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     潮風の歌(抜粋)

 隠岐島西郷港は、美保関町七類から直線距離で約六十キロである。
 ここは、江戸時代に全国の港を回る帆船が必ずといっていいほど入港し、日本海から下関
海峡へ、瀬戸内海から大阪へという西廻り海運の風待ち港であった。最初の頃、この西回り
航路は「地乗り」といわれる沿岸航路をとっていた。
 やがて、能登や越前などから隠岐へ、さらに隠岐から下関や長崎に直行する「沖乗り」航
路が開かれる。船員の休息や水などの補給中継港として大型の帆船が数多く出入りするよ
うになり、年間に二千隻を越えるときもあったという。 
 東の金峰山、南端にある愛宕山に抱えられているように見える西郷の町は港に面し、観光
客の多いこともあって、隠岐島では中心の町である。
 晴れた日の高台からは、遥か彼方に薄ぼんやりと、穏やかな伯耆大山や島根半島が見え
た。荒天時には、猛り狂う海神が岬の絶壁を這い上がろうとするかのように荒れ狂う日本海
が眺められた。 


 修吉は立ち上がると、歌い出した。
………出会わせ 蔵の戸前 
   話せ 話せや語れや 胸うちあること みな話せ  
   よんべ夢見た なんと見た 
   白い 白いの鼠が 黄金の丸太を 引くと見た………
 柏崎の一円で歌われている盆踊り歌である。
 幾度か麻美から聞いてもいたし、隠岐でもこの歌詞は歌われていた。
「麻美――、おれとこの台所で飯炊いてくれんかや」
 歌の途中で修吉は、まっすぐ海を見たままでいった。修吉らしい、唐突でぶっきぶらぼうな
言い方であった。
 いつか必ず聞きたいと思っていたその言葉を、麻美は長い間待っていたような気がした。
 答える代わりに麻美は立ち上がると、修吉が、なぜこの島にと尋ねた時の三階節を歌った。
 日本海からの潮風にのって、二人の歌うしげさと盆歌が岬から西郷港に流れた。
「潮の香りがするわ」
 歌い終わった麻美がつぶやいた。
「私、店やめて潮風の中で暮らす  」
「民子の墓に、麻美とのことを言いに行くけんな」 
 麻美は修吉の肩に頭を押しつけてうなづいた。
 目眩を起こさせるような初夏の海のきらめきが
二人をつつんでいた。


  古浦義己著 「雨に咲く」より 平成10年10月刊


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