波の暦 水上 勉
劇団「鷹」の人気女優甲斐節子は32歳。脚本家香西尊彦が書いたテレビドラマ「島」に出たことから、6歳上の尊彦の暗い翳、憂いに満ちた眼に惹かれた。尊彦は、妻と離婚して節子て結婚する。新婚旅行を兼ね、当時4歳だった節子を捨てた生母の足跡を尋ねることにした。皆生、玉造温泉に泊まり、松江市秋鹿町の芦尾に行く。芦尾には、母の墓があった。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 翌朝になった。節子と香西は、朝飯を早くすませて九時に宿を出た。女中頭の説明によると、湖岸に沿って西の平田に出てから北へ廻ってもゆけるそうだが、自動車にすると、松江へもどって、西生馬から佐陀川に沿うて山合いへ入り、鹿島町へ出て、そこから佐陀本郷を経て、芦尾へ出た方が便利だということであった。で、二人は、湖北を通一畑電鉄には乗らずに、車で直行することにした。……中略…… 芦尾の村は淋しかった。漁村だというのに、浜には舟がみえない。戸数百戸もあるだろうか。街道に沿うて藁屋根のまじった人家がまばらに延びている。すぐ裏口へ波が打ちよせている。車を村口に待たせて、節子と香西は、浜へ出た。朽ちかけた古桟橋のある舟出口へ行って、うしろへのびる村を眺めた。細長く入江に沿うて曲がる村は、南側に山が迫っているから、耕地が少ないのだろう。背後は形のいい山だった。葉を落した針のような樹々の枝が山頂まで被っている。与謝の間人から、経ケ崎へ行く途中で見かけた孤村に似ていた。節子は、どの家の戸も締まっていて、人影がなくひっそりしているのを不思議に思いながら、こんな淋しい村で死んだ母のことを哀れに思った。 (昭和60年 角川文庫) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「芦尾」は、松江市秋鹿町である。平坦部から六坊トンネルを抜けると、突然、日本海が現れる。六坊と芦尾の二つの集落が、山肌にひっそりと張り付いている。芦尾の描写には、やや誇張があるものの、山陰の風景がよく描けている。 水上勉は、今年82歳になる。眼底出血と網膜剥離、心筋梗塞などの病歴があるが、パソコンを駆使して原稿を書き、電子メールのやりとりもし、女性のメルトモも多い。「毎日を新鮮に生きている」と言う。 |
新しい天体 開高 健
無制限出張旅費を持つ大蔵省の景気調査官は、全国の美味を食べ歩くことで景気を判断する役目である。彼は、松江にもやってきた。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 夜、松江についた。湖に面した古くて荘厳な気配のただよう旅館に入る。松江は地震、大火、空襲のどれにも出会わなかったので、古い旅館にはいい旅館がある。木組み、柱、廊下、いたるところに澄んだ艶がでていて、、また明るい灯のついた部屋にすわってひとりで酒を酌んでいると白い障子のすぐそとに、すぐそとのすぐそこに闇のうずくまる気配が感じられる。……中略…… 「だんべらが降ってきました」 といった。 「雪のことをそういうの?」 彼がたずねると、 「そうです」 老女はわらった。 「このあたりでは雪のことをだんべらといいます。ぽたん雪のことでございますね。だんぺらが降ってきたとか、だんべらがたまるとか。そういうんでございます。だんべということもあります」 「そりゃたいへんだ。松江だからいいけれど、東北へいってだんべなどといったら、えらいことになる」 「そうでございますね」 老女は無邪気にわらった。 (開高 健 昭和49年 潮出版社刊) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 景気調査官は、宍道湖畔の料亭旅館で宍道湖七珍などを賞味する。それぞれの料理が微に入り細に入り書かれているのは、料理読本のようである。開高健は、松江は人がひっそりと晩年を迎えるためにある街だ、と言う。 |