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 悪 名         
                 今   東 光

 悪童朝吉が河内八尾の生家を飛び出して、やくざの世界に入り、親分になる。大阪での出入りの後、子分と女二人で落ちて来たのが出雲路の松江である。原稿用紙1500枚という長編のうち、約60枚に松江や玉造、大社などが描かれている。時代は、大正から昭和である。
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 宍道湖が窓から見える二階にお絹と朝吉は落ちついた。
 お照は直ぐ近くの知合いの小母さんの家に貞やんと二人、ささやかな世帯を持った。朝吉等はお照の家で食事をすることにし、二階は隠れ家という形だった。
 出雲路に落ちて来て間もなく雪が降りそめ、おかげであまり外出する折もなかったので、彼等の面体を知られるおそれもなく、もっぱら炬燵にもぐり込んで日を送ってしまった。
                 ……中略……
 一体に松江は茶匠の殿様がいたせいか食物は贅沢だ。雪の季節に落人のようにしてこの土地に入り込んでみると、ただ喰い物だけがこよなく楽しい。外に出るといっても積雪では思うようにならない。炬燵にもぐって女と戯れていると、食物だけなりと楽しみがなかったら直ぐ恐ろしいような退屈がくるのだ。お照はよく赤貝の飯をたいた。これもうまい。大いに食欲をそそられた。中海でとれる赤貝をこんだ飯は実は米子の名物なのだそうだが、この赤貝を醤油、味醂、砂糖で煮た赤貝の殻蒸しというのは最も美味だった。
                          昭和48年 読売新聞社刊
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 今東光は、大阪河内の風土、人情に取材した河内物と言われる小説を発表して風俗小説に新風をひらいた。「下劣で、けちん坊で、助平で、短気で、素直で、つまりは僕自身に似た人物、それが河内者なんだろうが、僕は彼等を限りなく愛する」と言う。その底には、仏教者としての深い慈悲心が感じられる。                 



 時代屋の女房 怪談篇         
                 村 松 友 視

 舞台は現代の出雲と松江である。松江に住む実在の人物もモデルとして登場する。幕開けは東京から家出をした真弓という女が、大根島の海に横たわる奇怪な廃船に驚く場面である。ストーリーにからむのは、松江大橋北詰の東本町にあるバー「山小舎」のマスター、力道山に似た松江の写真家や正体不明の男である。
真弓は、その男と美保関で焼きイカを食べ、宍道湖畔の八雲文学碑を見る。蔦のからまるレンガ造りの喫茶店でコーヒーを飲み、八雲旧居から菅田庵に行く。八重垣神社の巨根に驚き、日御碕の景観に感嘆する。
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 「ここはね、絶対に旨いはずだから……」
 天満宮の前から高架をくぐって寺町へ向うと、すぐに左側に「松本そば」という蕎麦屋があった。
              ……中略……
 店の中はやや暗く、畳の中央に客が座るためか、そこが窪んだようになっていた。仏壇と物入れが漆塗りで、それが見事に手入れされていて、うす暗い中で重々しく光沢を見せている。あかりは寒々しい蛍光灯であり、店の中ほどにピンクの電話があるなど、取り立てて装いを凝らしたところがないところが、いかにも蕎麦屋らしい雰囲気だ。それでも、庭の苔、南天、石灯籠、八角形の柱時計、それに床の傾きなどが相まって、気取りとはちがった統一が感じられた。奥から入り口に向ってながめると、左手で蕎麦を打っている人の姿が影絵のように見えた。
 まず蕎麦湯が出された。
                        昭和61年 角川書店刊         
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 正体不明の男は、あらぬ世界に住んでいた。その男と真弓が出雲を歩き廻るこの小説は、神話の国にふさわしい。著者は、「廃船のけしきはいかにも私好みの世界だ。……廃船のけしきに手招きされて――と言えばいささか大袈裟だが、私は、『時代屋の女房』の三作目を、出雲の世界を舞台にして書いて見ようと思った。」(平成2年5月小説新潮)と言う。著者の祖父は、村松梢風である。