石工の里(一部)
宍道湖は周囲が約五十キロ近くあり、日本でも大きい方に属する汽水湖である。その南岸部分にある
来待と呼ばれる地域は来待川流域の丘陵地で、八束郡宍道町のなかでは最も広く、ほぼ半分を占めて
いた。
大正の初めには宍道湖沿いに幾つかの港があり、松江などに発動機船が通っていた。昭和になると当
時は国鉄と呼ばれた来待駅が作られ、バスも開通して出雲や松江への便利がよくなると同時に港は廃れ
たのである。
来待川周辺は今も静かな山村の佇まいを残し、国道九号線沿いには、来待石の加工場が幾つか並ん
でいる。
東来待の弘長寺川近くにある石切場は、垂直に切り立っていた。遠くからは、月面のクレーターではな
いかと思わせるほど荒涼とした風景に見える。その絶壁にまつわりついている名も知れぬわずかな緑の
雑草がその風景に彩りを添えていた。
カキーンという鋭い金属音が山の静寂を破っていた。芳治は石切場に這い上がると、喜助の横に立った。
振り下ろすマサカリが正確に石の目を刻んでいく。喜助の持つ柄の長いキリヌキマサカリが深い溝を掘っ
ていた。
「なんだや」
額に光る汗を拭きながら喜助が振り向いた。喜助が煙草を吸い終わるまで待って、芳治は榊史子とのこ
とを初めてうち明けた。
「こげな田舎ではの、そげなことはこらえられんことだわ」
「……」
「おまけにお前よりゃあ年が四つも上で……。いまごろは年上の嫁さんが多いげなが、ここではそぎゃんわ
けにはいかん。親戚や近所にどげ言うだかや」
そう言いながら喜助は、芳治の母が亡くなつてからもう八年になるとふと思った。母の優しさが欲しい頃
に、母のいない家庭だったことが喜助の頭をよぎった。喜助は芳治に背中を向け、タオルで顔を拭いた。汗
だったのだろうかと芳治は思った。
長い間黙っていた喜助の口から、いままで聞いたことのなかった激しい声が出た。
「帰らんでもいい……。もうええ」
古浦義己著 「雨に咲く」より 平成10年10月刊