中力というものである。
  通常、選手は不調になると、早出特打ちというものをする。
  これは、当日試合のある日であっても、朝早くに球場に来てバッティング練習をすることである。
  故に、不調の選手が早出特打ちをすると野球放送の中でもしばしば取り上げられる。
  しかし広島という球団ではこれが日課のようになっている。
  広島の選手は若手、ベテラン関係無く争うようにこの特打ちに参加しているのだ。
  バッティングというのは水モノといわれるように、調子が悪ければひたすら打ち、
  調子が良ければそのいい状態の感覚でより多く打撃練習を行うことがベストである。
  
  そういう意味で、無論試合感覚の中で練習をするのがベストではあるが、
  常に打撃の中に身を置いておくことがバッターボックスの中での集中力を高めるのだ。
  彼を天才と言わしめているのには、目によって作り上げた特異能力という点もあるが、
  こういったしかるべき努力も少なからず含まれている。
  そういう意味で、彼をトップ選手と言っても差し支えない。
  
  しかしその天才にも弱点がある。
  持病とも言える左足ふくらはぎ靭帯損傷。毎年のように、彼はケガと闘っている。
  そのケガが彼の打率を3割にまで下げていると言ってもいい。
  彼は3割3分打者なのだから。