冬の鬼火(抜粋)



 大橋川の両岸から流れ込む夜の光の明滅は、くにびき大橋を過ぎると水底に吸い込
まれてしまう。その暗い川の中に横たわる中州は、打ち捨てられた巨大な廃船のように
も見えた。物好きな釣り師が夜釣りをしているのだろうか。時折、淡く小さな灯りが動く。
中州を見下ろすように建っているマンションの部屋から眺めていた比野順哉は、いつも
それを鬼火ではないかと思うのである。くにびき大橋の北口にあるマンションは、小さな
漁船やレジャー用のモーターボートが係留されている川岸から狭い道路を隔てて建てら
れている。窓からは、中州やそれらの船の動きなどもよく見えるのだった。

 八月も半ばが過ぎ、秋の声を聞こうという
のに今年の夏は終わらない。午後十一時を
過ぎても湿度が高いのか、体に汗が滲んで
くる。
 ドアチャイムが鳴り、ロックのはずれる音が
した。
「ごめんなさい。遅くなっちゃって……」
 姉の佑子は、松江大橋の北詰にある「夜
光虫」というカウンターだけの小さなスナック
に勤めているのだが、このところの不況で客
の入りが悪いのか、必ず十二時までには帰
って来る。


 佑子は背中に夜の冷めたい空気を感じた。
「寒くないか?」
 光男の両腕が後ろから佑子の胸を抱いた。うなじに温かい息がかかった。その息が
佑子の背骨をなぞり、腰のあたりで熱い火柱に変わったような気がした。いつかこうな
るのではないかと思っていたことだった。これまで何度か一緒に店から帰り、光男の部
屋にも行ったこともある。だが、一度も光男は、それらしい素振りをすることはなかった
のだ。

「さむい。中で……」
 佑子は光男の腕をはずすと向きを変え、胸に顔を埋めた。押しつけた頬に当たるシャ
ツのボタンを痛いと思ったとき、なぜか不意に順哉の顔が浮かんだ。
 キャビンにある小さな寝室で、佑子は抱かれた。
「初めてだったのか……」
 佑子はともすれば遠くなる意識の底で、その声を何度か聞いていた。
マンションに帰ったのは、十二時を過ぎていた。音を立てないように玄関のドアを閉め、
シャワーも浴びずにそのまま自分の部屋に入った。
 順哉の息を潜めている気配があった。


                            古浦義己 平成12年4月

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