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短編小説 流れ灌頂の女

                             「湖都松江」第3号掲載  平成14年1月

松江の街を取り囲む山々の風景が枯葉色を見せるようになると、霧のような雨が降る日が多くなる。さらにそれが降り続くと誰であっても、淋しいと感じるものだ。
 霧雨、秋雨、秋霖などと言えばいかにも情緒がありそうだが、その夜はそうではなかった。冷雨とでもいうのか、いや違う、凄雨と言った方が似合うような雨だった。凄雨は、秋の冷たい雨のことである。もともと凄という文字は、ぞっとするほど寒いという意味だ。林不忘の書いた何かの小説で凄雨という言葉を見た記憶がある。
 松江市の北方に連なる北山山地の麓を開発して、島根県がソフトビジネスパークという情報産業団地を作った。私が勤めているデジタルマネージメントというソフト開発会社は、その団地が出来ると同時に市内の中心部から移転したのだ。産官学協同という趣旨で作られた団地は、島根大学の北側に位置し、北陵町と新たに地名がつけられている。
 会社の玄関を出たのが午後十時過ぎだった。(ご苦労さまです……)という守衛の声を背に空を見上げた。玄関の蛍光灯に照らされた銀色に光る雨が、闇の中から雪崩落ちてくる。車までは数メートルだったが、運転席に飛び込むとグレーの背広には既に雨の模様が地図を作っていた。
 私は、その激しく降る雨が叩きつける車の中で、雨の名前なぞという埒もないことを思い出していた。ワイパーはその雨に精一杯の抵抗をするかのように、油の切れたような音を出して雨を拭っている。
 十一月も中旬になると晩秋というよりも、駆け足で来る冬の気配がある。寒い夜だった。新車なのに、なぜかワイパーもだがヒーターも狂ったのか温度調節がうまく効かない。今朝まではどうということなく動いていたのだ。背中がぞくっとするほど冷たかった。早く帰ってウイスキーでも飲みたい気分だった。
 住まいのある上乃木まではそれでも車で十五分はかかる。こんな雨の夜は、さらに余計な時間がかかるだろうと思った。
 団地から町に出る道は迂回して作られており、町中に出るには大回りになる。もっとも車だから多少の道のりはどうということはない。五十メートルばかりで幹線道路に出るところに来た。街路樹のようにさりげなく立っているが、かなりな大木がある。御神木になっているのか、注連縄のような縄が巻かれている楠がある。
 アクセルをゆるめブレーキに足を乗せようとしたときだった。
 その木の下に雨を避けるような人影が、高速で動くワイパーの隙間から見えた。横断歩道はもう少し先なのだが、横切ろうとしているのかもしれないと思い、車の速度をさらにゆるめて近づいた。
 傘をさしているから男なのか女か分からないが、胸の前で遠慮気に手を振っている。乗せてくれ、という意味かもしれないと思って車を停めた。
 傘を上げ助手席のガラス越しに車の中をのぞき込むようにしたのは、若い女だった。二十歳か、いや、もう少し上の年齢かもしれないと思いながら助手席のパワーウインドを降ろした。
「すみません。お願いします――」
 ちょうど街灯が女の背中になり顔は陰になっていたせいもあるのか、青ざめた顔に見えた。白いコートがずぶ濡れだった。
 車は、ついこの間買ったばかりのマツダの赤いMPVである。三百万近い値段だった。薄茶色の布シートが濡れるのは嫌だな、という思いが頭を掠めたが頷いていた。
 女は傘をたたみ、ドアを開けた。雨と風と女が車内に滑り込んだ。
「すみません」
 小さい声で呟くように言いながら、女はコートのポケットからハンカチを出して顔に当てた。鼻筋が通り、細面で何となく淋しげな顔立ちだった。
 四十代の終わり頃からだから、もう五年くらいになる。若い女を見ると衣服を剥ぐようになった。もちろん実際にそうするわけではない。あの洋服の下にはどんな躰があるのだろう、痩せているのかそうでないのか、翳りはどうなっているのだろう、抱けばそのとき躰はどうなるのだろうなどと思うだけだ。会社の同僚に聞いても、自分もそうだというのだから、ことさらに私のそういう欲望が強いというわけではないだろう。肉体的には多少の衰えを感じてはいるが、そうであればあるほど、心の中でエロスが増殖する。年齢を経ている分だけさまざまな経験や知識で人のエロスは膨張し、蓄積されていくのである。悪いことをしているという意識は毛頭ない。誰に迷惑をかけているわけでもないからだ。
 雨の滴が流れるコートは、よけいに女の躰を浮き出させているようにも見えた。私は、女の衣服を頭の中でもう一度脱がせていた。
 変電所前の交差点を通り、通称、国引き道路と言われる幹線に入った。平行して走る東側は学園通りであり、このところ松江の不夜城と呼ばれている。大学が近いこともあり、若者向きの店が多い。書店でさえ深夜まで営業しているのだ。
「寺町なんですけど……」
 寺町なら帰り道だ。国引き大橋の南詰で右折し、新大橋を通り過ぎて松江大橋を渡ればすぐである。
 それにしても、楠の下で通りすがりの車を待たなくても、大通りに出ればバスもあるだろうし、タクシーも走っている。なぜ暗い木の下に佇んでいたのか不思議だった。
「寺町はどのあたり?」
「あの、宗信寺に……行きます」
「お寺?」
 不意に背中に寒気を感じた。濡れた女が隣りに座った車を夜遅く走らせている。それも寺に行くと言う。帰るなら分かるが、女は確かに「行く」と言ったのだ。宗信寺は、寺町の中心にあり、ちょうど鉤の手になった四つ角に面している。私は、大雄寺の飴を買う女の話を思い出した。

   中原町に、水飴を売っている小さな飴屋の店があった。水飴というのは、
  麦芽からつくった琥珀色の糖液で、乳のない子にあたえるものである。
   この飴屋へ、毎晩、夜がふけてから、色の青ざめた女が白い着物を着て、
  水飴を一厘買いにくる。
   飴屋は、女があんまり痩せて、顔の色が悪いものだから、不審に思って、
  親切にたびたび尋ねてみたが、女は何も答えない。とうとう、ある晩のこと、
  飴屋は物好きに女のあとをつけて行ってみると、女が墓場へ帰ってゆくの
  で、飴屋はこわくなって、家へもどってきてしまった。
   そのあくる晩、女はまたやってきたが、その晩は水飴は買わずに、飴屋
  に自分いっしょにきてくれといって、しきりに手招きをする。そこで飴屋は、
  友だちをかたらって、女のあとについて墓場へ行ってみた。とある石塔のと
  ころまでくると、女の姿がぱっとかき消えた。すると、地面の下から、赤児の
  泣き声が聞こえる。それから、みんなして石塔をおこしてみると、墓のなか
  には、毎夜水飴を買いにきた女の骸があって、そのそばに、生きている赤
  児がひとり、さし出した提灯の火をみて、にこにこ笑っていた。そして、赤児
  のそばには、水飴を入れた小さな茶わんがおいてあった。
   この母親は、まだほんとに冷たくならないうちに葬られたために、墓のなか
  で赤児が生まれ、そのために、母親の幽霊が、ああして水飴で子供を養っ
  ていたのである。

 墓の中で女が子どもを育てるという話は、日本中にある。
 幽霊飴は四国の高松や三重県の桑名市、子育て幽霊は京都府の船井郡、沖縄の読谷村、赤子さまという話は長野県の新野である。
 松江の飴を買う女は、小泉八雲が怪談として書いたことから有名になった。
 それにしても助手席の女が寺に行く、と言う。どういうことなのか。女は黙って前を向いたままである。少し白すぎると思うのだが、時折通り過ぎる街灯の灯りが女の頬を照らし、白から青味がかった色に変わった。ガラス窓を打つ雨のせいだが、女の顔や濡れたコートから余計に寒さが伝わるようだった。
 私は、こんな冷たさは初めてのような気がした。ワイパーが掠れたような音を立てた。ディーラーに文句を言わなければいけないな、とどうでもいいようなことを思った。
 学園通りを抜け、国引き大橋を渡って右折した。大橋川に沿って松江大橋の北詰まで行き、寺町方向に行く。途端に人通りも少なくなった。
 もともと寺町という名前からして淋しげだが、若者向きの店もない町は、雨のせいもあって誰一人歩いている者はいなかった。雨のためにスピードが出せない。もっとも見通しが悪いのは、雨のせいでもないのだ。
 寺町は、松江藩主堀尾吉晴が慶長八年から築城を始めた松江城と共に、城下町建設の一環として作られた町である。松江大橋の南に商人町が出来たが、その中に寺町があった。 寺町は南の方面から攻め込まれることを想定して計画的に配置され、三十ばかりの寺がおかれた。しかもその通りは、直線を出来るだけ避けた形で鉤の手になっている場所が多い。見通しを悪くして敵の侵入を防ぐためである。
 黙ったままでいるのも気まずいと思った途端に、その気配を察したように女が口を開いた。
「ちょっと停めてくださいませんか。少しばかりの時間、いいです?」
 寺町に入ってすぐの東光寺前だった。門の横にある駐車場が空いていた。
 私も男である。見も知らぬ若い女が乗せてくれと頼み、駐車場に乗り入れれば何かを期待するな、という方が無理である。ましてや、さっきも女を裸にしたのだ。人一人通らない夜だ。奇妙な得体の知れないといっても女は女である。できるだけ深く壁に向かって乗り入れ、ライトを消した。ワゴン型の車だから、後の窓は狭い。通りすがりの人間がいたとしても、見えるはずはない。
 不意にヒーターが効きだした。室温が上がる。女を濡らしていた雨水が乾く特有の匂いがした。痩せた女からは想像できないような、しかも獣にも似た女のそれだった。
「でも、どこのお寺でしたっけ?」
「あ、ついそこです。宗信寺なんです」
 二百メートルも行けば、すぐそこなのだ。
「宗信寺の方ですか?」
「は、いえ、住んでいるのです――」
 住んでいる、と言うのだから寺の住人ではないか。(いえ……)というのはどういうことなのだ。庫裡の一部でも借りて住んでいるというのだろうか。ならば、どうして迎えに来てもらうとか、タクシーで帰らないのだ、とまた最初の疑問が頭をよぎった。
「あの、私の話を聞いていただきたくて……」
 女が私の顔をうかがうようにのぞき込んだ。何の話か分からないが、とりあえず聞かなければ、と私は顔をしかめた。
「私は、母の顔を知らないのです。私が母の体の中にいるときに死にました……」
「死んだって、誰が?」
「だから、母です。母が……」
 混乱するほかはなかった。  
「流れ灌頂ってご存知です?」
 偶然だったが、寺院の過去帳制作ソフトを依頼された時に、目に触れた民俗資料で知った。
 水死者や出産で死んだ女などのために行われる呪術的な供養の方法である。幡や塔婆などを川に流したり、人通りの多い場所や川端に四本の棒を立てて赤い布を張り、行き交う人に柄杓で水をかけてもらうのである。赤色が薄くなると成仏できるという伝承だった。
 そういう習俗は、明治初年頃までのことで、今はそういうことはしない。昭和年代に入って医学が進んだこともあり、妊婦が死ぬることは少なくなった。いまや流れ灌頂は全くないと言ってよい。
 そんなことを言うと、女は頷いた。
 ふと笑ったような気がした。
「母は私をお腹の中に抱いたまま、死にました。母のお腹は切り裂かれ……、私は生まれたのです」
「そんな……」
 確かに百年ほど前までは、そういうことがあった。だが、この女の若さからすれば二十年ばかり前のことになる。そんなことがあるわけはないと思った。
 妊婦と胎児が同時に死ぬということは、残された者には衝撃である。そんな中で、母となる者の腹を裂き、胎児を取り出す習慣が全国各地であったのだ。現代人の感覚では、死者の腹を裂く行為はまさに残酷としか言いようがないであろう。そのうえ、胎児を取り出して母と別々に埋葬するのは想像を超えたもののはずだ。だが、実際にごく当たり前のこととして、それは行われていたのである。
 妊婦は幸せを夢見ていた未来に無念の気持ちを抱き続け、幽霊となって出て来るというのが、飴を買う女など話がそれである。
 小泉八雲の怪談は、そこからの発想かもしれないと私は思った。ともかく、民話や伝承はそのことを正確に伝えてきたということになる。
「私の姉から聞いたことなのです。父が母の腹を鎌で切り裂いて私を取り出したというのです。その鎌は、お棺の中に入れられました」
 日本の風習だが、死者を北枕に寝かせた後、胸に小刀を置いたりする。さらに、魔除けとして納棺の時にもそのまま入れたりもした。
 臓器移植が問題になるのは、遺体から臓器を取り出すことが死者といえども体を傷つけることであり、よくないことであると暗黙のうちに誰もが認めているからである。いわば禁忌でもあった。
 その例外が、古い時代、死者から胎児を取り出すことだったが、遺体を傷つけるとは考えていないのだ。そうではなくて、死者が極楽浄土へ行けない、欲界、色界、無色界の三界に迷い、血の池地獄で苦しみ、子育て幽霊となって祟るかも知れないという俗説からというのがいわば正当な理由である。そうしないと逆によくないことが起こるという意識のほうが強かったのだ。
 鳥取県気高郡のある地方や島根県の隠岐では、胎児は必ず腹から引き出して妊婦に背負わせたまま棺に納める習慣があったという。そうしないと、女が幽霊になって会う人ごとに子どもを背負わせてくれるように頼むからである。逆に松江では、産まずに死ねば親子を別の場所に葬ったとことがあったらしい。
「母が亡くなった日、つまり私が産まれた日には、ひとりで流れ灌頂をするのです」
 暖房が効いているはずなのに、寒いのか女の顔はさらに白くなった。濡れた雨が乾く匂いは消え、私は再び背中に寒気を感じ始めていた。車のボディを叩く雨足はさらに激しくなった。
「どこでそれを?」
「華藏寺です。ご存知では? 枕木山の……」
 標高四百五十六メートルの枕木山は、島根半島北山連山のほぼ東端にあり、華藏寺は古刹である。
「広場の南に展望台があります。そこで――毎月の命日に」
「毎月……誰も来ないでしょう」
「いいのです、誰も来なくていいのです。参道の摩崖仏のところから山水を汲み、ひとりで赤い布にかけるのです」
 深夜、女が漆黒の闇の中で念仏を唱えながら参道と山頂を往復している。弓が浜半島やそれにのしかかるように聳える黒い伯耆大山、明滅する米子市や皆生温泉と大根島の灯りを山頂から見下ろしながら、女はひたすら水の入った桶を持って歩く。
 この女をどうかしようなどという思いは、全く消えていた。鎌で腹を断ち割られ、そこから出て来た女である。その女が、華藏寺から北陵町まで歩き、乗せてくれと言ったというのか。身震いが全身を襲った。なぜか既に車のヒーターは切れていた。
「もう百年も続けてきたのです」
「百年……まさか」
「そうです。今日が満願の日だったのです」
「満願――百年、あなたは……」
 女の右頬に、鱗が煌めくような冷たい微笑みが浮かんだ。それは私の逃げ道を閉じるような蒼い壁のように思えた。
「寒くはありませんか」
 女が私の耳に口を寄せて呟いた。冷たい息がかかった。
「……」
「私の子どもが宗信寺にいるのです。冷え切ったところにいるのです」
「……」
「冷たい躰をした子どもが待っています」
 いつの間にか、女は素裸になっていた。青いガラスの瓶に入った液体のように、女の肌は蒼く透明だった。
「温かい躰が欲しいのです。温めてやりたい――子どもを」
 女の手が私の躰を這いずりまわり、着ているものを脱がされる感触があった。身動きができなかった。
「十八でした。通りがかりの男に犯されたのです。子どもが出来たことを知ったとき、私は首を吊りました。父は私を宗信寺に葬ったのですが、七か月後、子どもはお墓の中で生まれたのです。それからずっと私が育てているのです」
「……」
「あなたは私を抱こうとしたでしょう。分かっています。だから、こうして――」
 殺されるかもしれないという激しい恐れが湧いてきた。倒されたシートの上で、女に抱かれた私は、恐怖とは裏腹に冷たい躰の中に女の手でそれを入れ込まれていた。女は私の躰を冷えた腕で抱きながら囁いた。
「こうしていると、あなたの温かさが私の躰の中に拡がるのです」
「……」
「燃えるようなあなたの車の赤い色を見たとき、熱い炎にやっと会えた、それも満願の夜に……そう思ったのです」
 躰中の血が、引き潮のようにどこか遠くに消えて行くように思えた。
 目の奥に真っ赤な六体の巨大な地蔵が、近寄ってくるのが見えた。私の方に伸ばした地蔵の両手の先から赤い十二本の血の糸が流れ出している。糸をひくように流れるぬるぬるとしたその血が、眼球全体に拡がって血の池になった。
 それはたちまち溢れた。
 女が私の躰から離れる気配がし、ドアが開き、そして閉まる音がした。
 硬直したような躰を無理矢理に持ち上げ、ガラス越しに雨の中を見た。
 白いコートの女が、鉤の手の四つ辻を左に回るところだった。その角は宗信寺である。女の躰のまわりには、赤い色がちろちろと光っていた。
 宗信寺の前に来てみると、門の左にある六体の地蔵の赤い頭巾と涎かけが、雨に濡れて頭と胸に貼り付いていた。
 どこからか女の声がした。
「何を見ているのです」
「赤い色を――」
「そうですか、赤い六地蔵。罪人の霊を弔う地蔵なのです」
 六地蔵――そう言おうとしたが、私の声は掠れたまま、風に飛んだ。
「その六地蔵は、私の帰って行く死者の住む国の入口にいつも立っている道祖神なのです」
「……」
「この世は、死者の国と人の国からできています」
 女の声は、地の底から聞こえてくるように思えた。
「……」
「あなたは、死者の国からの旅人なのです。だから、いつまでもこの世にいてはいけません。必ず死の国に帰るのです。今夜がその時なのです」
 地蔵が歯のない口を開けて笑い、六体そろって右手にある庫裡の先を指さした。その指先からたらたらと血が流れ、雨に吸い込まれていく。
 私は六地蔵の笑い声に乗って、墓場の奥へ歩き始めていた。
 歩む先に、手招きをする濡れた白いコートの女が見えた。

  註 引用は「小泉八雲 日本瞥見記 第七章 神々の国の首都  恒文社」より