奇跡の価値は  F・ボーリック

 野球において最も感動を呼び込むシーンのひとつ、サヨナラ。
  ホームチームが9回以降に点を取って勝敗を決めてしまう行為であるこのサヨナラは、
  サッカーにおけるVゴールと同じようにその瞬間においてGAME SETの鐘を鳴らし、
  選手たちに勝利の味をもたらす。
  それはスタンドに遅くまで残っていたファンにとっても至福の瞬間であり、
  突如として現れるからこそ一瞬にしてその喜びは最高潮に達する。
  運が良ければテレビの前の視聴者もその瞬間を目にすることができ、
  そうでないものはケータイの新聞系サイトで途中経過を確認したり、
  夜も更けてからスポーツニュースでその光景を確認することで
  ようやく実感を手にすることができる。

  プロ野球界においては古くからサヨナラ打を放った選手を手荒に歓迎する習慣があり、
  特にサヨナラホームランにおいては打者がホームベースに戻ってくるのを
  すべてのチームメイトが今か今かと待ち焦がれている。
  サヨナラホームランはどんな場面でも感動を呼ぶが、
  今季大阪近鉄バファローズが世に送り出した
  9月26日の代打逆転満塁優勝決定サヨナラホームランは、
  優勝決定とサヨナラホームランの相乗効果で大きな注目を浴びた。
  ある意味サヨナラの喜びを味わうのは
  そのチームに関係しているファンや選手だけに限定されるというのに、
  このホームランはプロ6年目にして実績が皆無に等しかったバッター・北川博敏を、
  一時的とはいえ一気に全国区へと押し上げたほど
  すべてのマスメディアによって取り上げられたのである。

 しかし、それをさかのぼること2ヶ月と17日、
  7月9日の千葉マリンスタジアムでは大変なことがおきていた。
  その日のスコアは10−9。
  延長10回裏に千葉ロッテの4番F・ボーリックのサヨナラホームランでサヨナラ勝ち。
  だがそのホームランはある種の必然性を感じるほど劇的な演出を醸し出していた。
 
 ある意味では北川のホームランもドラマティックな要素を多分に含んでいたという人は多いだろう。
 
 マジック1で迎えた9月26日。
  4点を先制され2点を返したものの9回表にはダメ押しの5点目を献上する。
  9回裏のマウンドには新人王を狙うオリックスブルーウェーブの新人ストッパー・大久保勝信。
  新人とは思えないマウンド度胸と安定した制球力で防御率は2点台前半を誇る。
  事実彼はこの年7勝5敗14S防御率2.68の活躍で、
  同じくルーキーで9勝をあげた千葉ロッテの加藤康介を抑えて新人王を獲得している。
  どうあがいても3点差をひっくり返すことは不可能かと思えた。
  しかしドラマは起きる。
  エラーを絡めて満塁とすると、代打で現れたのはすでに今季5本塁打を放っていた北川博敏。
  というのも去年まで阪神にいた彼の成績は6年間で打率.138の3打点と、
  今季1軍初アーチを体験したばかりのバッターであった。
  大久保のストレートを思いっきり引っ叩いた打球は
  大阪ドームの高いフェンスを超えてバックスクリーン左に突き刺さる。
  同時に01年パ・リーグのペナントレースが終結した瞬間だった。

 舞台は変わり7月9日の千葉マリンスタジアム。
  千葉ロッテ・ミンチー、福岡ダイエー・倉野の両先発で始まったこの試合は、
  投手戦とも打撃戦ともおぼつかない展開で、
  3点差をひっくり返した千葉ロッテが9回の表まで6−5でリードし、
  守護神小林雅英を投入。
  千葉マリンでダイエーを迎えては7連勝中というだけあって、
  ライトスタンドに集まっていたロッテファンとしては、まさに期待通りの展開だったと言えた。
  しかしこの時すでに10時をまわりかけているほど長く続いた試合は、
  守護神の肩を微妙に狂わせていた。
  先頭バッター柴原にセンター前へ運ばれ、
  一死後3塁に進められたランナーは主砲小久保の大きなセンターフライで楽々ホームイン。
  後続は絶ったものの、同点にされた千葉ロッテの9回裏の攻撃は3分で終了。
  観客の大半が球場をあとにした瞬間だった。
   
  しかしそれはドラマの始まりに過ぎなかった。
  救援に失敗した小林雅英に代わって10回表のマウンドに登ったのは吉田篤史。
  彼は秋山を仕留めたものの、ミッチェルと浜名にポンポンと連打され、
  またもや3分でマウンドを降りる。
  代わりに出てきたのは左のリリーフエース、藤田宗一。
  この年60試合に登板し防御率は4.70の数字ではあったものの、
  55本塁打を記録することになる大阪近鉄のタフィ・ローズに対して、
  シーズン終盤まで18打数1安打に封じ込めるほど、
  対左打者のスペシャリストとして首脳陣の信頼は厚かった。
  事実藤田は、この年のオールスターに王監督をして
  セントラル(リーグ)に勝つために必要な投手」として監督推薦で出場し、
 見事勝利投手に輝いている。
  しかしこの場面、彼の相手は1番柴原洋(左打者)ではなく、
  対左投手のスペシャリスト大道典嘉(右打者)が柴原に代わる代打として登場してきた。
  すべてのロッテファンに危険な香りが立ち込める。
  大道が振り切った外角高目のストレートはスタジアムライトポール際に吸い込まれていく。
  そしてそのボールは怒れるライトスタンドのロッテファンによってグラウンドに投げ返された。

 さらに観客が減った10回裏のマリンスタジアム。
  最寄駅である京葉線海浜幕張駅の東京行き快速列車はすでにその終電を終え、
  残っている観客は自家用車で来場した者とすでにまともな帰宅手段をあきらめた者、
  どちらにしてもその9割9分は白いユニフォームを着てライトスタンドに残り続ける
  ロッテバカであったに違いない。
  勝ち越し3ランを決めたダイエーは守護神ロドニー・ペドラザを送り込む。
  対するロッテは1番小坂誠からの好打順ではあったが、
  ロッテ打順に好打順などというものは存在しないことは誰もがよく知っている。
  あえていうならば、この年イチロー渡米後初の首位打者を獲得することになる福浦和也、
  彼はこの試合においても5打数5安打で瞬間打率.354を記録するのだが、
  その福浦を含む打順ぐらいとなるだろうか。
  そういう意味ではやはり好打順と言えることになる。
    
 しかし予想に反して小坂はペドラザのスライダーを見事に流して、
  レフト前にクリーンヒット。
  2番サブローもサード小久保を襲う強襲安打で無死1、2塁。
  ここまでくれば、このままいつも通り福浦が打ち上げてボーリックが内野ゴロ併殺に
  終わったとしても「よく粘ったよ」と納得して帰るところなのだが、
  この日の千葉マリンの風はすべてにおいてそのホームチームに味方していた。
  ココでドラマを作り上げるための演出が1つ起きる。
  3番福浦はペドラザが外角に外そうとしていた初球のシンカーをすくってレフト前へと運ぶが、
  この時2塁走者の小坂は3塁コーチャーズボックスの西村走塁コーチに止められている。
  レフトを守るのは弱肩の村松有人だった。
  小坂が2塁ベース上からヒットで3塁を回るときの驚異的なスピードの速さは、
  幾度か千葉マリンへ足へ運んだ経験のある方なら必ず目にして驚く出来事である。
  バッターが打ったボールが外野に抜ける、その時にはすでに3塁ベースを回っているのである。
  さらにそこは小坂のトップスピードではなく、
  また1段階加速をして2秒か3秒そこらで本塁を陥れる。
  千葉ロッテが他チームに誇れるプレーのひとつである。

 とにもかくにも無死満塁で迎えるバッターはこの日すでに5回に同点となる
  2ランホームランを放っている千葉ロッテの主砲、フランク・ボーリック。
  まさしくわずかに残る観客はみな「ボーリック神話」の再興を夢見ていた。
  
  99年シーズン途中で入団してきたボーリックは、
  いきなり満塁ホームランで観客の度肝を抜いたが、それだけでは終わらなかった。
  日本の投球術の集大成とも言える低目の変化球にめっぽう強かったホームランアーティストは、
  シーズン終了までに26本のアーチをかける。
  問題はその勝率である。
  ボーリックがホームランを打った試合では、
  1試合2本塁打を記録した1試合を含めて22勝2敗1分の勝率9割1分7厘に及んだ。
  20本塁打以上を記録した打者の中では2位のダイエーホークス・小久保裕紀が勝率8割、
  3位が中日ドラゴンズ・山崎武司で勝率7割6分と圧倒的な差をつけて1位であったため、
  ボーリックがホームランを打った試合では必ず勝つという
  「ボーリック神話」なるものが生まれた。
  しかし、逆にボーリックがホームランを打たなかった試合では勝率が3割6分7厘と
  ホームランを打った時の半分にも満たないことから、
  ボーリックがホームランを打った試合では勝たねばならないという意識がファンの間に芽生え始めた。
  それがプレッシャーとなったのか、00年においては14勝11敗の勝率5割6分と
  20本塁打以上を記録した打者の中ではリーグワーストの数字を記録してしまっている。
  
  なんとなく、「ボーリック神話」が崩れてきていることは自覚しているロッテファンではあったが、
  00年に勝率6割3分6厘を記録した初芝より低いということはありえないと思っていた。
  初芝の勝率が意外に高いという意味と、
  ボーリックの勝率が急激に低下したという両方の意味で。

 ボーリックに対して投げ込まれたペドラザの2球目は低目に沈むおそらくはシンカーの類いであった。
  その球をボーリックはその独特の前傾姿勢からスコーンと打ち上げる。
  打った瞬間内野フライかと思われた打球は、千葉マリンの風に乗ってか意外とキレイな弾道を描いて
  なんとバックスクリーン左端部に放り込まれてしまった。
  歓喜の渦に巻き込まれるライトスタンド。
  ようやく引き上げるペドラザの横をゆっくりと駆け抜けるボーリック。
  選手、観客ともに何が起こったのか未だに実感を掴めぬまま騒乱の渦に巻き込まれ、
  ようやく落ち着いたころには、
  バックスクリーンのスコアボードの横にある時計の針は夜の11時を指していた。
  
  ヒーローインタビューでボーリックは、
  「外野フライで1点取ろうと思っていました」と語っている。
  その事実が示すとおり、
  後にわかることだがボーリックはこの打席で同僚メイのバットを借りて打席に立っている。
  千葉ロッテの5番を打つメイのバットは780gとパワーヒッターの中では非常に軽い方で、
  やたらと体格だけは良い彼がバッターボックスに立つ姿をテレビで見ると
  非常にバットが小さく見える。
  まるで子供用軟式バットを持ってノックをしている少年野球のコーチである。
  軽いバットは飛びにくいが変化球に対してヒザの上下だけでバットが対応しやすくなる。
  ボーリックが本当に一発ホームランを狙っていたわけではないことを示す事実であった。
  
  ライトスタンドに残るファンが鳴り響かせる「レッツゴー ボーリック!!」の歓声がやむことはなく、
  やがて球場の照明が落ちても球場の外で日付が変わるまで叫び続けたと聞いている。

 個人通算サヨナラ本塁打11本の最多記録を持っているのは3017試合の通算最多出場を誇る
  前・阪神監督の野村克也氏であることは意外と知られていない。
  印象的な場面が多い長嶋・王あたりだと思っている野球ファンは多い。
  しかし野村氏が有名な「どうせ私は日本海に夜咲く月見草」と発言したのは
  通算2500本安打達成の75年5月13日の試合後におけるインタビューであり、
  ボーリックと同じように逆転満塁サヨナラ本塁打を記録したのは66年5月14日の試合であったが、
  いずれも瞬間を目撃した観衆は6千人程度であったと記録されている。
   
 ふだんプロ野球はテレビ観戦のみ、という大半の視聴者は、
  その日スタンドで生じた”楽園”を実感できる手段はないに等しく、
  プロ野球の球団が存在する地域を除いてはサヨナラといえば巨人の選手というのも珍しくはない。
  サヨナラが起きる時間帯は10時前後に集中している事実もある。
  
  プロ野球で最も感動を呼び込むシーンであるサヨナラは、
  スタジアムの外部の静寂、つまりは中と外の温度差を最も感じさせるシーンであるのかもしれない。