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短編小説   椿の少女

                  「湖都松江」第2号掲載  平成13年9月

 風炉の代表的な茶花は木槿だが、炉の季節は椿である。なかでも、白玉椿、侘助などは茶人が挙って愛でる花だ。椿がなかったら、茶人は困るのではないかと思われる。多彩な花の色、形、艶やかな葉のしっとりとした落ち着き、樹姿のまとまりのよさがそうさせるからである。
 松江城の西側にある亀田橋の辺りは、築城以来、四百年そのままの森が広がり、椿、櫨、胡桃、団栗などが密生している。二百本を超える椿が並ぶ林は、椿谷である。
 椿谷の一帯は、西風が強い。江戸初期の慶長十六年、堀尾吉晴が広瀬の月山から居城を移し、西風を遮る防風林として椿を植えた。万が一の籠城にも備え、実から採れる油を武具の錆止め、食用や髪油として使うためでもあった。
 椿谷は城の裏側ということもあり、観光客は殆ど訪れない。静かである。 
 木山順治は、上乃木町で乗ったバスを県庁前で降り、庁舎の庭を抜けて椿谷を歩く。市内の喧噪からは想像もできないような静けさなのだが、明治二十年代の後半には松江電灯会社が建ち、石炭を使った火力発電所が操業していた。千鳥橋寄りの場所には、その碑が人知れず残っている。さらに、昭和四十年頃までは、当時、排球といったのだがバレーボールのコートが数面あったのである。
 回り道になるが、椿谷を通り、堀川遊覧船発着場のある黒田町の松江堀川ふれあい広場まで歩くことにしている。
 順治は堀川遊覧船の船頭である。根っからの船頭ではない。
 市内の進学校といわれる高等学校に、国語の教師として勤めていた。過熱する進学指導に嫌気がさし、定年を十年残して辞めた。妻や子どもは当然のように反対したが、ゆっくりと時の流れを味わいたかったから押し切った。
 釣りの趣味から手にしていた一級小型船舶操縦士免許を生かして堀川遊覧船の船頭になったのは、去年からである。遊覧船の操船は四級の資格で足りるのだが、順治の免許は、外洋小型船、つまり二十トン未満の船舶が操船できるアマチュアとしては最高のそれである。そのこともあってか、退職した途端に八束郡美保関町の漁協から、ちょっとした仕事に誘われたが断った。平成九年七月から始まった堀川遊覧船が観光客に好評で、乗船者が百万人を超えたことから、増員する船頭募集の話にのったのである。
「もうそろそろ止めてもええと違うか……」
 遊覧船の事務所に着くと、同じ船頭の田岡が豆炭を熾しながら順治に声をかけた。
 冬場は、船に豆炭炬燵を積んでいる。やぐらの下に石綿を敷いたケースがあり、その中に九つほど豆炭を入れるのである。
「止める? 俺が?」
「あ? 炬燵だよ。あんたのような腕のいい船頭は止めてもらっちゃあ困るんだよな」
 もう三月も下旬に入る。そろそろ炬燵はいらないのではないかと思いながら、順治は、腕がいいと言われたことがおかしくて笑った。学校に勤めている頃は、笑うなどということは絶えて無かった。偏差値の数字の上がり下がりを気にして、生徒を叱りとばすばかりだったからである。
「木山さん、あんた、今日は何時から?」
「えーと、九時から昼まで」
 遊覧船の始発は、午前九時である。営業時刻は午後五時で終わる。松江堀川ふれあい広場、カラコロ広場と大手前広場の三箇所の発着場から十五分間隔で船が出るのだが、たいていいつも定員いっぱいだった。
 去年の九月には、八束郡玉湯町の玉湯川と並んで、松江の堀川が建設省の甦る水百選に選ばれたこともあり、観光シーズンには間があるものの観光客の乗船が急増し、忙しくなっていた。
「あのー、もしかして……」
 田岡と一緒に豆炭をケースに入れていた順治は、並んでいる観光客の列の中ほどにいた若い女に声をかけられた。
「木山さん……、順治さん……ですか?」
 紺のジーンズに同色の皮ジャンパーを羽織り、これも濃紺のヘヤーバンドで背の中ほどまである髪を押さえている。薄い化粧の肌が抜けるように白く、つぶらな眼がそれをよけいに大きく見せていた。 乗船者に自分の名前を紹介することはあるが、まだ船にも乗ってもいない。多分、田岡が順治を呼んだ名前を聞いたのだろうと思った。知り合いではなかった。女は、椿の小枝を持っていた。それが順治には、なぜか懐かしいもののように思えた。
「失礼ですけど、椿を育てておられるんじゃないでしょうか?」
 順治には、その女の言うことが解せなかった。突然、名前を呼ばれ、しかも椿を育てているか、と聞くからである。確かに順治は、椿が好きであり、小さい庭だが椿の木が幾つかある。
「……椿は好きで、ずっと前から」
「床几山っていうところにお住まいじゃなかったでしょうか」
 順治は、かつて松江の南郊にある床几山に連なる丘陵地に住んでいた。もう二十年近く前になる。事情があって、そこを売り、さらに南に寄った上乃木という町に転居した。
「ええ、どうしてそれを?」
「ご記憶にありません? 私……、椿の枝を盗った厚子です。安原厚子って言います」
「盗った? 椿を? あなたが?」
 畳みかけるように言ったとたん、順治はその出来事を鮮やかに思い出していた。女が手にした赤い椿と、大きな眼、そしてふっくらとした顔が、小さな小学生のそれに重なった。
 
 慶長八年、広瀬富田城の城主であった堀尾吉晴と忠氏の親子は、城として不適切な富田城に代わる新しい城地を探していた。吉晴親子は、乃木村元山から床几を据えて眺めた今の松江城のある亀田山がよいのではないか、という話をしたのである。そのことから、後に元山を床几山と呼ぶようになったという故事がある。
 十八年前、順治はまだ三十を二つ出たばかりだった。住んでいたところは、床几山の西側で、二千坪ばかりの土地があり、ほとんどが藪や畑になっていた。周囲には人家も少なく、よくある田舎の一軒家のようなものだった。ことさら塀を巡らすわけでもなく、庭などは道路との区別も付きかねていた。
 家の周りには、順治の祖父が育てている庭植えの椿が五十本ばかり、鉢植えは百五十から二百鉢があった。なかでも祖父の自慢は花仙山と呼ばれているもので、近郊の玉湯町大谷の知人から原木の種子を貰い、実生を試みたものだった。自分にふと笑いかけるように花を咲かせるのだなどと言い、「一笑」と名付けて楽しんでいた。 十数年ほど経ったもので、二メートルくらいの高さに生長した木の周りに園芸品種の椿を混植のようにして植えていた。自然の交配で数多くの実を結ぶようになり、さらにそれを蒔いて育てていくのが祖父の楽しみだった。五年くらい前から、秋咲きや晩春のものまでかなりな花が咲くようになっていたのだ。
 三月上旬の暖かい土曜日の午後だった。
 順治が本を読むのに飽きて縁側に座り、薄い陽射しの中で微睡んでいたときである。
 小学校の低学年らしい女の子が庭に入り込み、その椿の花を見上げているのが目に映った。長い髪に赤いリボンを結んでいた。それが青い服に映えて、赤い椿のようにも見えた。縁側から二十メートルほど先の場所だから、女の子は人がいることに気がついていないらしい。五分ばかりだったか、体の位置を左や右に変え、しゃがんで見上げたりしていたが、ついと手を伸ばし、いちばん大きい花が咲いている枝を折り取った。赤い花弁を太陽にかざし、嬉しそうに笑うとスキップをしながら庭から出て行った。
 順治は椿が惜しいとも思わなかったが、その少女の仕種がなぜか気になり、玄関に回ると、つっかけを履いて少女の後を急いで追いかけた。坂道を小走りに下りて行く少女が、順治の足音に気が付いたらしく振り返った。
「その椿、どうして折ったの?」 
 咎めるような口調ではなかったはずだが、少女の顔が歪んだ。
「上げるけど、なんで取ったのか教えてくれない?」
 順治はそう言いながら、(とった)という言葉に反応したらしい強ばった顔を見て、(言い過ぎた)と思った。見る見るうちに大きな目から涙が溢れ、少女は道路に膝をついた。
「ごめんなさい。ごめんなさい……」
 泣き叫ぶ声に、順治は幼い女の子の心に傷を負わせたことに気がついた。たった一枝のことで、追いかけることはなかったとも思った。椿を取り戻そうなどとも考えてもいなかったが、枝を折る少女のあまりに嬉しそうな様子に惹かれただけだったのだ。半睡の中で見た、椿の少女の夢にしておけばよかったのだ。
「あのね――」
 順治のその声を遮るように、少女が叫んだ。
「ごめんなさい。私、泥棒しました」
 予想もしなかった言葉にさらに慌てた。
「違う、違う。泥棒なんかじゃない。泥棒だったら、こっそりと持って帰るでしょ。違う。違う」
 どう対応していいのか分からなかった。自分でもおかしいほど、同じ言葉をくり返していた。少女は、首を何度も横に振る。何か言おうとしているらしいのだが、声が出ないのだ。順治は取り返しのつかないことをしてしまったと思った。少女は、泥棒をしたという意識に、一生涯苛まれるのではないか。確かに盗ったことは、そうなのだが、そう思わせてはならないのだ。
「誰でも小さいときには、そんなことがあるんだよ。気にすることはないから……」
 一体、何を言っているのだ、と順治は思った。誰でもする、とはどういうことなのだ。そんなことを言っていいのか。順治は自分で自分の言った言葉に呆れた。
「私、絵を描こうと思って――」
 泣きじゃくっていた少女が口を開いた。
「絵を?」
「ごめんなさい。椿がとてもきれいだったから、持って帰って絵を描こうと」
「あ、絵が好きなんだ」
 少女は頷いた。
「そりゃあいい。絵が好きなら、絵を描く人になれば……」
 今度は大きく頷いた。
「あの椿の木、あなたに上げる。でも、上げるって言ったって木ごと持って帰れないから、木にあなたの名札をつけとく。そうすれば、勝手に黙って枝を折ったってことにはならないからね」
 安原厚子だと少女は言い、初めて笑った。
 坂の下から上がって来る母親らしい姿が見えた。順治は母親に事情を説明し、住所と名前を知らせて、また椿を見に来てくれるようにと言った。遠方から来ており、様子がよく分からないのでご迷惑をかけたと何度も頭を下げながら、母親は少女の手を引いて坂を下りて行った。
 一週間経って、東京の住所が書かれた厚子の葉書が来た。赤い椿がひとつ、鮮やかに描かれていた。順治は返事を出さなかった。厚子の気持ちを思ったからである。

「あの時の……」
 あの時の少女が目の前にいることが不思議に思えた。何十年かの時間が一気に巻き戻されたような気がしたのだ。
 厚子は、(昨日、東京から来て床几山を訪ねたが、椿の家があったところは、造成されて団地になっていた。偶然だったが、団地の管理事務所に順治のことを知っている人があり、聞いて来た)というのだ。
「小学校の三年生でした。ずっと大人になるまで、私、あのことは忘れることができなかったのです。枝を黙って折ったということもですが、そんな私を気遣って優しくしていただいたことが忘れられなくて……」
「葉書を貰ったのに返事は出さなかったんです。すみませんでした」
「いえ、それはいいんです。返事のないことが、木山さんの優しさだと思ってましたから」
「……」
「東京へ帰ってから、一生懸命に描いたんです。あの椿。私の小さい頃のいちばんの思い出です」
 厚子は順治が操る船に乗った。
 船は東に向かい、新橋をくぐる。右に行くと城山西堀川であり、次に現れる稲荷橋は、平成十年の春に造られ、木製に似せた太鼓橋である。そこを過ぎると亀田橋になる。
「左に見える林は、椿谷なんですよ」
 順治は、前に座った厚子に教えた。
「そうなんですか。あのときから私は椿が好きになりました」
 厚子は、顔を赤くしてうつむいた。
「松江の花はね、椿でね。昭和四十九年に決められたんです。昔から松江は椿を大事にしてきたんですね。それが椿谷と関係があるですけど」
 もっと話したかったが、ほかの客の手前もある。
「私が椿を好きになったのも松江との何かのご縁のような……」
 船が城を離れると京橋川に入るが、左手にあるカラコロ工房と呼ばれる白い建造物が目を引く。そのヨーロッパ風の建物は昭和十三年に二代目の日本銀行松江支店として建築されたが、平成十二年の四月、「匠」をテーマにした工芸館となった。松江の顔にもなっている。
 城を囲む堀川には、十六の橋が架かり、頭を低く下げないと通り抜けられない低い橋もあるのだが、期せずしてそうなった目玉なのだ。厚子は、それが楽しいと言って笑った。
 約四キロのコースを五十分ばかりかけて回り、船は松江堀川ふれあい広場に帰って来た。
「木山さん、今日からなんですけど、これを」
 厚子が差し出したのは、展覧会の招待状だった。「ギンザ・セレクション展」と名前が書かれた東京銀座にある著名な日本美術画廊が開いている展覧会である。一年ばかり前、宍道湖畔の夕日を借景に取り入れてオープンした美術館が会場になっていた。
 その美術館は、閉館の時間が日没までという奇抜なアイディアを導入したことで、日本の美術館関係者では評判になっていた。年間入館者数は、当初の目標である三十万人を倍以上も上回り、一日に一万人が訪れたこともある。企画や常設展のほか、美術講座やワークショップなどのアート普及活動も美術館事業の柱で、厚子のいう展覧会もそのひとつだった。
「どうしたんです?」
「東京の若い画家の絵だけ集めた展覧会なんです。私、その中で日本画を出してます」
 チケットには、順治が知らない数名の画家の名前と並んで、安原厚子の文字もあった。
「あなたが絵を……」
 絵というよりも、美術にはあまり関心のない順治は、その展覧会のあることを知らなかったのだ。順治は、(私、絵を描こうと思って――)と言った少女の泣き顔を思い出した。
「松江でも展覧会をするということを聞いて、木山さんにどうしても見てもらいたかったのです。あの時のお礼もしたかったし……」
「画家になったんですか。それはよかった」
 厚子は東京にある関東美術大学で日本画を専攻し、デザイン事務所で働きながら絵を描いているという。
「今日は午後から休みなんで、行きます。ぜひ行きます」
 椿の小枝を折った幼い女の子が、展覧会に出品するほどの絵を描いているのだ。順治は少しばかりの悔恨と共に、喝采を上げたいほどの喜びを感じていた。
 美術館は、イタリア料理レストランもあり、ロビーやライブラリーが無料で利用できることもあって、いつも賑わっている。
 ロビーに入った順治を見つけた厚子は、片手を挙げて駆け寄った。宍道湖の空から届いた三月の淡い太陽の光が、厚子を輝かせている。
 ギンザ・セレクション展は、かなりな人で埋まっていた。厚子が案内した一階のギャラリーには、百点近い油絵や日本画が並べられている。順治はそのボリュームに圧倒された。二十号くらいだろうか、日本画の前に案内された。
「あ、椿――」
 順治は思わず声を上げた。緋色の大輪が画面いっぱいに描かれていたからだ。
「紅い椿の花言葉って、わが運命は君の掌中にあり、とも言うそうですね。木山さんの椿を見たから、いまこうして絵が描けるかもしれません」
「……」
「この絵、貰ってください」
 厚子は、絵の下に留められた一枚の札を指さした。非売品と書かれている。順治の目に、ぼやけ始めていく椿の絵と厚子の笑顔が映っていた。
  夕日を浴びた宍道湖のさざ波が、きらりと光った。