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松江宍道湖殺人事件
広 山 義 慶
東京から、島根県松江の宍道湖の夕陽を撮影しに来たカメラマンの死体が発見された。地元の新聞社の記者も行方不明である。 松江中央署は、松江の菓子老舗の北村雅子と妹の銀座のホステス北村笙子が事件の鍵を握っていると判断した。 美人姉妹の過去と連続殺人事件が、ある点でつながる。そして、真相は? −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 松江中央署に事件発生の第一報が入ったのは、十一月十七日の午前七時十三分だった。 「大野町の大野津神社の沖に溺死体らしきものが浮遊している」 そんな内容の通報が夜勤明けの中央通信室へ飛び込んで来たのだった。 通報者は大野町で漁業を営む六十歳の男性。平岩雄二と名乗った。 後に平岩雄二が説明したところによると、彼は毎朝、漁場である宍道湖のほとりを小一時間ほど歩くのを日課にしていた。 その朝、湖岸の431号線沿いにある家を出たのがちょうど午前七時だった。松江の市街の上空に昇った朝日が、宍道湖の水面を瑞々しく輝かせていた。 平岩雄二の家から湖の畔まで三分とはかからない。431号線を横断すればもうそこは湖である。 彼はいつものように湖岸に出て、津の森のほうへ歩いた。湖岸に沿って走る一畑電鉄の津の森駅を右手に見て、湖面に突き出した小さな岬へ足を向け、そこにある大野津神社に拍手を打ち、岬の突端へ立った。四十年間、宍道湖の漁業一筋で生きて来た彼にとっては、魚介類の豊富なこの汽水湖は神聖な職場であり、湖畔の散策も、散歩などではなく、職場の巡廻のようなものだった。 彼は沖合百メートルほどのところに浮遊物があることに、すぐに気がついた。木片や木の枝などではなく、布類のようだった。心ない観光客が岸辺からポロ布でも投げ入れたのが浮かんでいるのだろうと思った。 それにしては重量感があった。 平成2年 廣済堂文庫 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 著者は、昭和12年、大阪市生まれ。早稲田大学仏文科卒業後、翻訳、脚本、劇画原作などを経て、昭和58年に「夏回帰線」でデビュー。以後、「女食い」などを発表して、人気作家となる。 |