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   花びら餅
                         『湖都松江』第19号掲載  平成22年4月

 松江は、静かな街である。宍道湖や市内を縦横に流れている堀川の佇まいや、あちこちに残る古い街並みのせいだ。

 沖縄民報の記者、佐田裕史が、古里松江に帰って来たのは二年前だった。かつての琉球王国という名に憧れて琉球大学に入り、卒業するとすぐに沖縄民報に入った。
 三十歳になったとき、島根県庁を定年退職した父が癌にかかっていることが分かり、いずれはと決めていた帰郷を早めたのだ。
 父親のつてで、松江に本社を持つ島根日報社に入った。島根日報は、島根県を主なエリアにする県紙である。

 どこの新聞社もそうであるように十月頃になると元日号の準備に入り、三日にあげず編集会議が開かれて、どんな企画にするのかという検討が始まる。会議では、営業も編集担当も、それぞれがなにかの提案をすることになっていた。

「なにかいい考えがあるのかい」
 社会部の部屋で、裕史は机を並べている岩原(いわはら)に聞かれた。明日の夜、何度目かの会議がある。
「うーん、いま考えてるのは、松江城の国宝化なんですけど」
 岩原は警察官から転職してきた男で、二つ年上だ。警官を経験してきただけあって、事件には強いが、企画というようなことになると弱い。
「そりゃあ、文化部のエリアだろう」
「分かってますよ。けど、セクションに関係なしで、いい企画があればって話ですから」

 慶長十二年、堀尾吉晴は城下町松江≠フ町作りを始める。五年の歳月をかけて慶長十六年に、松江城と城下町を作り上げた。
 その後、松平不昧が茶道と菓子を中心にした文化を築いていく。古い歴史と文化に彩られた松江は、昭和二十六年、京都、奈良に続いて国際文化観光都市≠フ指定を受けるのである。

 平成十九年には開府四百年を迎え、平成二十三年までにわたるさまざまなイベントが始まった。
 平成二十年九月の県議会で「松江市と呼応して調査研究を進め、国に働き掛けたい」と、県知事が国宝化の要望活動に取り組む考えを述べたことが、裕史のメモには残って
いる。
 松江城国宝化の企画は、さほどのものではないかもしれないがタイミングとしてはちょうどよいと裕史は思っている。

「ただ、他社が同じ企画を考えてると、ちょっと困るんですけどね」
 裕史は、それが気にかかっていた。
「よし、じゃあ、ルートがあるから俺が調べてやるよ。その代わり、なんかいいネタを教えろよ。お前さんが考えている第二案ってやつだ」
「そうですねえ、正月号ってのはページ数が多いから、軽い感じが受けるんじゃないですかね。だから……」
「なんだよ」
「正月ですから帰省客もいますね。故郷の記憶は風景とか匂いや音にあるんですから、カメラにいい風景を撮ってもらい、民謡と温泉、正月料理などの明るい内容ってどうです? 山陰遊癒散歩≠フタイトルで」
「そうだな、それ頂きだ。まあ、もうちょっと考えてみるよ」
 
 何度目かの編集会議で裕史の提案はすんなりと通り、岩原の企画も採用された。
 島根日報の社屋は県庁の南、京橋川に架かる幸橋の畔にある。市役所や県警本部にも近く、社会部に所属している裕史には記者クラブへ行くにしても、なにかと便利だった。松江城もすぐだ。
 国宝化の企画は、それだけならば単なる説明に終わりそうである。岩原ではないが、なにかほかに、明るい話題やエピソードが欲しい。
 裕史は、十月末から始まった飛び石連休の二日目、松江城に向かった。
 松江城の定時ガイドが始まってから、半年が経っている。その取材も兼ねてのネタ探しのつもりだった。

 松江城と周辺のガイドは、NPO法人の松江ツーリズム研究会が始めたもので、城や小泉八雲旧居、武家屋敷などを回る三つのコースがあり、大手門跡の右側にある馬溜の跡と呼ばれる場所に設けられたぶらっと松江観光案内所≠ゥら歩き出すガイドだ。ほかには松江ゴーストツアー≠竍宍道湖エコクルーズ&水の都 松江のまち歩き≠ネどがある。

「やあ、取材ですか?」
 案内所を覗くと、顔見知りのガイドが声を掛けてきた。中学校の社会科教員をしていた垣本という男で、定年退職後に観光ガイドになった。

「ええ、なんか面白いことないかと思いまして……」

 裕史は松江に戻って二年になるが、新聞記者という仕事がてらあちこち歩き回るので知り合いが増えた。そのこともあって、人脈こそ財産だと思っている。持ち場を歩き、原稿を書くというのは記者の仕事だが、多くの人たちから、自分の人生を左右するなにかが学べるのだと思っている。沖縄民報にいたとき、特ダネを勝ち取る技術や方策を知ることはむろんだが、記者として、というよりも人間としてのありようを学んだ。

 沖縄民報は地域新聞と呼ばれ、沖縄の一部にだけ発行されていた。そのせいで牛小屋が火事になっても記事にすると言われるくらい、地域にきめ細かく密着した新聞だった。訃報も子どもの小学校入学も、エピソードを加えて記事にした。そんなニュースは、深い人間関係を持つ地域社会を作り上げるのだ。沖縄民報を購読していない家は、慶弔にも事欠くなどと言われていた。
 国宝化を元日号の記事にするなどとは、口が裂けても言えない。さしたる企画ではないが、もし似たような記事が他紙から出るとデスクは機嫌が悪い。

「記者さんも大変だ」
「垣本さんは、好きな仕事ができて悠々自適ってとこですね」
「そんなんじゃない。松江へ来た人には喜んで帰ってもらいたいからね、私なりに懸命なんだよ」
 垣本は、少し顔を赤くして言った。

「ガイド、お願いしまあす」
 若い女が、案内所の前に立っていた。二十代後半のように見える。とたんに垣本は、ツアーガイドの顔に戻った。時計を見ると、ちょうど九時だ。一緒に回れば、いい記事になるかもしれないと裕史は思う。

「えっと、コースが三つあるんですが、どれにします?」
 垣本が、案内パンフレットを取り出して説明を始めた。
「五十分かけてのコースは城に上がるだけですが長いのは三時間で、最後は堀川遊覧船に乗るんでけどね」
「どれって言われても」

 予定して来たようではないらしい。困ったような顔を見せた。皮製の黒いコートにジーンズ、それに白いマフラーが似合っていた。
「私、小学校の遠足で、城に上がったことがあるんです。だから……」
 どうしようか、というように首を傾げている。
「じゃあ、とりあえず五十分コースでどうですか?」
 天守に上がった後、周辺を散策して終わりのコースだ。
「はい、じゃあ、それで……。でも、私一人なんですけど、それでもいいんですか?」
「もちろん、お一人で大丈夫です」
 垣本は言いながら、予定を書類に書き込んでいく。観光客一人にガイドが付くというのは、言ってみれば贅沢である。松江という町の大らかさかもしれない。

 裕史は女に名刺を出した。
「取材をさせてもらえませんかね」
「ええっ、新聞? やだあ」
 マフラーで口を覆って言った。だが、顔は笑っている。
「いいじゃないですか、記念になりますよ」
 垣本が助け船を出してくれた。
「そうなんですよ、新聞に載せたら送りますよ。ぜひ取材させてください」
 裕史はそう言ったが、果たしてデスクがどうするのか分からない。だが、なんとかして記事にしたい。
「行きますか。佐田さんも一緒にね」
 垣本が言い、話を聞いていた女は、いいですよという素振りを見せた。垣本が、じゃあと言って歩き出す。
「料金――払いますよ」
 言いながら、裕史は慌てて追いかける。
「取材だから貰うわけにはいかないさ。それよりいい記事を書いたらどうかね」
 女は、やり取りを笑って聞いている。

 垣本が先に立ち、裕史は女と並んで歩くことになった。出雲の産婦人科病院で助産師として勤めていると言う。
「名刺はないんですけど、仲宗根三奈っていいます。よろしくお願いします」
 ナカソネ――裕史はもしかしてと思った。仲宗根は沖縄によくある地名で、苗字にも使われている。

「仲宗根さんて、沖縄の方?」
 目鼻立ちがはっきりした顔で、歯並びがきれいだった。
「うーん、どうっていうのか父と母は沖縄なんですけど、私は出雲市生まれで出雲育ち。県立大学の看護学科から専攻科に行ったんです」
「専攻科では?」
「助産学をやってました。だから、資格は看護師と助産師です」
「へえ、勉強家なんだな。それで、いまも出雲にご両親と一緒に?」
 三奈が、いえ――と言い、下を向いた。
「父は亡くなりました。母と一緒には居ますけど」
「悪いことを聞きましたね。すみません。実は、沖縄に居たことがあるんですよ。沖縄の新聞社に勤めてたんで」
「ええっ、そうなんですか、ご縁ですね。よかったあ」
 笑顔が眩しい。

 二の丸に上がる石段からは、太鼓櫓が見えた。右手下は広々とした公園になっている。江戸時代には米蔵などがあった場所だ。
「櫓は監視を兼ねて、敵が侵入した時には櫓から石を落とすようにできてましてね、高さが十三メートルのところにあるんです」
 垣本が説明を始めた。
「凄いわあ、実戦的にできてるんですね」
 石段を上りきって右手を仰ぐと、本丸跡の見事な石垣が屹立している。
「石垣と天守閣の屋根の端が一直線になっているんだけど、分かりますか」
 垣本が言う。
「うわぁー、ほんとだあ」
 左手の二の丸上の段には、南櫓、中櫓、太鼓櫓が建ち並ぶ。
 平成十三年二月に復元されたもので、約百二十五年後に姿を現したことになる。
「二十年ぶりなんです。ここに来たのは」
 三奈が話しかけてきた。
「というと?」
「小学校の遠足です。なんか恥ずかしい」
「そんなことはないですよ」

 二十年前といえば、まだ茶店などがあったと裕史は聞いている。三奈からみればまるで違った風景ということになるのだろう。
「懐かしいわ、でも変わってしまったのね」
 小学生だった三奈は、どんな少女だったのだろう。
局長屋跡≠ニ書かれた杭の立つ後ろは、松江神社と郷土館である。その場所に、かつては書院があったという。
「きょくちょう――だ」
 裕史は、喜んで手を叩いている三奈を見て思わず苦笑し、若いなと思う。

 一の門を潜ると、五層六階の天守だ。大部分が黒く厚い雨覆板で覆われ、端正で優雅な風格が漂っている。一階から四階への階段は桐が使われていた。他の城では見られない特殊なものだ。石落としや石打ち棚、隠し部屋など、戦の局面を意識した造りがあちこちにある。

 最上階に上がり、南側を見ると、冬晴れの下に宍道湖が広がっていた。
「きれいな町ですね、私、住んでみたい」
 三奈が言った。そう言われると、裕史はいま住んでいる松江を誇りに思う。
「出雲よりも?」
「ええ、湖と橋があるから好きです」

 天守を出た後、西側に回った。天守は明るく優美な南正面の印象からは一変して、威圧感をもって迫ってくる。松江城の横顔である。三奈が、かっこいいと声を上げた。石垣は苔むして荒々しい。石垣の横から武将が、顔を出しそうだ。
 馬洗池の前から二の丸を通り、馬溜の案内所まで帰ってきた。
 裕史は、聞いておかなければいけないことを思い出す。
「仲宗根さんは、松江城の国宝化ってどう思います?」
「そうねえ、そこまでの城じゃないと思ってたけど、実際に見てやっぱり大事なことだと思ったわ」

 暫く一緒に歩いたせいで、三奈は打ち解けた言い方になっていた。
「それにガイドをしてもらわなかったら、通り過ぎてしまったかもしれない」
「どういうこと?」
「ええ、ガイドさんの話はよかったけど、案内板というのかなあ、説明があまりないような気がしたわ」
 なるほどと思った。まとまった記事になりそうだが、もう少し聞いてみたいこともある。
「歴女に出会ってよかったです」
 裕史が言うと、やだあ、歴女なんて≠ニ言って三奈は笑った。乾いた体に、飲んだ水が染み込んでいくような気がした。
「新聞が出来たら、仲宗根さんとこに送りますから」
「ごめんなさい。うちは新聞、取ってないんです」

 裕史は手帳を取り出し、三奈に住所を書いてもらった。携帯電話の番号も、小さい文字で書かれている。
「もしよかったら、どこかでコーヒーでも飲みませんか。聞き足りないこともあるし」
 記事のこともだが、このまま別れるのはなんとなく心残りである。
「はい、私は別に予定もないんで」
 大手前の堀近くに、小ぎれいな店がある。裕史はよく利用するのだが、観光客向けということもあって社の者はあまり訪れない。
「面白い名前の店ですね」
 三奈が行灯の形になっている看板を見上げて言った。古城(こじよう)茶館(カフェ)≠ニ墨字で書かれていた。和風の建物で、江戸の雰囲気を思わせる造りになっている。入口の格子戸には、紫色の暖簾が架けられ、白字で染め抜かれた店名の横に松江銘茶≠ニある。
「松江のお菓子と薄茶もあるんですよ」
「えっ、私、お抹茶の飲み方なんて知らないわあ」
「大丈夫ですよ、我流で。それにコーヒーもありますから」

 裕史は三奈の肩に手をやり、店に押し込む。障子をデザインした仕切りで幾つかのコーナーに分けられ、全て椅子席である。
「ほらね、炉が切ってあるわけでもないし、お茶室ってわけじゃないから」
 ふぅと大きく三奈が肩で息をした。

 厚い欅の一枚板で六人ばかりが座るほどのテーブルで作られた一画がある。格子状の窓から洩れる、晩秋の陽射しが柔らかい。
 片隅に一人の先客があった。白い髪が薄く、八十近いと思われる男性である。
 ここでいい? 裕史は目で聞く。三奈が小さく頷いた。言う必要もないと思ったが、裕史は失礼しますと老人に声を掛けた。老人が会釈して微笑んだ。
 薄茶と花びら餅を頼んだ。淡い紅色の餅に味噌餡が入っている。 
「平安時代のね、宮中の長寿を祈るお祝いの儀式で使われたってことからきてるそうです」
「へえー、そうなんだ、素敵なお菓子」
 輪に結んだ金と銀色の小さな水引が添えてある。色と半月形になった柔らかな求肥の感じがいいと、三奈が言う。
「本当は、新年の初釜なんかのときによく使うけどね」
「やっぱり、松江っていいところですよね」

「どこから来られたかね」
 老人が問いかけてきた。
 さっきから、ちらちらと視線を寄越しているのに裕史は気付いていた。
 カメラを持った裕史を見て、二人連れの旅行者と思ったのだろう。三奈がどう言おうかという顔をしている。
「出雲人ですよ」
 裕史は言ってしまってから自分でも妙な言葉だと思ったが、老人は声を上げて笑った。
「面白いことを言いなさあね。新婚さんかね?」
「そげです」
 裕史の悪戯心に、三奈の頬が花びら餅のように染まった。
「違いますよう、冗談です。この人が変なこと言ってすみません」
この人=\―思わず裕史は三奈の顔を見た。
 老人は怒りもせず、楽しい人達だと何度もくり返す。だが寂しげである。
「私は松江でして、淞北台(しようほくだい)ってとこに住んどおますがね」

 淞北台は、市街地の北にある小高い丘に四十年ほど前、造成されてできた団地である。
 眺めのよい新興住宅地として好評だったが、高齢化が進むと急な坂道などが負担になっていく。もとは数店もあったスーパーが無くなり、バスの数も減った。
「買い物などが大変でしょう」
 裕史は以前、高齢化と団地≠ニいう特集記事を書いたことを思い出した。老人は話し相手になってくれると思ったようだ。
「ええですか?」
 老人は、そう言って立ち上がり、裕史の前に椅子を寄せた
「私はね、神戸で仕事をしとったんだが、淞北台に住んでいた息子夫婦が一緒に暮らそうと言い出したもんで、退職したときに松江に来ただがね」

 聞きもしないのにと思ったが、新聞記者としての好奇心が頭をもたげた。松江の住み心地と高齢者の暮らしを確かめてみたくなった。
「奥さんは?」
 老人は、ふっと顔を曇らせた。
「二十年前に、交通事故で亡くなったんですよ。そのことから私は運転免許返上で、もっぱらバス利用」
「そうでしたか、それで、松江はどうなんです?」
 三奈が体を乗り出すようにして聞いた。
「そおがねえ」

 老人は、自分に言い聞かせるように話し始めた。

 孫もいて最初は楽しかったが、国家公務員の息子が、突然、広島へ転勤になった。
 狭い官舎住まいで一緒には住めないことから、一人で暮らすようになったものの、することがなくなった。畑なども作っていたのだが体力や気力の衰えと共に、やる気も失せた。もともと松江で仕事をしていたわけではないから友達も少ない。
 八十にもなれば、そうでしょうと言う。

 裕史は黙って聞いていたが、老人の飲んでいたコーヒーカップが空になっているのに気付いて三人分を頼んだ。

「ああ、どうもありがとう。話が行ったり来たりで、自分でもなにが言いたいのか分からなくなりますなあ」
 確かに、同じことを幾度もくり返すというのは、高齢者によくあることだ。
「いや、お気持ちはよく分かります」
「年寄りになると、それも男ってのは付き合いが下手だね。気持ちが狭くなるというのか、馴染みの人とか場所がないと、なあんもできんですわ」

 裕史には、唇を堅く結んで聞いている三奈の顔に、思いなしか暗い影が走ったように思えた。
「女の人みたいに、近所付き合いをうまくやるっていうことが難しいがね」
「お体のほうは、どうなんです?」
 三奈が口を挟んだ。老人はよく聞いてくれたという顔をした。
「腰と膝がね、かなり痛いんだ。だから歩くにも難儀でね。それに近頃、呆けちゃったかな、後で考えると自分でも変なことしてることがあるんですな」
 三奈が頷いている。
「こうやって、一人で死んでいくんだなあと、夜中に目が覚めたときなんかに思うね」
 老人が、三奈の前にある花びら餅に手を伸ばして頬張った。裕史は慌てて止めようとして三奈の顔を見ると、口をきつく閉じて頭を横に振っている。

 細い涙が流れていた。亡くなった父親と重ねたのかもしれない。
 気が付くと、昼前だった。かれこれ二時間近くも、老人と話していたことになる。
「あんた方、薄茶を飲んでたけど、差し上げた松江のコーヒーも美味(うま)いでしょう。ラフカディオ珈琲っていうんだよ」

 裕史は思わず三奈の顔を見た。楽しそうな顔で笑っている。涙は消えていた。
「それにね、花びら餅も松江の銘菓だからね。またお二人でここに食べに来なさいや」
「はい、ありがとうございます」
 裕史は真面目な顔で言う。三奈が俯き、笑いをこらえているのが見えた。
「さて、バスの時間だ。楽しかったよ。よくここへ来るから、また会わやね」
 老人はそう言って、腰を曲げ片足を引きずりながら出て行った。

「私、さっき言ったように、人の誕生に付き合っています。けど、逆に人の終わりを大事にしてあげたいなと思ったんです」
「三奈さんは、看護の資格もあるしね」
「いま、私の名前を?」
 三奈の頬が、また薄紅い花びら餅のようになっていく。

「私、松江に住もうかな」
 三奈がそう言うのは、二度目だと裕史は思った。