汽水の街へ  藤田武嗣

 雑誌記者津田と外国人女性マイラの東京での恋を発端に、舞台は松江大橋北詰の望湖亭、須衛都久神社へと移る。物語のキーワードは火事である。昭和24年8月15日午後3時に起きた白潟大火と同じ時刻に、神社沖の湖岸に打ち捨てられていた廃船も燃え、殺人事件がからむ。
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 京店から茶町へ続く通りに出た。下駄履きの私と佐伯の肩が揃った。……中略……
 店終いした商店街の濡れた舗道を歩いた。この道を左に折れると宍道湖、右へ曲がると松江城の堀にぶつかる。どっちを向いても暗い路地の奥に水が見えるはずだ。城を中心に宍道湖の汽水が人家の隙間を巡っている。松江はそんな町だ。宍道湖を淡水にすると、姿を消すのは汽水の生物だけではあるまい。
 十字路の左手に黒々とした杜が見えた。正しくは末次神社、通称「権現さん」の松林だ。
       ……中略……
「そこは……モータープールだと思います。宍道湖大橋の開通と同時にできたようですよ」
 最近の事情は佐伯の方が詳しい。
 御影石の大鳥居の下から船着場の水に至る石段も、宍道湖を望む石の腰掛けも、漁師が帰路の目印にした櫓形の灯台も、粗悪なブロック塀の陰で無用の長物と化している。
                             平成4年 早川書房刊
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 須衛都久神社は、かつて宍道湖に面していた。その名残りが、茶町商店街駐車場が取り払われて姿を見せた鳥居と境内西側の灯台である。この小説は一畑電車、松江温泉、京店から城に至る風景など、昭和30年代の松江が生き生きと描かれ、読む者に郷愁を感じさせる好編である。著者の藤田武嗣は、松江生まれ。           

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      車夫一代  難波利三

 松江の車夫として文明の利器である車に対抗し、かたくなに人力車を曳いて明治時代を駆け抜けた男の一代記である。主人公岩吉の葬式の日は、新しい時代の門口であった。
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「野郎っ」
 魚町を抜けて大橋川へさしかかる通りへ出たとき、橋のたもとの緩やかな勾配を登っていく人力車を見つけ、岩吉は梶棒を握りしめた。
 宍道湖から差す夕陽を真横に浴びて、前の人力車の蝋色の幌が燃え立って見える。背面に大きく刻まれた赤、緑、金の三色入りの八岐大蛇が、車体の震動に合わせて生きているように揺らぐ。重い荷を積んでいるらしく、車輪の回転は鈍い。
〈よし、今日こそは負けんでの〉
 目で追いながら、岩吉は両手に唾を吐きつけて梶棒を握り直し、前かがみになって力を込めた。
 松江は比較的に坂の少ない街だが、この橋のたもとではいつも難渋する。鉄の車輪で小石を撥ねながら、一歩ずつ登りつめた。
 岩吉が曳く横田医院の人力車の背には、丸に三つ星の金色の家紋が刻まれている。医家はどこでもそうした紋所を入れるのが慣わしだが、前を行く緒上整骨院の人力車だけは、風変わりな彫刻を施して異彩を放っていた。
             天皇の座布団 所収 昭和57年 実業之日本社刊
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 難波利三(なんばとしぞう)は、戸籍名を「としみ」という。温泉津町に生まれ、県立邇摩高校から関西外国語大学に入り、昭和35年に中退。結核で療養所にいたとき、小説新潮の懸賞に入選、昭和47年にオール讀物新人賞、以後、直木賞候補になること5回。6回目の昭和59年、直木賞を受賞した。『車夫一代』は、明治の松江の風物が詳細に語られる。この小説を書くにあたって、島根県警からかなりの資料提供を受けたと聞いた。