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短編小説 再会の街

       「湖都松江」第4号 掲載作品 
                                   平成14年9月

 松江は、美しい街である。
 美しい、という言葉は、実は何の説明にもならない。曖昧である。だが、その曖昧さが、松江の街によく似合うのである。そして、時が止まったように、古い空気をそのまま残しているのが湖都と呼ばれる松江だ。
 侑治は、そんな松江の街が好きである。仕事がら、県外の出版社から何度か好条件の誘いがあったが、その都度、首を横に振って来た。それをいまでも惜しいとは思っていない。

 県立美術館の駐車場に買ったばかりのバイクTMAX500を乗り入れた。バイクというより、スクーターなのだが、排気量は499、エンジンはDOHC水冷4ストローク4気筒で、スポーツバイ
ク並の操縦安定性がある。
 ――これまでに何台のバイクを乗り潰したのか……――
 この三月、四十六歳になったばかりの侑治は、スタンドを右足で立てながらそう思った。カームイエローのボディに反射した光が目に眩しい。
 一九七九年、東京モーターショーに展示されたRZ250の鮮烈なフォルムに侑治は惹かれた。レーサーTZ250をベースに開発されたスーパースポーツモデルである。水冷2サイクル、2気筒エンジンは、リッター当たり百四十馬力の高い出力をダブルクレードルフレームに搭載し、モノクロスサスペンション、軽量キャストホイールなどによって圧倒的な走行性能を発揮した。二十年経ったいまでも人気は衰えず、八十年代を代表する神話的なモデルなのである。以後、侑治は四輪車には見向きもせず、バイクに乗り続けている。

 宍道湖岸に建てられた県立美術館は、そこから眺めることのできる夕陽の美しさで全国的に知られている。
 日没の時刻に合わせて、閉館時刻が決められているというのは、ユニークでもあり、それだけ夕陽が美しいということでもあった。 巨大なロビーからは宍道湖が一望でき、美しい夕映えが天井まで届いているガラスを通して射し込むのである。光線の具合によっては、それはステンドグラスのように映え、色とりどりに輝くガラス玉が降り注ぐようにも思える。
 美術館では数日前から、オディロン・ルドン展が開かれており、侑治はそれを見に来たのである。
 オディロン・ルドンは、八十年ほど前に亡くなっているが、花や女性をテーマにした幻想的な作風で知られているフランスの画家である。
 侑治は、ルドンが描いた次男アリの肖像の目が好きであった。焦点を合わすことなくぼんやりと描かれている。目は外の世界ではなく、自分の心に向けられているからかもしれないと思う。それを見ていると、侑治は自分の中に迷い込むような気がするのだ。
 ルドン展を見終わったあと、そんなことを思いながら美術館の玄関にぼんやりと立っていると、レイクラインが回り込んできた。
 フリーライターの侑治は、松江の情報誌を発行する企画会社からレイクラインの取材を依頼されていた。
 松江城や武家屋敷なら資料を見て適当に書けるのだが、市内の観光地を回りながら運行しているレイクラインは乗ってみなければ分からない。松江に住んでいるのにまだ一度も乗ったことがなかった。ちょうどいい機会だとも思った。
 腕時計を見ると、午後三時だった。
 県立美術館玄関前のバス停に来たレイクラインは、八月初旬の午後という観光シーズンなのに、数人が降りると誰も乗る者はいなかった。
 レイクラインは松江駅が起点と終点である。
 駅で一度降りた侑治は缶ビールを買うと、松江テルサ前七番乗り場から四時前に出るレイクラインにまた乗った。西日を避けるつもりで、入口に近い右手の座席に腰をおろした。冷房が効かせてあるのか、よく切れる剃刀で頬を撫でられるような風が頭上から降りてくる。
 松江の町は、山陰という名には似つかわしくない暑い日が続く夏だった。
 缶ビールのプルトップを引き抜き、一口飲んだところで、電車から降りたらしい団体の観光客が十人ばかり乗り込んできた。突然、雑踏の中に放り込まれたように、静かだった車内がざわめく。あちこちから聞こえる乗客の話からすると、松江しんじ湖温泉に宿泊する予定らしい。そんな喧噪を乗せたバスが発車しようとしたとき、一人の女がバスに駆け寄って来るのが左サイドのバックミラーに映った。手を振り、乗せて、乗せてというように口が動いているのが見える。運転手が苦笑しながら、車体中央にあるドアを開けた。
 バスが発車した途端に、女が侑治の隣りの席に座った。女の肩が侑治の左腕に触れ、微かに柑橘系の香りがした。
 どこか懐かしいそれだった。確かブルガリ、と思った時、女と目が合った。
「あ、ユウ……」
 声をかけたのは女の方だった。またブルガリの香りが侑治の鼻腔をくすぐる。いつも女が風呂上がりにつけていた香水だった。ジャスミンティーを飲むときのような、くつろいだ時間のことが思い出された。侑治は少し身を引くようにして女を見た。紺色に赤のストライプが入ったスカーフをベルト替わりにしてウエスト部分を結んでいる。
「結有子――」
 二人同時に、なぜこうして、ここに、と言いかけ、それがおかしくて笑った。

 侑治が結有子と暮らしたのはたった一年だった。短大を卒業して地元紙島根日報の記者になったばかりの結有子と知り合ったのは、昭和五十七年の夏だった。七月三日に鹿島町で起きた若妻殺人事件の翌日である。
 侑治は、死体が発見されたことを知り合いの新聞記者から聞いて現場の農道に行ったのだ。誰に頼まれたわけでもなかったが、ライターとしての好奇心がそうさせた。
 既に何人かの新聞記者が来ていたが、カメラの電池切れで困っていた結有子にカメラを貸したのが始まりだった。短大を卒業したばかりとはいえ、いわばプロの記者がそんなカメラを持ち歩くということに呆れもしたが、その幼さに惹かれた。幼さにというより、放っておけば誰かに握り潰されてしまいそうな薄いワイングラスのような気がしたからである。六歳しか年の違いはなかったが、既に大学時代からライターをしていた経験がそう思わせたのだ。
「結有子は、あれからどうしてた?」
「あれから……」
 侑治から目をそらし、遠くを見つめる大きな目はあの時のままだった。
「そうよねえ、あれから二十年が経つのよね」
「俺もまだ若かったし、なんかスクープ記事が書いてみたかった頃だからな」
 鹿島町の事件が縁で、島根日報に出入りするようになる。そのうち、頼まれて文芸連載記事を書き、一緒に仕事をするようになった。侑治の書く記事の窓口が結有子だったから、いきおい月に何度か会う。それがいつしか一緒に酒を飲み、お互いに「ユウ」と呼び合うようになった。
 伊勢宮のキャッスルという酒場が行きつけだったが、二人が(ユウ)と言い合うのを聞いていたバーテンが不思議そうな顔をし、わけが分かってからは(ユウユウ)ってのはいいね、などと笑ったりした。そんなこともあって、二人が馴染むのにそれほどの時間は必要がなかったのである。
「あ、ゼロハン。懐かしい――。ユウは、やっぱりバイクに乗ってるの?」
 駅前の橋を渡り、くにびきメッセ前の交差点で止まったバスの前に、赤く塗られたゼロハンが出てきた。フルフェイスのヘルメットだから、ドライバーは男か女か分からない。
「ゼロハン? まさかあんなものには乗っちゃいないけどな」
「じゃあ、まだ乗ってるんだ。バイクに」
 最初から馬が合ったのは、お互いにバイクが好きだということからである。結有子が乗っていたのは、その頃、手軽に乗れるタウンミニバイクで人気のあったCHAPPYだった。女性をメインユーザーに想定し、小柄なライダーでも乗り易いバイクだ。邑智郡羽須美村の大きな農家が実家で、ひとり娘の結有子は母親にねだり、就職祝いに買ってもらったという。
「覚えてる? いちばん最初に侑治とツーリングしたの?」
 ゼロハンが鍛冶橋の変型交差点をすり抜けて行った。車体を揺らしながらバスがそれを追う。
 左手には、京橋川が青く澱んだ色を見せていた。
「島根半島の裏側を通って大山に行ったんだよな」

 侑治が誘ったのは、宍道湖から吹いてくる風も冷たく感じ始めた秋も終わりに近い頃だった。
 その日、RZ250の後部座席に結有子を乗せ、湖北にある秋鹿町の六坊から恵曇に抜ける道を走った。
 オフロードにも似た狭い林道である。砂利を弾き飛ばしながらカーブを曲がるたびに、結有子は侑治の腰にしがみついた。
 バイクが揺れるたびに、結有子の膨らみが背中をこする。侑治は、皮ジャンパーを通して伝わってくるその感触を楽しんでいた。
 人や車がほとんど通らない林道は、荒れていた。だが、木立の間からは、大理石の滑らかなテーブルのような日本海が、スピードの速いスライドショーのように現れては消える。
 恵曇から手結、片句、御津を越えると島根町の大芦、加賀という集落が続く。
 大芦に入る手前のカーブの断崖から見下ろす洗濯板にも似た岩盤に、結有子は驚きの声を上げた。のぞき込むと、体が前のめりになりそうな錯覚を覚える。吸い込まれそうな気もする。
 加賀からは、その季節ならかなりな人出で賑わうはずのチェリーロードを通った。
 美保関町の海側を走る海岸線は、狭い道ばかりで生臭い魚の匂いがした。
「こんなとこあったんだ」
 青い海の香りが、鼻腔をくすぐる。
「知らなかったのか」
「私、大学は国文だったから……」
 国文だろうと何だろうと関係ないだろう、と侑治は言いかけた言葉を飲み込んだ。
 島根半島の東端は美保関灯台である。灯台の下には、暗くなり始めた海が広がり、遙か彼方には隠岐の島があるはずだった。振り返ると、黒い大山が、弓が浜を越えた先に見える。
 遠く米子市と皆生温泉街の灯りが少しずつその色彩を増し始めていた。客も多いはずの土曜日だった。
「大山に行くか?」
「今から? 泊まるの?」
 島根日報は毎週の日曜が休刊日である。いつもなら夜遅くまで、社に残って仕事をしているはずだった。
 ツーリングのために、結有子はめったに無い休みを取ったのだ。
「ロイヤルホテル……」
「土曜日でしょ。空いてないよ」
「冬場じゃないんだから、大丈夫だ」
 侑治は今朝出がけにフロントに電話をして、リザーブしたのだ。十分余裕があるという返事だったが、結有子にはそのことを言わなかった。
「ねえ、ハグして……」
 結有子のくっきりと描かれた細い眉、すっきりした輪郭の鼻、そして大きな目が侑治の目の前にあった。
「こんなとこで……か?」
「誰も居ないから……」
 結有子は、侑治の体を引き寄せて抱きしめた。
「ありがと」
 シッカロールのような結有子の匂いがして、小さな囁きが侑治の耳をくすぐった。
 その夜、深い森の中に建つホテルの部屋で、シーツに包まれた結有子は跳ねる白い魚になった。

 侑治のアパートで一緒に暮らすようになったのは、その時からである。
「大山のあの日からよね」
「あのアパートは、もう無いんだ。マンションに建て替わってね」
 レイクラインが、松江城前に来た。
「あ、櫓……できてる」
 平成十二年には二の丸南櫓、翌十三年に中櫓、太鼓櫓、それらをつなぐ約百三十メートルの塀が復元された。百二十五年ぶりに往時の姿を見せている。
「そうだな、随分変わった……」
 侑治のアパートは内中原町の片隅にあり、小学校のすぐ東側にあった。古い二階建ての建物で、六世帯が住んでいた。二人が住むに似つかわしく、ひっそりとした場所だった。昼は小学校の子どもたちの歓声が聞こえていたが、夜になると時おり県道を走る車の音だけが聞こえる静かな町だった。
 そうとはお互いに言わなかったが、いつかは結婚するのだという暗黙の了解があった。
「いつか一緒になるって、私、そう思ってた」
「でも、短かったな……」
「ごめんなさい。どうしても駄目だったの」

 結有子が実家のある村へ帰ったのは、ちょうど一年経った秋だった。
 もともと心臓が弱かった結有子の父が肺水腫で倒れたからだ。通常、肺や気管にある液体は自然に体外に出てしまうのだが、それが溜まり、呼吸が苦しくなって泡のような血を鼻から出したというのだ。
 社にかかってきた電話でそのことを知らされた結有子は、半年の休職願いを出した。そこまでしなくても、と侑治は言ったのだが、しばらく田舎で父親の面倒を見たいという結有子の気持ちは変わらなかった。
 結有子の父が、前から体調がよくないということを侑治は聞いていた。松江の短大に行くのを母親が反対したのも、父のことを気にしてのことだった、という。
「餞別代わりだ。乗ってけ」
 シートを被せていたRZ250を引き出した。
 東京モーターショーで見た二年後に手に入れたバイクだ。
 結有子を後ろの座席に幾度も乗せて走ったバイクだ。
「そんな、餞別だなんて」
「いいって。汽車やバスを乗り継ぐよりは、よっぽど早い」
 羽須美村までは、JRで江津へ行き、三江線に乗り換える。だが、午後からの遅い便だと、江津か三江線の浜原で一泊しないと着かないのである。
 国道五十四号ならば、広島行きのバスに乗り、三次から羽須美村に行くという方法もあるのだが、それよりもバイクの方が荷物は積めないものの移動には便利である。
 左手を振る結有子が、太い排気音を残してアパートの前から消えたとき、侑治は、もう会えないような気がした。
 一か月経って、何の連絡もないまま、運送屋が結有子の荷物を取りに来た。それきりだった。新聞社に問い合わせると、退社したという。
   ……ここは一行空きです……
 レイクラインは、小泉八雲旧居前を過ぎ、黒田町の遊覧船乗り場に来た。
「結有子、どうする?」
 何のために松江に来たのか、そして、どうするつもりなのか、侑治はまだ聞いていなかった。
「ええ、やっと一息ついたから……」
「一息……」
「だから、一度松江に帰ってみたいと思って」
「帰って?」
「ええ、そう。気持ちは帰って来たの」
――父は血を吐いた翌年の春に亡くなり、その年、母親や親戚に勧められて結婚した。子どもが三人生まれ、長男は今年の春、広島の大学に進学、下の姉妹はそれぞれ高校生と中学生になっている。父が亡くなった後、豪農といわれる家を続けていくために、どうしてもそれなりのところから婿を迎えねばならなかった。夫のお陰で、いまでも裕福な暮らしができている。――
 結有子はそう言いながら、侑治の手を握った。
――なぜかもう一度だけ、松江の街を見てみたい。不意に二十年という区切りを思った。短かった松江での暮らしだったけれど、懐かしい。――
「悪かったけど、あのバイク、壊しちゃったのよ」
「事故したのか」
「そう、帰ってから半月ばかりしたときだったわ。父のことで急いでたこともあるけど、夜、山の中のカーブで曲がり切れずにね、崖から落ちてケガしたのよ。体中が傷だらけになって、今でもその傷跡が胸の方にあるわ」
「……」
「バイクは、大破っていうのかな」
「そうか、もう無いのか。いいバイクだったけどな」
「傷跡、見る?」
「ばか――」
 そう言いながら、侑治は男の目で結有子を見た。
 突然、鮮やかに結有子の体を思い出した。あの時の結有子は、白いシーツの上で夜ごと幾度も跳ねる魚だったのだ。
 バスは、宍道湖大橋を渡り、再び県立美術館の前に来た。
 近くの宍道湖畔では、新しく建設された警察署が夕陽を浴び、貼り巡らされたガラスが輝いている。
「鹿島町の事件は、あれからどうなったの?」
「あれは時効さ。もう何年か前にね」
「あの事件がなかったら、私たち出会ってはいなかったかも……」
 宍道湖の夕陽がバスの中に射し込み、結有子の頬を赤く染めていた。
「夕陽がきれいだわ、来てよかった」
 松江駅にレイクラインが着いた。
 終点である。
「もらってくれる?」 
 結有子が、財布入れから差し出したのは、四つに畳まれた一枚の古びた葉書だった。
「あなたの結婚披露の案内状の返信葉書よ」
 侑治が結婚したのは、結有子と別れてから一年半後だった。島根日報で邑智郡の住所を聞いて出したのだ。関係のあった女が披露宴に来ることなど、あり得ないと思っていたし、ましてや、返事をもらうなどということは考えもしなかった。
(幸せに暮らしている――)というメッセージのつもりだったのだ。
 縁がすり切れ、半ば破れ始めている葉書には、出席の文字がボールペンで囲まれ、(おめでとう。一緒に暮らすことはできなかったけれど、同じ道をバイクで走ることはできます)と書かれていた。
「……」
 激しい雨が屋根から流れ落ちるように、侑治の目から涙が溢れた。
「あなたは、私の最初の人だった。いまでも忘れてはいないわ、そのことを」
 二人乗りのバイクが、光跡を描きながら夜の大山道路を駈け上がって行く風景が、侑治の滲む目の奥に霞んで見えた。
 宍道湖沿いの国道を二人乗りのバイクが、西に沈む赤い夕陽に向かって真っ直ぐに走る光景が見えた。
 結有子が片手を上げ、一緒に暮らしたアパートの前から走り去るバイクのエンジン音が聞こえたような気がした。
「さよなら――ユウ」
「いつかまた……」
 結有子の乗った下り電車が、西日の中に消えて行った。