出雲神話殺人事件   風 見   潤

 諸手船神事の夜、一年前に死んだはずの村の有力者が現れた。同じ時刻、出雲歌舞伎で沸き返る加賀戸村宝泉寺の五百羅漢に火が灯り、賽の河原で手毬唄が聞こえる。
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 三十分ほどドライヴをして、京店と呼ばれる繁華街に戻ったのは、十一時半だった。
 麻里子の指示で車は〔ひがし〕という料亭に横づけになった。料亭旅館として有名な店で、ここが本館。対岸の玉造温泉に別館があり、料理だけなら、大阪の梅田や東京の赤坂で松江の味を楽しむことができる。
「マズイ公好み……?」
 品書きの説明文を読んだたかしは首をひねった。
「いやあね。字が違うでしょ。これはフマイ公と読むのよ」
 不昧公、と書く。松江の文化に大きな影響をあたえた松江藩七代目の城主だ。なかなかの通人で、松江の四季の味をことのほか好み、スズキの奉書焼きや鯉の糸造り、鯛めしなどが不昧公料理として現代まで残っている。
〔ひがし〕の自慢料理はその鯛めしで、これだけなら千三百円で食べられるけど、麻里子は五千円のコースを注文した。
 前菜は煮豆、小海老、蟹味噌の三品。刺身が鯛、まぐろ、貝。おまけに茹でた蟹が一匹。刺身は上等、蟹も噛みしめるとジワッと甘い。
 この地方でアマサギと呼ぶワカサギの照り焼きは蒲焼に似たタレをつけてあり、噛むとサクッとくだけて、甘味とほろ苦さがまじりあって何ともいえない。
                                   昭和60年 栄光出版社
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 なんですって、五百羅漢に火がともる……? 誰もいないのに賽の河原で子守唄が聞こえる?―――石見銀山を思わせるが、実は加賀戸村である。その村は、島根町加賀であろう。そして、舞台は松江に移る。京店の料亭旅館『ひがし』とは?

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      女相続人  草 野 唯 雄

 音響機器メーカーの社長大倉政吉は、命があと一年もないことを知り、遺言書を作る。大倉には長男のほかに内妻の子ゆりがいることを明らかにした。内妻は子どもを生むとすぐに死ぬ。大倉は、ゆりを松江城天守閣の穴蔵に置き去りにした。大倉の莫大な遺産相続を巡る殺人事件が続き、19人が死ぬ。ゆりと彼女をとりまく男の正体は?――
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 一同は黙然として聞き入っている。「忘れもしない、昭和十九年の冬、十二月三日、日曜日だった。わたしは松江市城山公園の、人気のない松江神社裏で、眠っているゆり(わたしがつけた子供の名だ)をリュックサックの中に入れ、……略……午後三時ころの、一番見物客の多いときをねらって松江城天守閣に登った。この天守閣は受付を通って入ったすぐのところが薄暗い地下の穴蔵(昔、食糧などを貯えたところで深い井戸もある)になっていて、その一隅に閣内を掃除する道具などを置いてあるところがある。……略……『ゆり 生後八か月』と書いた紙きれを顔の横に置き、急いでその場をはなれると、見物客たちにまぎれ何くわぬ顔で天守閣を出た。……略……」
……略……堀を渡り、町に出る。京橋川の水は青黒くよごれていたが、それでも小鮒ぐらいの魚がいっぱいむらがって泳いでいるのが、道の上から見えた。京橋の南の袂に本町派出所がある。わりあいに大きくて、しょうしゃな建物だった。……略……部長と巡査が二人がかりで、奥の宿直室から、古い派出所日誌をひっぱり出してきた。……略……『十二月三日、日曜。……略……午後三時半過ぎ、松江城天守閣内に捨子ありて、発見者並に天守閣管理人連れ来る。「生後八か月、名前ゆり」と記せる紙片の添へありしのみにて、着衣その他より身許を判明する手がかりを得ず。……略……』
                                     昭和49年 光文社
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 ゆりが育てられたのは、多古の七穴で知られている島根町沖泊。昭和19年12月3日は正確に日曜日でもあり、30年ほど前の皆生温泉、島根半島、松江の風景が丁寧に描かれている。

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