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  雪紅梅(一部)


  いつになく底冷えのする暮れの松江であった。
  四百年近い時を超えた松江城の堅牢な石垣が重く厚い
 雪を支えている。時折、松の枝に積み重なった雪が音を
 立てて落ち、松江の町をさらに深い冬の中へ静かに閉じ
 込めようとしていた。城を取り囲む堀は、素鼠色の冬空
 から絶え間なく舞い落ちる雪の花びらを水面に吸い込ん
でいく。そこだけが生きているように見えた。
 大手前にある堀川遊覧船乗り場に人影は既に無かった。師走二十日の夕暮れである。
堀川を一周りして帰って来た最後の遊覧船を降りた観光客のほとんどは、道路を隔て
た向かいの観光物産館の中へ消えていた。土産物を手にしたあとは宍道湖畔旅館団地
の温泉宿に行き、賑やかな夜を過ごすのであろう。旅館の小型バスが、待ちくたびれ
たようなエンジン音を響かせ、白い煙を吐いている。

 木香喜佑紀は松の幹に体をあずけ、水の中に消えて
行く雪を見つめていた。どれだけ時間が経ったのか、
差している傘が雪で重くなったのに気がついて顔をあ
げた。その頬に一片の雪が落ち、すぐに溶けて流れた。
泪だったのかもしれないと喜佑紀は思った。
「暮れを越せるのか……」
 声を出したはずではなかったが、遊覧船を舫う船頭
が振り向いた。


 
 松江の和菓子は、茶道と共に発展してきた。松江藩七代藩主の
茶人松平不昧の影響で百軒ばかりの菓子屋が営業をしている。そ
のうち四十軒が和菓子を作り、生菓子の種類は実に百七十にもな
るのである。
 石川流は月に一度、松江で名の通った茶人や経済人を集めて茶
会を開いていた。そこで使われる菓子の評価は、その店の年間売
り上げを左右すると言われている。
「石川さんからの注文は無いのか?」
 喜佑紀は色鮮やかな菓子が並べられたショーケースを見ながら呟いた。石川流宗家
には多くの社中があり、弟子は三百人を超えている。宗家の石川宗泉は、松江を代表
する茶人のひとりである。
「ええ……」
 黄と臙脂の梅をあしらった小紋の着物に金茶色の帯をきっちりと着こなした美里が
顔をあげた。どちらかというと地味な着物だが細身の体によく似合い、三十才には見
えなかった。


 翌日の朝であった。喜佑紀は職人だけを集めて考えを聞いたのだが、これはと思う
ものは出なかった。
 深と冴えた空気が流れた。
「和菓子の歳時記ってのを来年はうちのテーマにしようと思う――」
 喜佑紀の言葉に、美里が頷いた。
「月ごとに変わる生菓子を作りたい。四季折々の植物を和菓子で表現する。例えば、
一月は紅梅、二月が若菜、三月を牡丹……」
「名前を先にですか?」
 今年の春、松江菓子専門技術校を出たばかりの若い職人だった。
「そう、菓銘が先。それは菓子の季節感を大事にすることなのだ」


 平成十二年一月二日、朝からよく晴れていた。時折、風花が舞う。
 眠ったように静かな殿町の中で、甘春堂だけが初売りをしたのだ。
 絶えて無かった初売りという物珍しさもあったかもしれないが、午前九時の開店と
同時に客が来た。午後になっても、正月を老舗の菓子で祝おうという大勢の客が続い
た。
 珍しく年始回りの男たちが雪に足を取られながら歩いていた。顔を赤らめた幾人か
が、何ごとかと混雑する店をのぞき込む。美里も従業員も客への応対で流れる汗の中
に笑顔を見せていた。
(曙光は近い)――喜佑紀はそう思った。
 ショーケースの上に飾った紅梅が戸外の白い雪と鮮やかなコントラストを見せてい
る。
 喜佑紀は菓子箱を包装しながら、文実子に出会った日のことを思い出していた。
(一度、金沢に行ってみよう)――喜佑紀は紅梅に向かって呟いた。


                              
                  江波 潤一   平成12年3月刊 「文化松江」より


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